2010年04月29日

山の辺の道をゆくB 崇神天皇陵〜柳本駅

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 崇神天皇*陵は、お堀に囲まれ春の陽に朗らかに包まれていました。
 中に立ち入ることは勿論出来ません。 越える気になればひょいと越えられそうな柵ですが、目に見えない強い結界が張られているようで、とてもそんな気持ちは起きません。

 またの御名を「はつくにしらすのすめらみこと」
現在学術上、ある程度実在が確認できる天皇として、初めて国を平らかに治められた天皇(すめらみこと)様の御陵(みささぎ)に、母子二人して頭を垂れ手を合わせました。

 私は、前述のヤマトトトヒモモソ姫の眠ると言う「箸墓」へ是非お参りしたかったのですが、ケロロンの足とお腹が限界のようで、「ひょっこりひょうたん島」のような「箸墓」を遥拝し、またの機会のあることを祈りながら、一路最寄の柳本の駅へ向かいました。 

「駅に向かいさえすれば、お食事処の一軒や二軒あるに違いない」
「見つけたら選り好みせず一軒目に絶対入る!」

 けれども、行けども行けども食事が出来るようなお店はありません。大きな街道に出た所に鯛焼屋さんが一軒ありました。 でも、食べたいのは甘いものじゃないんです…。 ああでもでも、やはり何か買っておけば良かった…。 それが最後のお店になろうとは!

 柳本の駅の周りには何にもありません。 勿論コンビにもありません。 山の辺の道を歩かれる方はお弁当持参か、前もって数軒あるお食事処の下調べを十分なさってからお出かけ下さいませ。

 結局、三輪の大鳥居横「白玉屋」さんで一つずつ残して持ち帰った「みむろ最中」が私たちを空腹地獄から救ってくれました。 
「あの時、持ち帰れる最中にめぐり合えてホンマに良かった!」

 昼下がりの午後、柳本駅ホームの待合ベンチで、愛しむように最中を食べていた母子が私とケロロンです。 

        *        *        *

 今日は昭和天皇陛下のお誕生日「昭和の日」(「旧みどりの日」)、いにしえに日本の国の礎を築かれた崇神天皇の御代を振り返るに佳き日と思い、改めてここに調べ置きました。


【第10代 崇神(すじん)天皇】
 出生:紀元前148年?
 在位:紀元前97年2月17日〜紀元前29年1月9日(崩御119歳?)
 諡号:
 <日本書紀>
  御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)
  御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)
 <古事記>
  御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)
 
 皇居: 磯城(しき) 瑞籬(みずがき)宮(現・桜井市金屋付近)
 陵墓: 山邊道勾岡上陵(やまのへのみちのえのみささぎ)

 父親 開化天皇(第9代)
 母親 伊香色謎命
 皇后 御間城姫
 子女 垂仁天皇(第11代)

 善悪を識別する力が優れ、早くから大きなはかりごとを好まれた。
 心広く慎み深く、天神地祇を崇められた。
 常に帝王としての大業を治めようと思われる心があった。

 崇神四年十月二十三日の詔
「わが皇祖の諸天皇たちが、その位に臨まれたのはただ一身の為ではない。 神や人を整え天下を治めるためである。 だから代々良い政治を広め徳を布かれた。 今、自分は大業を承って、国民を恵み養うこととなった。 どのようにして皇祖の跡を継ぎ、無窮の位を保とうか。 群卿百僚たちよ、汝らの忠貞の心を尽くして共に天下を安ずることは、また良いことではないか」

・天神・地祇の祀り(神懸の巫女・ヤマトトトヒモモソ姫)
 天照大御神を皇居内→檜原神社へ
 大物主神→三輪山へ
 倭の大國魂神
 八百万の神々→天社、地社、神地、神戸へと祀られた。
 
・四方への教化(四道将軍)
 大彦命→北陸へ
 武ぬ川別→東海へ
 吉備津彦命→西海へ
 丹波道主命→丹波へ

・人民の戸口調べ、役(男・ゆはずの調、女・手末の調)を課す。
    (以上「日本書紀(上)」宇治谷孟 講談社学術文庫より)


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2010年04月26日

山の辺の道をゆくA 〜巻向山裾

 檜原神社を過ぎて暫くは里山の道を行きます。 約一ヶ月前は、まだ梅の花の季節でしたが、4月の今よりもずっと暖かだった気がします。 この4月の寒さは異常です。 
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 真っ赤なボケもまだ蕾が膨らんできたばかりでした。
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 やがて車道に出て暫くアスファルトの上を歩きます。 奈良の人は穏やかに思いましたが、車の運転は思いのほか荒くて、狭い道でもスピードを緩めないので何度かヒヤリとしました。 ハイキング気分で油断して歩いていると危険です。
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 山から裾野に向かって、あちらでもこちらでも水が豊かに走ります。

 杏の花? 天に向かって笑いながら昇っていくようです。 
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 最中やたこ焼きを先に食べてしまい、お昼に食事を取り損ねたら、どこまで歩いてもお食事処にめぐりあえず、畑の中の無人販売で朝摘みイチゴの誘惑に負けました。 また歩き食べでお行儀悪く、お許しを…。
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 コブシの白い花が盛りです。 田(さ)の神が降りる木「さ坐(くら)」は、桜の他に辛夷という地方もあるそうです。 こんな風景を見ると、あぁ春の神様が降りてこられていると嬉しくなります。
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 さらに歩いて歩いて…
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 「あ、また何か売ってる??」
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 この辺りは色々な種類の柑橘類がとりどりでした。 ハイキング途中で買われる方も多いのでしょう。 のどを潤して先へ進む元気を貰うのは最高ですが、皮をそこらへむいて捨てずに持ち帰りたいものです。 ミカンの皮は土に返りにくく色も目立ち、せっかくの美しい風景にそぐいませんね。
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 廃屋フェチの私にはたまらない小屋のある風景…。
よく見るとつっかえ棒が沢山! 失礼、まだ現役なのかもしれませんね。
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 何方のものともはっきりとはしない古墳が、あちらにもこちらにもそれこそそこら中にあって、歴史が自然の中に息づいているとは良く聞きますが、正に百聞は一見にしかず、です。
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 あ、これは一際大きいですね! 名のある古墳でしょう…(後に判明)
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 大和の青垣を望む大樹下の休憩所。 
この木に柿の実が鈴なりの頃にも来てみたいなぁ…。
 
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2010年04月23日

山の辺の道をゆく@ 〜檜原神社

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   「シロバナタンポポ」 以前、関西以西では、タンポポ=白い花、が常識と聞いて、タンポポ=黄色が万国共通と思っていた私は、かなりのカルチャーショックを受けました。 今でもまだ信じられない気持ちです。 但し、このタンポポも真っ白ではなく薄黄色という感じ。 もっと真っ白な花もあるのでしょうか?

 最近、東京でも白花蒲公英が時折見られるようになりましたが、東京で見るよりも山の辺の道のタンポポはどこか可愛らしくおしとやかな雰囲気がします。 土や水が違うせいかもしれませんね。

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 大和路はどこも水が豊かにきらめいていて…水が笑っています。

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常緑樹/花期の長い椿と落葉樹/儚い花の実桜?の共演を見守る鳩
(「玄賓庵(げんぴあん)」の白塀の上)

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「玄賓庵」の祈祷所? その先に見える小さなお社。 
玄賓は伊勢神宮と大神神社は表裏一体という考えを持っていたようです。
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 玄賓は、山階寺(興福寺の前身)の僧で、桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ていながら、俗事を嫌って三輪の地に隠棲してしまいました。 謡曲「三輪」の中では、仏の教えを聞きに庵に通って来ていた女人が寒さに震え所望したために与えた自らの衣が、三輪明神の杉の枝に掛けてあるのを見て、女人が三輪明神の化身であったことを知ります。 この「衣掛杉」は今は大きな切り株だけが境内に残っていて屋根がかけてありました。

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「檜原(ひばら)神社」の三つ鳥居。 檜原神社は、日本書紀によれば、崇神天皇が、国内に疫病が広まり民が死に絶えていくのを見かね、まず天照大御神を宮中にお祭りしたが、大いなる神の勢いを畏れ娘の豊鍬入姫命を斎宮に任じ、宮中の外(笠縫邑がこの地とされる)で祀ることを始めた為に「元伊勢」とも呼ばれる。 後に伊勢にお鎮まりになるまでに祀られた他の神社にも元伊勢と呼ばれる所が幾つかある。

 大神神社の三つ鳥居は非公開なので、同型の檜原神社の三つ鳥居を通して三輪山を拝してみてはいかがでしょう。


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2010年04月20日

和菓子初め・桜饅頭

 友人に誘って戴いて、ナントまぁ、今度は和菓子を習い始めました。
初めての今日は「蒸し饅頭」でしたが、皮を桜色に染め桜の飾りをつけたなら、可愛いらしい「桜饅頭」となりました。

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蒸し上がりに布巾をかけ保湿しながら荒熱をとり、薄く流し固めた羊羹を桜型で抜いて飾りました。 未だ湯気が残っていて写真がうるうるですが、左の縦2列が山桜作です^^

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左:底の皮は薄く、腰高で上に行くほど皮が厚いのが
  「粋なお饅頭」なのだそうです。 初めてにしては、まぁまぁ?
右:小倉餡でも作りました。 では、いただきまぁ〜す♪
下:一つずつ包んで箱に入れれば、おおっ、ちょっと売れそ…(笑)?

 新しいことを習うって刺激になりますね。
少〜しばかり、使っていなかった部分の脳が活性化したような…。
帰宅してお習字の稽古をしたら、なんだかいつもより筆も上手く運べるように思えて嬉しい♪ あくまでも気のせいと思われますが。

posted by 山桜 at 20:54| Comment(10) | TrackBack(0) | 和菓子・洋菓子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

四月の雪

 4月17日朝、一面真っ白に雪が降り積もり、東京で最も遅い雪の記録と並びました。 今年の気温の上がり下がりは真冬と初夏を行ったり来たり、異常としか言いようがありませんが、これからはこのような気候が春の風物詩のように普通になっていくのでしょうか…。

 早朝には写真を撮る余裕無く、一段楽してからみるみる溶けてシャーベット化してしまう中、慌てて撮った数枚です。

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 ようやく咲いたばかりの林檎の花がジュレに…

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 「見て、土が真っ白!?」「寒っ、私たち季節間違えて?」

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 「これが雪? 初めて見た…」と賀茂葵

 温暖化のデータに誤りがあったとか、実はもう小氷河期に入っているのだとか、パニックになるので真実は伏せてあるのだとか、様々な情報が飛び交いますが、本当の所を知りたいです。 
私たちに出来ることはないのでしょうか?

 
ラベル:私の庭
posted by 山桜 at 16:30| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

やまと(と)と(ひ)ももそひめのみこと

 前述「桃と巳」で登場した、箸墓古墳に眠る卑弥呼のモデルの一人とされる倭迹迹日百襲媛命。 この時代の名は読んで字の如くと分かりやすいものと、この媛命の名ように何を表しているのか、ピンと来ないものがある。

 古事記では、 夜麻登登母母曾毘売命(やまととももそ)ヒメノミコト
 日本書紀では、倭迹迹日百襲媛命  (やまとととひももそ)ヒメノミコト 

同じ名のようでいて、微妙に違う。

先ず、夜麻登=倭=やまと 母母曾=百襲=ももそ だとすると
真ん中に残る 「と」と「ととひ」は随分違う。

 
  

<参考>

古事記の表記  夜麻登登母母曾毘売命
日本書紀の表記 倭迹迹日百襲媛命

孝霊天皇の皇女。 

日本書紀では、母は倭国香媛(やまとのくにかひめ) 
同母兄弟には、倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと)
       彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)
異母(皇后細媛命)兄弟には、孝元天皇(大日本根子彦国索天皇)
異母(はえ某弟) 兄弟には、彦狭島命(ひこさしまのみこと)
             稚武彦命(わかたけひこのみこと)    

古事記では、母は意富夜麻登玖邇阿礼比売命
        (おほやまとくにあれひめのみこと)
同母兄弟に、日子刺肩別命
      (ひこさしかたわけのみこと)
      比古伊佐勢理毘古命(大吉備津日子命)
      (ひこいさせりびこのみこと)
      倭飛羽矢若屋比売
      (やまととびはやわかやひめ)

異母(皇后細比売命)兄弟には、大倭根子日子国玖琉命
              (おおやまとねこひこくにくるのみこと)
異母(千々速真若比売)兄弟には、千々速比売命
異母(蠅伊呂木予)兄弟には、日子さめ間命
             若日子建吉備津日子命

      





posted by 山桜 at 12:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月16日

桃と巳

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 今年の4月16日は旧暦の三月三日「上巳の節句=雛祭=桃の節句」です。 新暦3月3日「雛祭」の月遅れとなる、4月3日に咲き始めた桃の花が今もまだ綺麗に咲いています。 

 季節は先取りを良しとするというものの、新暦の3月3日では、桃はおろか桜の花さえ咲いていません。 梅雨の最中の七夕・星祭と並んで季節に合わなくなっているお節句です。 我が家では折角の可愛らしい庭の桃の花の咲く頃、月遅れか旧暦か丁度いい頃にお祝いすることにしています。

 上巳とは、三月の上旬の「巳」の日、の意味で、元々は三月の上巳の日に行われた川での禊祓いの行事でした。 (後に中国で重三の節句として三日に固定。) 日本では、まだ寒い時期だからでしょうか、実際に人間が川に入って禊祓いをするのではなく、川に人形代(ひとかたしろ)を流して厄を祓う行事となりました。

 さて、「桃」と「巳=蛇」と揃った所で、もう一つの大物主神の正体が知られる物語をご紹介します。


 崇神天皇の姑(おば)である倭迹迹日百襲姫(やまとととび(ひ)ももそひめ)は、聡明な方で神懸りとなり物事を予知されることもあり、やがて大物主神の妻となった。

 けれども大神は昼は来ず夜になるとやって来るので姫は、

 「貴方はいつも昼はおいでにならず、お顔を拝見できません。
  どうかもう暫く留まって下さい。
  朝になればその麗しいお姿を拝見できるでしょうから…」

と願ったので、大神は答えて仰った。

 「もっともなことである。 
  明日の朝、貴女の櫛函に入っていよう。
  どうか私の姿を見ても驚かないように。」

 姫は妙なことと思いつつ、朝になり櫛函を開けてみると、真に麗しい小蛇(こおろち)が入っていた。 その長さは衣紐ほどであった。

 姫は大神と約束していたのに、小蛇の姿に驚き叫び声をあげた。
すると大神は恥じて忽ち人の形となり、

 「おまえは我慢できずに、私に恥をかかせた。
  今度は私がお前に恥かしいめをさせよう。」

といい大空を踏んで御諸山(三輪山)に登ってしまわれた。

 やまと・ととび・ももそ姫が三輪山を仰ぎ見て悔い、どすんとその場に座り込んだその時、箸でホト(陰部)を撞いて死んでしまわれた。 それで太市に葬った。 その墓を名づけて「箸墓」という。

 その墓は、昼は人が造り、夜は神が造った。

 大坂山の石を運んで造った。 山から墓に至るまで、人民が連なって手渡しにして運んだ。 ときの人は歌っていった。

 オオサカニ ツギノボレル イシムラヲ 
              タゴシニコサバ コシガテムカモ 

日本書紀 巻第五 
崇神(しうじん/すじん)天皇 
御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)」
より


 いかがでしょうか…。 不思議がいっぱいつまったお話で、あれやこれやと想像が膨らみますね〜♪ 「名前こそが最初の呪=祈りである」といいますが、もうお名前からして謎がいっぱい! 最後の「箸でホトを撞いて…」の段がなければ、もっと広く親しまれるお話になったのかもしれませんが、なんといっても、そこが肝ですから無くす訳には参りません。 そして「箸墓古墳」は今もそこであろうという古墳がちゃんと残っているのです。 太古のロマンは今も続いています。

 因みにこの倭迹迹日百襲姫のお話には弟(兄?)の吉備津彦命の武勇伝が絡みます。 ご存知の方も多いと思いますが、この吉備津彦命は「桃太郎」のモデルとされています。「桃」や「キビ団子」などキーワードが繋がりますね。 

           

 上: 我が家の枝垂桃(照手水蜜)
 下: ご近所の濃い八重咲きの花桃
  
posted by 山桜 at 23:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

狭井神社〜久延彦神社

 大神神社の拝殿から左手に進み、活日神社、磐坐神社と巡り、池の手前を右に曲がった先の立派な注連縄を潜ると、狭井神社です。
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【狭井神社】大神神社HP内 http://www.oomiwa.or.jp/c03/c03_12.html

 御祭神 大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)
       大物主神(おおものぬしのかみ)=大神(みわ)神
       媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)
       ・神武天皇正妃・古事記では大物主神と勢夜多々良姫命
        の娘
       勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)
       ・古事記では媛蹈鞴五十鈴姫命の母姫とされる
       事代主神(ことしろぬしのかみ)
       ・日本書紀では媛蹈鞴五十鈴姫命の父神とされる*

 大神神社本社の大物主大神の荒魂をお祭りする神社。
 延喜式神名帳記載の古社。 古来、華鎮社(はなしづめのやしろ)と
 称され病気を鎮める神としての信仰厚く、ご神水湧き出る薬井戸が
 ある。


  *同一神とされていても、荒魂・奇魂・和魂という魂に分かれ
   ますと、それぞれお名前もご神威も異るとされます。 
   また、古事記と日本書紀では、同一と思われる登場神・人物
   でも異なる名前や物語となっている場合が多く見られます。
   編纂を命じた者、実際に記録した者の様々な思惑が反映されて
   いるかもしれず、伝承した民族系統が異なるのかもしれず、
   そんな所もまた伝えの謎解きの面白さです。

 狭井神社の社務所に申し出て襷を預かり受けると、右手の登山口からご神体「三輪山」へ上ることが許されるとのこと。 目の前を襷も受けずに、ささっと上っていくカップルがいましたが…大物主大神様のご神威を畏れぬ行為…オソロシク大胆です。 上らせて戴く時は必ず申請して初穂を奉納した標しの襷を掛け、特別にお許しを得たとの真摯な気持ちで臨みたいものです。
 
 最も神聖な地域は今も禁足地として守られ近づけないようになっていて、有名な神明鳥居を横に三つ連ねた「三ツ鳥居」は、古来その鳥居を通して三輪山を拝していたものですが、一般人は直に目にすることは出来ません。 戴いた「大神神社縁起」の中のお写真はこちら。
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 薬井戸には沢山の湧口が設けられている汲み場があり、その場でコップを借用し戴く事も、容器を持参して汲んで持ち帰ることも出来ます。 共用コップはよ〜く洗って返しましょう…気になる人はマイカップ持参か手に受けてがよろしいかと。

 薬井戸からご神水を戴き、生き返った心地で参道を戻り右手の池の中の市杵嶋姫神社へ渡る橋から池の中を見下ろすと、小さな金魚が無数にこちらめがけてわ〜っと泳いで来ました。
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 「ポニョ〜っ! かわゆしっ!」

ケロロン大喜び(笑) 大和郡山は金魚の名産地でもありましたね。
(ポニョは金魚ではありませんが、水道水でも元気な海の女神の子)

 道の向こうの大きな池の前を通り、看板に従って久延彦神社へ向かいます。 途中の細い坂道で笹百合の群生保護地を通りました。 勿論未だ何も地上には出ていなかったのですが、しばし憧れの笹百合の盛りの頃の姿を想像し竹林を渡るの風の音を聞きながら佇みました。

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【久延彦神社】
 大神神社の項でも書きましたが、久延彦様というのは田を守る案山子(かかし)神と言われています。 田の中で動けない代わりに世の中のことをじっくりと観察し大変な物知りとなられた知恵の神様です。 

  当ブログにお越し下さる幽黙さんのまたの御名も「久延毘古さん」と仰りその名の通りの博識であられ、いつも助けて戴いております^^

 幽黙さんのHP「久延毘古独言−幽黙庵の囲炉裏端」
        http://blog.goo.ne.jp/kue-biko

 久延彦神社の手前(小山の上でベンチもあり、こちらの方が広い)にも少し先(こちらにもベンチあり)にも見晴らしの良い展望所があり、お弁当を開いて休憩ならこの辺りが最高ですね! (ハイキングの実踏癖が…) 

 こちらからの展望は以前にもご紹介しましたが、もう一葉、大和の青垣の中に並ぶ畝傍山と耳成山です。 もうひとつ左隣の香具山も入れて大和三山の写真にしたかったのですが、広すぎてよい構図になりませんでした。 実際に目で見ると素晴らしい景色なのですが…。
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 「大和三山」同じような高さ大きさで等間隔に並んでいて、ピラミッド?と思わても不思議ないですよね。 余りにも美しい円錐形の三輪山はどうなのでしょう?

 今朝BS2の「奈良時代」で放送された「頭塔」なんて階段状ピラミッドそのものでした。 民族流浪の終着地とも言われる日本ですから、世界中の色々な文化が伝わって大いなる和となっているのかもしれませんね。

 媛蹈鞴五十鈴姫命の生誕の物語や大物主大神の正体(この世での姿?)が明らかになる物語には大物主大神がその身に降りてこられる巫女であり、後に妻ともなった倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ/卑弥呼のモデルの一人と言われる)とのお話もありますので、またの機会にご紹介したいと思います。

【大神神社近辺のMapion地図】http://www.mapion.co.jp/m/34.52522221_135.854775_10/ 
(お出掛けの際はこの手の地図をコピーして持参されることをお勧めします。 広い神社では境内図が見当たらず、右往左往致しました。
この地図でお分かりのように、三輪駅で降車すると参道の途中に出ますので、大鳥居から詣でたい方は一旦参道を下る必要があります。)

posted by 山桜 at 14:33| Comment(10) | TrackBack(0) | 山川・自然観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月13日

三輪明神・大神神社

大和國一之宮 三輪明神 大神(おおみわ)神社

御祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
配  祀 大己貴神(おおむなちのかみ)大国主神のまたの御神名
      少彦名神(すくなひこなのかみ)


 大鳥居からも秀麗なお姿を拝し奉った「三輪山」−三輪の大神様が鎮まるこの三諸の神奈備山がご神体そのものです。 このことは古事記にも下のように記載されています。

【古事記 大国主神 少名毘古那神 三諸山の神】
(大国主神がくえびこ(カカシ)に名を教えて貰った少名毘古那神と力を合わせて国を作り固められた後、少名毘古那神は海の向こうの常世の国へ渡ってしまわれた。 残された大国主神は…)

 ここに大国主神愁へて告りたまはく、
 「吾独(われひとり)して何かよくこの国を得作らむ。 
  いづれの神と吾とよくこの国を相作らむ」
とのりたまひき。 この時、海を光(てら)して依り来る神あり。 その神言りたまはく、
 「よく我が前を治めば、吾よく共に相作り成さむ。
  若し然らずは、 国成り難けむ。」

 ここに大国主神、
 「然らば治め奉る状は奈何(いかに)」
とまをしたま(申し給)へば、
 「吾をば倭の青垣の東(ひむかし)の山上(やまのべ)に斎き奉れ」
と答へ言りたまひき。 こは三諸山の上(へ)に坐(いま)す神なり。


 それでは、二の鳥居へ向かいましょうか…。 言葉は不要ですね。 何かを感じて戴ければ幸いです。

(この回からご覧になられた方は、是非、一の鳥居大神教本院参道のたこ焼の回より先に訪問して下さると、より臨場感があるかと思います^^) 


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            拝殿(重要文化財)

 これより先は畏れ多くカメラを向ける気持ちになれませんでした。 また白い襷を戴けば、なんと最近はご神体の三輪山に登れるというのですが、こちらも足を向ける気持ちになれませんでした。 ケロロンも襷を掛けるのが嫌だったらしく、仰ぎ拝し手を合わせ頭を垂れました。

 留守番の主人の病平癒を祈り、大神神社のお守りと狭井神社の御神水を戴いて参りました。 大神神社へお参りする時は、空のペットボトルなど水を戴く容器を持参されると、拝殿左手に鎮座する狭井神社の「薬井戸」で自由に汲むことが出来るようです。 私は遠い他国から参りましたので、心ばかりお納めして分けて戴きました。


 早いもので、大神神社さんにお参りしてから一ヶ月が過ぎようとしています。 折りしも先の週末は春の大神祭、お神輿が渡りお能が奉納されるなど大いに賑わったことでしょう。 角のたこ焼き屋さんもさぞ大忙しだったでしょうね。 私も丁度週末は大神様参道のお店の味を思い出しながら白玉を転がし転がし我が家でたこ焼きを作っておりました。


 三輪山の大物主大神について古事記に別に有名な物語があります。


【崇神天皇 二、三輪山の大物主神 よりの現代語要約】

 崇神天皇の御世に疫病が流行り民が死に絶えそうな時、天皇の夢に大物主大神が顕れ仰せになった。
 「疫病は私の意志である。 意富多々泥古(おほたたねこ)という者
  に私を祭らせるならば、祟りも起きず国も安らかになるであろう」

 そこで天皇は四方に人を使わせ意富多々泥古を探し出し、
 「そなたは誰の子か?」
とお尋ねになると、
 「大物主神が活玉依毘売(たまよりびめ)を妻としてお生まれになった御子の御子の御子、建甕槌神(たけみかづちのかみ)の子の意富多々泥古です。」
とお答えになった。

 天皇は大いに喜ばれ、意富多々泥古を神主として迎え三輪山に意富美和之大神(おおみわのおおかみ)を斎(いつ)き祭られた。 また国内の天神(あまつかみ)地祗(くにつかみ)の社を定め祭られ、坂の上から河の瀬の神に至るまで漏れなく祭られたので、国は安らかになった。


 この意富多々泥古という者が大神の子孫であると知られた訳は…。

 活玉依毘売は容姿輝くほどに美しい姫であったが、突然夜毎比類なく美しく気高い男が訪れるようになり、ほどなく姫は身籠った。 夫のない身で身籠った姫を案じた両親は、男の素性を確かめる為、姫に知恵を授けて言った。
 「赤土を床に撒き、糸巻の麻糸に通した針を男の衣の裾に刺せ」

 翌朝、針につけた麻糸は鍵穴から抜け出て長く伸び、糸巻に残った麻糸は僅かに三輪だけだった。 その糸を辿って行くと三輪山の神の社で留まっていたので、生まれてくる子が三輪の大物主神の子であると分かった。

 麻糸が三輪だけ糸巻に残っていたことからこの地を「美和(みわ)」と名づけたという。

 意富多々泥古命は、神の君(みわのきみ)・鴨君(かものきみ)の祖先である。



 この神話を知れば、白く細い麻糸のような三輪素麺、そうやすやすと口に運べない気がしてきませんか? 勿論、思いは馳せつつ、美味しく戴きますけれど^^  あれ、最後はまた食べ物の話になってしまいましたね。

 奈良〜京都〜日光、なにやら糸が繋がって見えて参りました。


大和国一之宮三輪明神大神神社 公式HP http://www.oomiwa.or.jp/
大神神社 境内図 http://www.oomiwa.or.jp/frame/f03.html


            


posted by 山桜 at 17:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 旅歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月10日

庭の世代交代

最盛期の頃の賀茂葵(フタバアオイ)の親株
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親株から伸びた蔓の先で育った新株(親株のあった所は露地に)
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1m程離れた場所に蟻が運んだ親株の種から育った子苗
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2009年花を咲かせたイチリンソウの株
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2010年 蕾はつけず地下茎を四方に伸ばし陣地昨年の4倍に広げる
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去年までは名前と反対に大勢で賑やかに咲いていたヒトリシズカ
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2010年、大株は綺麗に枯れ果て、こぼれ種から新芽が育つ
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2年〜3年目の新株にやっと花が咲く
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 今年はどうやら私の庭でも新旧一新の風が吹いているようです。

 山野草を育てていると、ある年突然に枯れてしまうという話を良く聞きますが、それはきわめて自然な現象です。 何年も同じ場所で動かずにいれば、そこの土は栄養も酸素も不足しますし、根や株が密集すれば病虫害も発生しやすくなります。

 そこで歩いて移動できない植物は新しい住処を求めて、地下茎を伸ばせるものは伸ばし、種を飛ばせるものは出来るだけ遠くに飛ばし、虫に種を遠くへ運んでもらうために魅惑のエライオソームを装備するものもあります。

 鉢植えの場合、植え替えが必要というのも同じ理由からです。 私は毎年植え替えをするほどマメではないので、出来るだけその植物が伸び伸びと育てるような環境を作り地植えにしています。 

 この場合、毎年同じ場所に居続けて貰う訳にはいきませんので、庭の様相も毎年自然に少しずつ変化していきます。 この時に予測できない意外な変化が、庭守りの楽しみの一つです。
posted by 山桜 at 21:20| Comment(10) | TrackBack(0) | 園芸・庭仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月08日

いかり草

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 【碇(イカリ)草(メギ科)】 

 花の形が船の碇に似ているところから命名と云われますが、強壮薬草として有名なので、そちらからの命名ではないかと以前、椎親父さんが書いていらっしゃいました。 日本人は掛詞が好きなので、両方の意味を込められているのかもしれません。 こんな儚げで繊細な花に何とも無粋な名前をつけてしまったものと、ちょっと「怒り」も沸いて来そうな…

 美しいけれど妖しい。 春風に心波立つような頃に咲く花です。

 ピントずれ写真ですみません。 手の固定が甘かったかなぁ

<追記 2010-04-10>

 玉井人さんにコメント頂戴し、「碇」草という名前についてあれこれ考えを広げている内に、この植物の性質の強さ、

 『一度根(碇)を下ろしたら滅多に枯れない(動かない)』

 このことも「碇」のイメージに一役買っているのでは、と思いあたりました。 そうしてみると、「イカリソウ」は、実によく色々な性質を盛り込んだ命名で、なかなかどうして名銘にさえ思えてきました。 (←いい加減) 

 う〜ん、やはり「名前」に秘められた謎は面白さ満載でするんるん


写真・上 「夕映」
写真・下 「品種名不明」 日本の黄花碇草とは違うので洋種かな?
                 戴きもので未だ調べていません。
 
 
 
posted by 山桜 at 09:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 園芸・庭仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月05日

大神(みわ)様参道のたこ焼き

 ちょっと間が開いてしまいましたが、大和路の旅日記を続けます。
先にお参りした大神教本院さんの先へと参道を進むと、ついさっき白玉屋さんでみむろ最中とお茶を戴いたばかりだというのに、またしても誘惑の香りが二人の鼻腔を刺激…くんくん…ケロロンが突然早足にタタタタタ…

 そうか〜 あの白玉いっぱい!は、『たこ焼きお食べ〜』のお告げだったかも〜るんるん

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 甘酸っぱいソースの匂いに吸い寄せられるように店先に立てば、「かど店」のおばさんは次々とたこ焼き型にタネを流し、大粒のタコや紅生姜などをポンポンと投入、あふれた分のタネも慣れた手つきで丸め込み、クルクルとひっくり返して見事なまん丸に…焼き加減をこまめにチェックし、脇目も振らずたこ焼きの面倒を見ておいででした。

 途中で丸みが少なかったり、ちょっと焦げすぎたりした分を見逃さずささっと脇へ除けるのもプロの早業。 こういう誤魔化しのない正直さが、又お客さんを呼ぶんですよね。 

 前の人が沢山買って、『あ〜うちの分が無くなるかも…』とドキドキしましたが、いくつか除けてもちゃ〜んと足りる数だけ焼いてはるんですなぁ お見事! そうしてやっと順番が来て、おばさんが働き者のあったかい手で器に盛ってくれたたこ焼きは…

 「おおっ大きい〜! 東京の倍もありそう!?」

その上、さっき規格外でハネてた分をポンポンと山積みに重ねてくれました。 

 「わっ、オマケ! ありがとうございます〜なんか、懐かしいなぁ…」

 昔は東京でもね、こんな風でしたよ…。 今ではこういうオマケの嬉しさ、殆ど忘れかけていましたけど。 

 ソースもマヨネーズも全部かけて貰って、アツアツのたこ焼きを、もう歩き始めると同時に頬張るケロロン…大神の神様、本当にお行儀が悪くてすみません(。。;) 私も立ち止まりふぅふぅして戴きましたが、なにせ大粒なもので中まで冷めません。 慌ててハフハフしたものの、すっかり口の中を焼いてしまい、旅の間中ずっ〜とヒリヒリのままでした。。。 

 アツアツの思い出と共に、今まで食べた中で一番大きくて美味しくて優しさの詰まったたこ焼きでした。 「村上かど店」のおばさん、ご馳走様でした。 この写真を見る度、あの味とやさしい笑顔を思い出します。 いつまでもお元気で〜きっと又おばさんのたこ焼き戴きに参りますね〜^^揺れるハート

(「村上かど店」の女将さんの承諾を得て撮影させて戴きました。)

posted by 山桜 at 09:56| Comment(16) | TrackBack(0) | 旅歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする