2010年05月28日

こんてむつすむん地

Contemptus Mundi
posted by 山桜 at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「神がさす」

 
「神がさす」

 少し前の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の中で、水木しげる先生が奥さんに語って聞かせていらした言葉です。

 水木先生曰く、「魔がさす」と反対で「神がさす」と人は知らず人助けをしてしまったり、良いことをしたくなったりするのだそうです。

 私は「神がさす」と「光明がさす」風景も浮かんで来て、神様が何か良い巡り合わせをもたらして下さるようにも思えます。 丁度ここ数日の私には、きっと有難いことに「神がさして」下さったようで…。

 不思議と長い間思い煩っていたことから次々と解放されていきます。
肩に背負った重い荷物がふわりふわりと離れていき、心浮き立つ思いです。 そうなると、自然、人にも優しい気持ちになって笑顔も満開に♪
「神がさす」と良いことの連鎖も生みますね。


 同じ放送回の中で、水木先生が漫画原稿の裏を繋ぎ合わせて張り出したゲーテの言葉も忘れられないものでした。(どうも水木先生は思ったことを紙に書いて張り出す癖がおありのようです。 今も「ゲゲゲの女房、ドラマ化 放送始まる!」のような張り出しがお宅にあったのを番組で見かけました^^)


 「意志の力で成功しない時には好機の到来を待つほかない」

 「人は努力している間は迷うに極まったものである」

 「自分自身を知るのは楽しんでいる時か悩んでいる時だけだ」



 これらが書かれただらりと長い紙を張り出した後、水木先生は、心酔し戦地にまで持っていかれたというゲーテ数冊を、渋る奥様に薦めながら、

 「嫁なら読め!」

 と仰った台詞は、実話にあるのか俳優さんのアドリブなのか。
 戸惑いながら気恥ずかしそうに笑いあうお二人の姿が微笑ましく、ちょっこし萌えでした、ふふ♪
posted by 山桜 at 17:02| Comment(14) | TrackBack(0) | 心に残る言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月08日

「見えんでも、ある」

 4月から始まった、NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」(原作:漫画家・水木しげる夫人、武良布枝さん)[番組公式サイト]は、久しぶりに続きが楽しみで朝が来るのが待ち遠しい作品です。 なんと主人までが、見逃した回を土曜のBS2でのまとめ放送で見たいと言い出して、こんなこと「はっさい先生」?以来かも、ビックリでした。
 

 「見えんでも、ある。」
 「見えんでも、おる。」

 ノッボで内気で自分の気持ちを表すことが苦手な主人公・布美枝の子供時代、いつもやさしく見守り励まし昔語りをしてくれていたお祖母ちゃんが、繰り返し伝えていた言葉です。

 目に見えなくてもあるもの、おるもの、それは神仏とか霊魂とか妖怪とか妖精とか…存在の有無が証明されにくいものばかりではありません。 例えば、子を思う親の心。 それは目には見えませんけれど、確かに私の内にあります。

 孫を思う祖母の心。 毎朝手を合わせる写真の笑顔を見る度に、優しい声を思い出す度に、好きだった花やものに触れる度に、確かに私の心を温め励ましてくれます。 たとえ私が思い出さない時でも、いつも私の内に住んでくれています。

 布美枝さんのお祖母ちゃんも、今もずっと「見えんでも、ここにおるよ」と(ナレーターも勤めながら^^)見守っていてくれます。 


 金子みすず の詩「星とたんぽぽ」は、あまりにも有名です。

     「星とたんぽぽ」      金子みすず

      青いお空のそこふかく
      海の小石のそのように
      夜がくるまでしずんでる
      昼のお星はめにみえぬ

         見えぬけれどもあるんだよ
         見えぬものでもあるんだよ


      ちってすがれたたんぽぽの、
      かわらのすきに、だァまって
      春のくるまでかくれてる
      つよいその根はめにみえぬ

         見えぬけれどもあるんだよ
         見えぬものでもあるんだよ

 
 同じようにそこに存在する景色の中に居ても、見える人にはあるものが見え、見えない人にはあるものが見えない。 そんなことも日常よくあることです。 自分の目で見たことしか信じないという人もいらっしゃるでしょうけれど、私は、「見えんでも、ある」ことを感じ信じられることが嬉しいのです。


          
posted by 山桜 at 20:26| Comment(16) | TrackBack(0) | 映画・ドラマ・芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

東大寺「修二会」最終日

《2010年3月14日》
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 山の辺の道を歩いた後、柳本の駅からJR桜井線(万葉まほろば線)で奈良駅へ戻り(駅の観光案内は17:00にシャッターが閉まります! 観光案内地図などは早めにゲットしておきましょう。 私たちに地図を渡し、ものすごい早口で説明して下さった直後にガラピシッと閉めはりました…。)

 東大寺へ向かう循環バスに乗って門前でバスを降り、17:27やっと遅い昼食?「にしん蕎麦」をいただき元気を盛り返し、参道で出迎えてくれた鹿さんたちをろくに構いもせず(ちょっとだけ遊び…ケロロンに「ついて来るから構っちゃダメ!」と叱られました;;)

 東大寺南大門をくぐり…
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 修二会最終日を迎える東大寺二月堂前へ足を早めました。 最終日はあまり観光客に知られていないので、有名な12日の「お水取り」よりは人出が少ないらしいとはいえ、混雑は避けられない(観光案内の方談)そうで、いい場所に立てるか不安でしたが、なんとか上手く拝めそうな位置に入ることが出来ました。 後から来て背の高い人〜、前に立たないで〜 お帽子脱いで〜(禿てて?)カメラの三脚上げないで〜(泣;;)

辺りは明るく、まだまだ時間があるなぁ…と思っている内に暮色が迫り明かりも点りだしました。 この明かりが消えるといよいよ始まるというサインだそうです(アナウンスでそう聞いたのですが、真ん中の街灯は最後まで消えませんでした…)
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 18:01        18:13        18:23
 18:31        18:36        18:37
 18:38        18:39        18:39
         
 18:35 向かって左の階段を駆け上がってくる火の玉が見えました!
それがダ〜ッと目の前の欄干を左から右へ横切ってゆき、右の隅で止まったかと思うと、次の火の玉がまた現れて駆け上りダダ〜っと横切っていきます。 普通この火の玉は次々と現れては駆け抜け去っていくのだそうですが、最終日だけは最後まで10個の火の玉全てが欄干に留まって揃い踏みを見せてくれます。

 火の勢いが落ちそうになるとぶんぶん回したり上下に揺すったりして勢いを上げています。 何だかものすごく元気いっぱいの火の玉もあれば、割りに穏やかに漂っているのもいて、なかなか個性的です。
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 欄干に横一列に勢揃いした火の玉は、まるで連獅子の如く激しくぶんぶんと回り踊り狂い辺りに火の粉を滝のように撒き散らしながら、炎の乱舞の最後を飾ります。 今こうして写真で振り返ってみれば、なんと始まりから終わりまで、たったの5分間! とてもそんな短いひと時だったとは思えません。 人の体感時間って本当に不思議です。 

 このありがたい火の粉を浴びることが出来る場所に入れるのは限られた東大寺の徽章を持つ会員、それも男性だけとのことで・・・私もケロロンも永遠に無理ということですね〜残念! そう遠くない所から素晴らしい行の修めを拝めただけでも何か良いことありそうな春の訪れの宵でした。

 思えば東京生まれの私が「お水取り」を身近に感じられたのは、幽黙さんに、「お水取り」の竹から削り出した茶杓を頂戴した時からでした。 それが今年はとうとうその場に来ることが出来ました。 奇しきご縁とお導きに感謝致します。

去年の日記: 「お水取り」で春到来
http://yamasakuran.seesaa.net/article/115474161.html

 

        *        *        *

【東大寺二月堂修二会(しゅにえ) <お水取り・お松明>】

*はじまり
 天平勝宝4年(752)東大寺開山良弁(ろうべん)僧正の高弟、
 実忠(じっちゅう)和尚によって始められたと伝えられる。
 以来平成21年の1259回まで一度も途絶えることなく続けられる
 「不退の行法」。

*「修二会」の名の由来
 現在3月1日より2週間に渡り行われるこの法会は、元来旧暦2月1日
 から行われていた為、二月に修する法会で「修二会」と呼ばれた。
 二月堂の名も由来も同じ。

*「お水取り」の名の由来
 行中3月12日深夜(13日午前1時半頃)、若狭井(わかさい)という
 井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる
 「お水取り」の儀式が行われる為。

*「お松明(たいまつ)」の名の由来
 この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、
 夜毎大松明に火が灯され、参集した人々を照らし出す為。

*法要の全体像
 ・12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める
  練行衆11名の僧侶が発表される。
 ・翌2月20日より、前行「別火(べっか)」が始まり、
  3月1日からの本行に備える。
 ・3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)の間、
  二月堂に於て修二会の本行が勤められる。

 「修二会」の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい、我々が日常に犯している様々な過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で練行衆が懺悔し、「天下泰平」「五穀豊穣」「万民快楽(けらく)」等を願い祈りを捧げる行を勤める。 前行、本行を合わせほぼ1ヶ月、準備期間を加え3ヶ月に及ぶ。
 
 華厳宗大本山 東大寺公式HPより抜粋編集

posted by 山桜 at 18:21| Comment(14) | TrackBack(0) | 旅歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする