2012年11月14日

お茶の花

 先日、「炉開き」という名の椿がお茶の花に似ていると書いたのですが、意外に目にはしていてもお茶の花と気付いてない方も多いようです。 茶畑では樹勢を保つために花を摘んでしまっても、こちらでは民家や畑の生垣などにも沢山のお茶の木が植えられており、そこではほのかな香りを放って咲き放題です。 福々しく実って三つに割れた莢から零れ落ちるお茶の実を集めて遊んだ記憶も懐かしいものです。

 「茶の花も口切ひらくつぼみ哉  回山」

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 (新茶を詰めておいた茶壺の)口切の茶事の頃にお茶の花の蕾もまた開き始めるという自然の妙。 その蕾のころんとぶら下がる可愛らしさは椿には無い素朴さです。 五弁ある花びらの2弁が小さくてどこか不完全な様子も侘びていて、流石はお茶の花…なのですけれど、茶花には用いられているのを見ないように思います。 

 山茶花が茶花として入れられないのは、名に「茶」の字が入っているので重複しないよう遠慮するのだとか、「さざんか」という語感が「さんざん」を連想して喜ばしくないのだとかうかがいます。 お茶の花もやはり(表流では)侘び寂びの心から重なりや尽くしを避ける傾向があるので、用いられないのでしょうか。 それとも、大切なお茶の木の枝を切るのは畏れ多いという気持ちからでしょうか。

 チャの学名は「Camellia sinensis(中国の椿)」ですし、「素椿」とでも名付けてそっと仲間に入れてやりたい気持ちです。 (「素」の漢字には、染められていない白絹、白いという意味もあります。)

 そういえば、近頃「お茶の花」に含まれる「フローラテア・サポニン(茶花サポニン)」にダイエット効果があることが認められ、有名メーカーからも清涼飲料やサプリとして製品化されています。 余り人に気付かれることなく楚々として咲き続けていた白い小さな花は、俄かに注目が集まって嬉しいような恥ずかしいような気持ちでますます俯いてしまうかもしれませんね。

 お茶の花の花言葉:「追憶」「純愛」 

ラベル:茶花 椿
posted by 山桜 at 00:00| Comment(13) | TrackBack(0) | 山川・自然観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月06日

暴走〇〇?

 (久し振りの雨が乾いた心に沁み、書けずに縮みこんでいた心を覚ましてくれました。)

 シャドーキャビネットなどと気取っていても到底政権運営能力のあろう筈ないあの未成熟な民主党が政権をとってしまった時、呆気にとられての脱力とともに一瞬、青島氏が都知事になってしまった悪夢を思い浮かべました。 あの時一番ビックリしたのは当のご本人だったのではないでしょうか。 イジワルばあさんがちょっくら引っ掻き回してやろうと思っていたら、本当に知事をやらねばならなくなってしまい、洒落にならない事態でした。 民主党もマサカの事態にさぞや慌てたことでしょう。 

 どんな時でも優れたバランス感覚は失わない日本国民が、あのように一気に極端に振れてしまうとはどうしたことか。 一斉にシーソーに乗ってバランスがとれるように自分なりに塩梅し左右を選択した積りが、まさかの一方への怒涛の偏りになってしまい…自民党政治に愛想が尽き政権交代までは願わないもののきついお灸をすえる積りだったのが、そう思う人々があまりにも多すぎて政権をひっくり返してしまったということだったのでしょうか。

 そんなマサカのアンバランスで気持ちの悪い日々がこんなにも長く続き、日本の国力がジリジリと低下していく様子には我慢も限界です。 いつまでこんな状態を許しておくのか、野党も国民もだらしがない!

 やむにやまれぬ大和心で奮起された石原前都知事に拍手です。 若い人にその覇気が無いのは情けないけれど、手本を見せる大人が少ない現在、石原氏のように行動を起こし、その背を見せ何とか育てていかねばなりません。 氏は、当初は歓迎されてないように見えた都の職員にも、最後は涙を流すほどに惜しまれていました。 氏の元での仕事は、大変だったかもしれませんし全てが成功した訳でもありませんが、やりがいがあり面白かったのに違いありません。 氏は都知事になられた時から「東京から日本を変える」ことに取り組んで来られ、その為にこそ今回、次の段階に上がられたのだと私は思っています。  決して「途中で投げ出した」のではないのは明らかです。

 何かをなして行く時、あわや暴走に見えるほどに大きな力で牽引する機関車は必要です。 一部のみを取り上げて報道されると乱暴に思えるような氏の言葉も、全体の流れからすれば決して筋の通らないことではなく、世論を喚起する一種の起爆剤として敢えて用いている部分もあると思います。 (誰かにとって不都合な人物を、悪意を持って作為的に貶めるあの報道手法に惑わされてはいけません。 一体あれは誰にとって得なのかを、一旦踏み止まって考えてみることが必要です。)

 さて、野田総理、名を挙げるのも不愉快なあの人やかの人よりはマシですし、友達になれそうな好人物かとも思いますが、よりによってあの人物を文部科学大臣に任命するとは、一国の総理としての末期症状極まれりです。 彼女がどうせ短いだろう任期を睨んで己の足跡を残すべく、何かしでかすのではと嫌な予感がしていましたが、やっぱりやられました。

 少子化社会でむやみに大学を増やすべきではない。 不法就学生の受け皿にしてはならない。 その大意には賛成ですが、何故今この進路決定の大切な時期に、多くの真面目な若者の夢を砕き、何年もかけて指導し指導を受け開設に向けて取り組んでこられた人々の努力を踏み潰さねばならないのでしょう。 時代の流れの中で自然淘汰の閉学もあれば、本当に今必要な開学もあるでしょう。 今回の新設申請大学を認可できない理由があるのなら、それらを直ちに明らかにすべきです。 まさか「何が何でも増設はダメ」という単純な門前払いではありますまい。 だとしたら訳の分からない暴走をしてるのは、ご当人に他ならないではありませんか。
 <<追記:なんとまぁ、先程これを書いている間に、不認可を取り下げたとか。 事務方の伝達ミスの所為にして…?>>

<<しかも
 「3校のどこが悪いなんて具体的に知りませんし、
  悪いとも思っておりません」
 と、お答えいただきまして、全く恐れ入りました。>>

 父君は「人間ブルドーザー」などと評され、時に横暴なほどの強烈な力を揮いながら、どこか憎めない愛される個性もお持ちでした。 残念ながら彼女にはその遺伝子は影をひそめ、行動・言語からは精神的な病をお持ちなのではと心配にさえなります。 どこもお悪くないのだとしたら、先ず夫君の教育からやり直され、そのご手腕を証明していただきたいものです。 

 「日本国の理想像」を明確に持たず語れず築けずの政治家に用はありません。

 同じく私たち一人一人も「我が国のあるべき姿」を思い描き、そこに向けて出来る務めを果たしていかねばなりません。 世界的に見れば、まだまだ日本は安定した国に違いはないのでしょうが、崩れ始めた足元は直ぐに手を打たねば手遅れになります。 最早、誰かが何とかしてくれるのを待っている時ではないのです。

(長々書いたわたくしの思いのたけを、大切な時間を割いて最後まで読んでくださりありがとうございました。)
ラベル:政治 教育
posted by 山桜 at 19:37| Comment(7) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする