2015年02月28日

森林塾 体験会

 憧れの森林インストラクター東京会(FIT)の森林塾の体験会に参加してきました。

 先ず頭に手拭を巻きヘルメットをかぶり、首にはタオル、手には作業手袋、腰には大鋸と手鋸の2丁をぶら下げ、イザ山へ出発!

 山のお薬師様で作業の安全をお祈り。 年初めに切株を飾って安全祈願の祝詞を奉じた跡を興味深く拝見。 来年は是非、私もこのお祈りに参加してみたい。 

 作業場所へ向かう途中、小熊が木に攀じ登って食事をした跡「熊の棚」を教えて戴き感動、またあちこちにイノシシが食べ物を探して掘った穴、ウサギなどのフン・・・この山で生きている動物達の息吹を感じる。 

 今まで、庭の木を伐ったり、キャンプクラフトを作ったりでノコギリを使ったことはあるものの、きちんと使い方を習ったのは初めて。 急で柔らかな斜面は足場の確保も難しく、力を入れると段々と足がめり込んだり位置が変わったりで、常に自分の身体の中心(おへそ)に向かって真っすぐ同じリズムで引き続けるのはなかなか大変。 切り口を見れば、仕事の経過や質がしっかりと出ていて・・・。 どんどん作業に参加して腕を上げていきたい。
 
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午前中のノコギリ講習・垂直伐りと水平伐りを終えて、ガテン属のお昼休み

午後はヒノキの間伐。 生きた木を一本、皆で力を合わせて切り倒す。
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伐った木をきちんを定めた方向に倒すには、最初に鋸を水平に入れる向きが大事。
倒す位置の目印に向けノコギリを入れる人・ノコギリの方向にずれが生じていないか上から見る人

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伐り倒した木の枝を払い、皮むき作業の場所へ皆で力を合わせて引き上げる

ズシ〜ンと木が地に倒れる時の音はまるで猛獣を打倒したような重々しさ。
枝枝を払っていく様は、その獲物の手足を切り取っていくよう。
やがて皮を剥くと、既に春の水を吸い上げていた樹液が噴き出し顔に跳ねる!
赤い表皮の下からは艶めかしい肌色が現れてハッとする。

今に先輩方のように木にするすると登ってロープをかけられるようにもなるのだろうか?
山の中で汗を流して働く作業は清々しく、どんどん嵌って行きそうな予感。

(安全確保の為、作業中の写真撮影などは禁止されていましたので、主催側で撮影してくださったものを使用させて戴いています。 で、珍しく山桜、写っております。 昼休みの写真は山桜撮影。)
posted by 山桜 at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 森林保全活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月27日

雨上がりのクリスマス・ローズ

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 今日も最高気温が16℃と上昇、2月4日に蕾の写真を載せたクリスマス・ローズは、たっぷり降った雨水を存分に吸い上げ春の光を身いっぱいに受けて、今を盛りと輝いています。

 さて、日本在来の春の妖精たちのお出ましは未だかとあちこちの土の膨らみをそっと探ってみましたら、福寿草と雪割草の蕾が少し覗いて来ていました。 こうなって来るともう、毎日庭のあちこちから目が離せません!
posted by 山桜 at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 園芸・庭仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月22日

建国記念日に寄せた校長先生のブログ

 愛知県一宮市の市立中学の校長先生が建国記念日の由来について中学生に語りかけるように書いたブログにクレームが入り、教育委員会の指摘を受けて削除されてしまいました。 その全文が産経新聞に掲載されていました。 下の産経新聞のリンク先記事からこちらに引用いたしました。 是非、私のコメントなどの先入観なしに一度読んで戴きたいと思います。

 そもそも、建国記念日にその由来を教えない国が世界中のどこにあるでしょうか? 多感な中学生という年頃に、このような素晴らしい校長先生の教えを受けられる子等は幸せです。 

 
 ≪愛知・一宮市立中学校長のブログ全文≫

 2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。

 仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。

 税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。
三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。

 「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」

 そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。

 皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」

 すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。

 この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。

こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

 「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

 それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。

 このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。

古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

 私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。(原文のまま)

posted by 山桜 at 00:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月12日

蕾ほころぶ

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ポカポカ陽気に誘われて、庭の梅の蕾がやっとほころびました。
「冬至梅」という早咲きの品種で、早い時は年内〜一月早々に咲くこともあるのですが、今年はゆっくりのお目覚めでした。

  枝々に蕾まろびて兆す春  山桜

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こちらは、山茱萸(サンシュユ)。 秋に赤い茱萸(グミ)* のような実がなりますが、日本では実よりもマンサク等と並んで春一番に咲く黄色い花が喜ばれ、「春黄金花(ハルコガネバナ)」とも呼ばれます。

<2015-08-11 追加訂正>
*「茱萸」と書いて「ぐみ」の訓読みがあてられていますが、日本でいう「(ナワシロ)グミ」に相当する漢名は「胡頽子」であり、「茱萸=グミ(の仲間)」の認識は誤りです。 

 元々漢字の「茱萸」は単に「朱い実」程の意味で、そこに「山」「食」「呉」等がついて、特定の植物を指す固有名詞になります。 但し、今や中国でも文献に残る古名が現在のどの植物に相当するのか特定が難しくなっている所もあり、日本で誤用されていた固有名詞の逆輸入現象もあるようで要注意です。
<「武蔵野自然塾 梅田彰様のご指摘により訂正いたしました。 
 梅田様、貴重な情報ありがとうございました。
 尚、過去の「山茱萸」関連記事「重陽の節供」にも梅田さまの情報を参考に訂正を入れましたので、ご興味がおありの方はご確認ください。> 

ラベル:ウメ サンシュユ
posted by 山桜 at 00:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 園芸・庭仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月04日

聖心と清心

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 先日書きました「丁寧に生きる」の中でノートルダム「清心」学園 の文字をご覧になり、「聖心」の誤りでは? と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか? 東京では、皇后陛下美智子様、第8代国連難民高等弁務官・緒方貞子さん、小説家・曽野綾子さんなどの卒業された「聖心」女子大に馴染みがありますので、私も「あら?」と思いました。

 各大学のHPなどを読みますと、

「聖心」は、イエス・キリストの「愛の心」
「清心」は、聖母マリアの「清き心」

 を示す言葉のようです。

「聖なる」を意味する'sacred'は、「犠牲・いけにえ」を意味する’sacrifice'からの派生語だったと思います。 人々の罪を背負い身を捧げられたイエス・キリストの心こそが「聖なる」ものとされるのでしょうか。 「聖心」にはイエス・キリストの心臓そのものを示す意もあるそうです。

 「犠牲」という日本語は重苦しい言葉ですが、「無償の愛」と置き換えることができましょうか。 「無償の愛」はマリア様の「清き心」にもつながるような・・・。 すみません、幼い頃に日曜学校に通い、イエス様降誕の劇などをした思い出はありますが、カトリック信者ではないので、想像で書きました。 誤りがあれば、ご教示戴けると助かります。

<写真はクリスマス・ローズ・ニゲラ 白洲正子さん命名の別名「初雪おこし」>
posted by 山桜 at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 気になること思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

豆の力

 今日で大寒も終わり、節分の日です。
 豆まきで滞った邪気を払って新しい春を招きましょう!

 古来わたくしたちのご先祖様は、穀物に備わる生命力を尊び、魔除けの呪力を持つと信じて来ました。 あの一粒一粒に生命が宿っているのですから、それが集団となって襲いかかって来たら、たとえ鬼さんと言えども逃げ出す迫力に違いありません。 

 今日、鎌倉とんぼさんに、

 「人間マメに働けば、鬼も退散して魔も寄りつかない」 

 というお言葉を戴きました。 

 昨日書いた「丁寧に生きる」ということにも通じます。 こうして念を押すかのように、続けて教えて戴けたということは・・・どうやら今年の私の指針は決まったようです。 ありがとうございます!

 
 ところで、鬼さん縁の地方やお宅では、鬼さんも追い祓わないというお話は良く知られていますが、「豆を鬼に振る舞う」所もあるのだそうです。 つまり、鬼に豆をぶつけるのではなくて、「おいしいお豆をどうぞ〜」とばかりに撒かれるのにつられて、鬼さんもお豆と一緒に外へ行ってしまわれるのだとか。 何だか優しい心持になりますね。 
ラベル:節分
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2015年02月02日

丁寧に生きる

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 時間の使い方は、そのまま
 「いのち」の使い方です。

 丁寧に時間を使うと
 丁寧な人生が残ります。

     <ノートルダム清心学園理事長 渡辺和子>


 どうも雑な使い方ばかりしているようで、ハッとしました。
 あれもこれもやりたがって時間が無い無いと言う一方で、やりたいことをやっている時でも、「やらなくてはならないこと」が終わっていないと気になって心から楽しめない。 

 「やりたいこと」 も 「やらなくてはならないこと」も どっちも中途半端。 雑な人生ばかりそこらじゅうに残してきて恥ずかしいことです。 

人はそう急に変われない? 
 それでも明日は節分、雑な自分を豆で追い、新しい春から丁寧な人生を紡いで行けるよう心がけてみましょうか。




 (写真: 池の氷が夕刻まで解けずに残っていました。)
 *−−−−−−−−−−*−−−−−−−−−−*

 危険地域に於いてもご自分の使命を信じ、丁寧に果たされ続け、丁寧な人生を残された後藤健二さんに哀悼の意を捧げます。

 各著書は現在一時的に在庫切れとなっていますが、重版されることと思います。 残されたご家族の為にも読み継がれていきますように。






ラベル:渡邊和子
posted by 山桜 at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 心に残る言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする