2017年12月13日

ぶらり江戸散歩「神田山・湯島台・駿河台」

 この日の「ぶらり江戸散歩」研修で一番驚いたのは、このお茶の水の谷が人が切り開いたものだということでした。 有名な話なのでしょうか? 母の実家が神田明神の氏子でありながら、ここら辺に住んでいた訳ではないので、恥ずかしながら、そんなことはちっとも知りませんでした。

お茶の水錦絵広重 (440x279).jpg【お茶之水之図 廣重】

その他の「お茶の水」錦絵

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国立国会図書館「錦絵で楽しむ江戸の名所」より

【神田山⇒湯島台・駿河台】
 今、神田川やJR線を挟んで向かい合う「湯島(本郷)台」と「駿河台」は、かつて「神田山」と呼ばれた一続きの台地だったそうな! ここで「ブラタモリ」なら復元図がど〜んと出るんでしょうね。 というか、私が見逃しただけで、タモさん、既に訪問済みでしょうか?

 江戸に幕府を開いた家康は、新しい町づくりをする為に、その「神田山」を切り崩し、江戸城南の日比谷の入江(現在の日比谷公園〜新橋周辺)を埋め立てたところ、それまで海に流れ込んでいた平川(その頃の神田川)の流れが滞り下流で洪水が頻発。 二代将軍 徳川秀忠の命を受けた仙台藩主 伊達正宗が元和六年(1620)、水害防止の為の神田川放水路と江戸城の外堀を兼ねた「仙台掘」として開削したことで「神田山」は南北に分離され、現在も「茗溪」の名を遺す風光明媚な渓谷が形成されたのだそうです。

 削り取った土をどうしたのかと思ったら、埋め立て目的の方が先だったのですね。 災害を防ぐ為に必死だったとはいえ、こんな大規模な土木工事、今だって大変なことと思いますのに、よくぞやり遂げたものと徳川の民を思う心と多くの人を動かす力に感服です。(「直虎」を見終わったばかりなので感情移入し過ぎているかな?)

【なぜ駿河台?】
 江戸を離れていた家康が駿府で没した後、駿河から戻ってきた旗本たちは、江戸城近くで故郷の富士山を拝めるこの台地を選び屋敷を構えました。 駿河衆が多く住んだこと、駿河国の富士山が見えたことなどから、駿河台と呼ばれるようにったということです。 今もその御屋敷跡の長い塀や広い敷地の名残をぶらり散歩しながら偲ぶことが出来ます。

【ちょっと寄り道、こぼれ話】 
 ところで、「仁−JIN」という村上もとか先生の漫画原作ドラマをご存知でしょうか? その「南方 仁先生」が、転げ落ち幕末にタイムスリップするのが、湯島台側、今は順天堂大学の医学部付属医院がある側のあの崖だ!と、子供の頃から見覚えのある風景なので直ぐにそう気が付きました。 順天堂と仁友堂など名称も因んでいますし、順天堂がモデルなのは間違いないのではと思っています。
(上の錦絵を同じ構図−右側に建物がある―で向こうに富士山が見える絵があるので、向かって右が湯島台で順天堂がある方と思います。)

 気になって確かめてみたら、本当に順天堂がモデルでした! なんと、校是が「仁」なのだそうです。 もう一度ドラマも見てみたいなぁ 再放送、ないかしら。
順天堂医院ニュースNO.29 
順天堂大学医学部附属順天堂医院 発行
 

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posted by 山桜 at 00:00| Comment(0) | 山川・自然観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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