2018年01月28日

表現の源

 人が何かを表現して人に伝えたいと思う原動力は何か。 「感動」と一口に言ってしまえば安っぽいが、「心が強く動いたこと」、それこそが、その源であると私は思う。

 「美しい」「素晴らしい」「心ときめく」生きていれば、そんな喜ばしい感動ばかりではない。 2度と味わいたくない「嘆き」「哀しみ」「苦しみ」による感動も襲い掛かってくる。 

 多くの人はそのような時、負の感動は表に出さず、何事もなかったかのように振る舞うことを美しい生き方と思うのだろう。 しかし私は、そこから目を逸らし、この溢れる感情を抑えて無きものにしては勿体無い、いっそのこと、心の奥底からえぐり出し味わい尽くしてやろう、経験した者にしか分からない底知れぬ心の痛み、傷み、悼みの感情を、どうしたら表現できるか取っ組み合ってみようと思うに至った。 

 見えないように埋めて知らぬ間に腐らせ消し去るのではなく、見えるところに引っ張り出して、悲鳴を上げながら傷口をブラシと冷たい水でよくよく洗い、感情的になったり客観的になったりしながら傷口を見詰め直し自分なりの表現と格闘した上で、自然とにじみ出たものでカサブタを作ったり、元より丈夫に縫い合わせたりが出来たらと思う。 元通りツルンと治る部分もあれば、傷跡を残す部分もあるだろう。

 その表現は時に拙ブログに顔を出すこともあり、突然なんなのだ、こんなものを見せられてどうすればいいのかと面食らわれた方多数と思う。 人の目に触れるところに出すという決心無しには、感情の表現を「形」として昇華することが出来ない私、締め切りが無いと作品を仕上げられない私、時に現れる見苦しいもがきの軌跡、どうかお目こぼしあれ。


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posted by 山桜 at 23:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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