2019年03月04日

「かわいそう」「ごめんなさい」と言わないで



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「味覚が鈍くなってしまって、可哀想」
「好きなものも食べられなくなってしまって、可哀想」
「すっかり痩せてしまって可哀想」 

 2年前の日々、知らず知らず主人に「可哀想」を繰り返していた私に、ケロから、

「もう可哀想って言わないで」
「可哀想って言われる方が可哀想だよ」
「可哀想な人生なんかじゃない!」

 と言われて、ハッとしました。

 辛く苦しい症状で横たわっている人が、悲しそうな顔で覗きこまれ「可哀想に」と言われたら、どんな気持ちになるか・・・。 本当に娘に言われるまで気付かないなんて、馬鹿な私は考えなしでした。 

 それなのに、今度は旅立ってしまった後、何につけても、

「もっと早く気付いてあげられなくて、ごめんなさい」
「自分が先に入院なんてしてしまったから、ごめんなさい」
「もっともっと優しくできなくて、ごめんなさい」
「あれもこれもしてあげられなくて、ごめんなさい」

 そんな風に「ごめんなさい」を繰り返しては泣いてばかり・・・。

 これには、流石に自分ながらいけないと気づきました。
 家族を残して旅立った人が、一番「ごめん」と思っているでしょうに、反対に謝って泣かれたら、どんな気持ちになるでしょう。 それこそまた「可哀想に」と言っているのと同じです。

 可哀想な人生などではなく、沢山の仕事をして後を継ぐ人も育て、私や娘を沢山笑わせて幸せにしてくれた人生。 人懐っこい笑顔と笑い声を沢山残していってくれた人生。 今、私がこうして生きていられるのも、みんな貴方のお蔭です「ありがとう」と、言えるようになりました。

 一人で決められない時、問いかければ、Kさんの声が聞こえて来て助けてくれます。 Kさんなら、きっとこう答える、こんな風に考える、そう心に浮かぶのは、それだけの長い年月共に暮らして来たからこそで、それこそがKさんが存在していた、いえ、存在し続けている証しです。

「いつも一緒にいてくれて、ありがとう」
「ありがとう、これからもよろしくね」
 
ラベル:Kさん
posted by 山桜 at 20:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする