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明石城址は、もっと奥の方まで広がっているようですが、出かけるのが遅かったのであまり時間に余裕なく、薬研堀のある東側から出て、目当ての方面へと向かいました。 暫く歩くと住宅の前に見慣れぬ植物を発見!

(玉井人ひろたさんより
「ニセカラクサケマン」とご教示頂きました。ありがとうございます!)
さて、観光案内所で頂いた地図を片手に探しても、次の目的地「明石神社」が分からず道行く人何人かに、
「明石神社へは、どの道を行ったら良いのでしょうか?」
と尋ねたのですが、そもそも「明石神社」を知らない方ばかり。 地名を頂く有名な神社とばかり思っていたので意外でした。
ふと、上を見ると「時の道」の表示が! 分岐した道の右でも左でもなく真ん中を上るとは、これは盲点でした。 坂の多い町は、平面的な地図では難しいですね。 等高線が必要ですよ・・・(^^;


弥生時代、古墳時代の遺跡が発掘された跡に作られた公園。
倒壊予防処置?が施されていた。 幾ら補強されていても、この中で休む気持ちにはなれないかなぁ
説明書きには、美味しそうな海産物名が・・・古墳時代の昔から明石では蛸壺でタコを捕ってたのですね。


「明石神社」鳥居
天和2年(1682)創建の古社と思いきや、鳥居は新しく境内もさっぱりしていて、想像とは全く違いました。 これもあの阪神淡路大震災の被害を受けてのことなのでしょう。

その鳥居のすぐ脇の竹の棹には、オレンジ色のモヤモヤが沢山付いていました。 サビ病の一種が出ているのだろうと思います。→ さび病菌の一種メダケアカゴロモ病菌の仕業でした。

境内
この右手には、真っ白なコンクリート造の社殿があって、中には明石城下で築城時〜明治維新まで時を告げていた時打ち大太鼓が奉納されてもいるのですが、何となく「不本意である」という雰囲気を感じて写真を撮れませんでした。 第九代明石城主 松平直常が松平家の先祖、徳川家康、松平直良、直明の霊を祀ったのが最初ということなので、東照宮のような所だったのでしょうか。

手水鉢 には 天保十二年の文字が見えて、往時を何とか偲ばせてくれました。
勝手な想像ですが、宮司さんは、往時のような姿での再建を望まれていらっしゃるのではないでしょうか。 地元の方々のお気持ちもあるでしょうし、資金もかかることでしょうし、余所者が口を出すことではないですね。(つづく)

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