2023年06月28日
低山はいかい 戸倉城山・光厳寺〜広徳寺
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光厳寺から里へ下り、再び広徳寺へと登ってきました。
ヤブカンゾウとフランス菊
ヤブカンゾウもフランス菊も外来種ですが、もはや日本の里山の景色に馴染んでいます。
龍角山 広徳寺 臨済宗建長寺派
応安6年(1373年)開山(境域 東京都指定史跡)
心源希徹により開山。開基の龍応智雲尼の夫の正応長者が飼育していた馬が一本角の龍を産んだことに因み、「龍角山」の山号となすと伝わる。
(龍角散?と直ぐ違うことを想像するのが悪い癖)
一旦衰微後、北条氏康によって再興。後北条氏と関係が深く、関連文書が残る。
江戸時代には寺領40石。付近では高尾山薬王院や深大寺に次ぐもので、末寺24寺、塔頭3寺の大寺院だった。
総門(あきる野市有形文化財)19世紀前期
屋根の構造
僧門 裏手から
山門(三門)(あきる野市有形文化財)1720年築
大銀杏
鈴生りのギンナン
鐘楼 1759年 消火用放水施設?
本堂1765年・庫裏 1780年
屋根には後北条家の三つ鱗紋が並んでいます。
茅葺き屋根には、シダ(シノブ?)がびっしり!
本堂 裏手
茅葺き屋根に生えた植物
何が生えているのかじっくり観察したかったけれど、ちょっと遠すぎでした。
裏の池のコウホネ と ギンヤンマ?
モリアオガエルの卵塊
コウヨウザン(中国原産) タラヨウ(東京都指定天然記念物)実
カヤの巨樹(東京都指定天然記念物) 樹齢不明
入口の総門から離れたずっと奥なので、ここまで近づいてみたのは初めてでした。間近で仰ぐと実に堂々たる迫力! 猛暑ではない季節に再訪して、この丘でずっとカヤと一緒に佇んでいたくなりました。
供養塔 庚申塚など
ありがとう、戸倉城山!
最後に戸倉城山がまたも姿を表わし、炎暑で熱中症になりそうな中でも、最後まで頑張った私達を見送ってくれていました。
さぁ、もう一息、「ふりかえり」でのビールで乾ぱ〜い!を目指してガンバロウ!
(おわり)
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低山はいかい 戸倉城山〜光厳(こうごん)寺
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2023.06.28
FIT(Forest Instructor Tokyo)の月例会員交流の場「低山はいかい」で戸倉城山へ登った後の続きです。
戸倉城山からの岩だらけで転げ落ちる程の勾配を四肢を駆使して慎重に光厳寺の登山口へ下山。どれだけキツいかと言えば、皆さんの感想は・・・
「これは山に慣れてない人を連れて来るのは恐いね〜」
「無理無理〜!絶対にダメ!」
「人の心配はいいから、自分の安全確保!」
「いやいやいや、こんな所を下りるとは思わなかった・・・」
「・・・」ひたすら無言。
山桜も余裕無く、写真1枚撮っておりませんでした。因みにこの岩だらけの崖は五日市川上構造線の断層崖だそうです。
とは言え、さすがは全員森林インストラクター、誰一人遅れること無く無事に光厳寺へ下りて来ました。
武州禅窟 鷲峰山 光厳寺 臨済宗建長寺派
東大寺・良弁僧正が当地に創建した富倉山慶雲寺が前身。
足利尊氏の命で足利基氏が慶雲寺奥の院を改修、堂宇を整備。
建武元年(1334)建長寺三十八世正宗広智禅師を開山に迎えた。
南北朝動乱時、足利基氏が弥仁親王(後の北朝第四代後光厳院)
を当地に保護、「光厳寺」の勅額を拝領し寺号となす。
徳川家康の関東入国時、天正19年(1591)寺領20石の御朱印状を
受領、塔頭五寺、末寺二八寺を擁する中本寺格の寺院であった。
・・・またまた瓜亀仙人さんの大和奈良との関係が浮かび上がってきました。歴史は今も脈々と息づいていますね。
「こうごんじ」と読むのですが、「ひかるげんじ?」で「光源氏」や「光GENJI」を思い出したのは私だけ?
ホンモンジゴケ
アップで見ると、お釈迦さまの螺髪の様にクルリと丸まっていました。(濡れたらどうなる?)
池上本門寺由来のこのコケは、神社仏閣等の銅葺屋根の雨滴が滴る場所など、銅イオンの豊富な場所ばかりに生えるのだそうです。銅は植物には有害そうなのに、適応できる性質を持っているのでしょう。
ロープワーク 万一を考え、ヒゲ爺救護隊長は重いロープを持参して下さっていました。折角なので、ロープワークの実習です!
ふたえテグス結び 巻き付け結び
ふたえテグス結びで解けない輪を作り、ロープに巻き付け結びにして取り付けます。この輪に自分のロープを通して身体に回し、もやい結びでくくりつけます。
もやいとは「舫い」で、船を波止場に係留する時も用い、犬の首輪としてや被災者の身体などを締め付けずに確保する時にも使用する汎用度の高い結び方です。
もやい結び
当日、身体では覚えていましたが、はっきり思い出せなかったガールスカウトで習った覚え方は、
「お池の中からドジョウが飛び出し滝を潜ってお池にまたドボン」
でした。皆さん、覚えられたでしょうか?
お地蔵さま
戸倉城山
タイトゴメ? オノマンネングサ
タイトゴメは自生地(関東以西 海岸の岩場など)ではないので、持ち込まれたものか園芸種かもしれません。
ヒメウラジロ
橋から見えた清流
ウラハグサ(裏葉草)別名フウチソウ(風知草)
縞入 基本種?
清流
戸倉城山 再び
マルバマンネングサ
朝ドラ「らんまん」で話題の「マルバマンネングサ」の星形の花が咲いていてくれて感激。
バイカツツジ ハグロソウ
バイカツツジも沢山、ピンクの濃いハグロソウが印象的。
秋川沿いの藪漕ぎ
「え〜っ、ここはコースなの?」と言うような道なき藪にトライ! 冒険は楽しかったけれど、すこ〜し道を逸れていたようです(^^;)
ムラサキニガナ
大好きな紫のシャンデリアが栄養が良いのか見上げる程大きく育って満開でした〜♪
光厳寺にも落ちていた大きな杏がまた落ちていて、お寺では遠慮していた面々も思わず齧り付き、その甘酸っぱさで子供の頃に逆戻りしていました。
戸倉城山の絶壁度を再確認
何度も振り返り見た戸倉城山。最後に仰いだ山容で、嗚呼、あの絶壁を下りてきたのだと再確認。頑張って下りてきましたね〜
さぁ、いよいよ次は、名古刹 広徳寺です!
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低山はいかい 戸倉城山(434m)
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2023.06.23
FIT(Forest Instructor Tokyo)の月例会員交流の場「低山はいかい」、6月は戸倉城山〜光厳寺〜広徳寺と歩いて来ました。
戸倉城山には、嘗て、北条氏康の次男・北条氏照を養子に迎え家督を譲った大石定久が隠居した城がありました。北条氏照の滝山城と甲州方面の抑えの要・檜原城の中継地だったようです。1590年(天正18年)豊臣秀吉の「小田原征伐」により八王子城が落城すると共に、戸倉城も廃城に。城址には堀、土塁、井戸などの遺構。麓の光厳寺に居城があったと伝わっています。
西戸倉登城口から入ります。
山口神明社 鳥居 コンテリクラマゴケ
神明社(明治維新前は「神明宮」は、天照大御神をご主神として祀る神社で、嘉禎2年(1236)に小宮氏が勧請、天文年間(1532-1555)に戸倉城主大石門久が、城の鬼門除けとして再営したと伝わります。
薄暗い道では、コンテリクラマゴケの青白さが目立ちます。
戸倉城址案内
トチバニンジン
条件が良いのか、艶々の葉に綺麗に実った赤い実の整った姿でした。
道標 オカタツナミ
戸倉城山への登城口としては、西戸倉からが穏当です。光厳寺からの登りは、後に分かりますが困難を極めるのではと・・・。
オカタツナミは、上方の葉が大きく下すぼまりな姿が特徴。
ササクサ 城跡の石垣
笹だとばかり思っていたら「ササクサ」という草とのこと。今は大人しくしていますが、花序が長く伸び実ると厄介なくっつき虫となります。去年柏木山でつきまとわれたのが恐らくササクサの実ではないかと・・・。葉脈をよく観ると「あみだくじ」模様になっているのが面白い。
戸倉城山山頂(434m)からの展望
ヤマウルシ
早くも色づいていました。
ヤマウルシ ウルシ科 タカノツメ ウコギ科
ウルシ科、ウコギ科、それぞれの特徴を見せる実りの姿が面白い。
タカノツメ
タカノツメは、芽吹きの頃の葉が「鷹の爪」に似ていることから。三小葉で一つの葉です。
ナツハゼ ツツジ科スノキ属
青くはなりませんが近い仲間なので「日本のブルーベリー」とも呼ばれますが、それ程甘くは無く、酢の木属の名の通り酸っぱいです。
ツクバネ ビャクダン科ツクバネ属
名の通り、羽子板で衝く羽にそっくりです。
バイカツツジ
葉の下に咲くので、散り落ちて気づくことが多いのですが、樹高が低い木が多かったので目の高さで沢山見ることが出来ました。
トチバニンジン
またしても立派な個体! 余程トチバニンジンに適した地のよう。
コンテリクラマゴケ イワヒバ科(シダ)
こちら側にもコンテリクラマゴケが綺麗に生えそろっていました。中国原産のシダですが、青味を帯びた葉が美しく、お寺などで栽培されていたものが逸出しているのでしょう。
(つづく)
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