ご訪問&応援、ありがとうございます
<2024.01.29>
久し振りの観察園記録です。なかなか行けず、行けば仕事が山ほどで観察する時間が取れず・・・でした。今回も少なめですけれど、段々と春の動きが出てきています。
フクジュソウ
フクジュソウの仲間 ミチノクフクジュソウ
ナニワヅ/難波津 フユザンショウ
コクサギ ザイフリボク
ネジキ
コクサギ、ザイフリボク、ネジキは、何方の選定か分かりませんが「日本三大美芽」とされています。
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2024年01月31日
アオスジアゲハ 羽化
ご訪問&応援、ありがとうございます
2024.01.29
暖冬と室内暖房システムの不調が重なって、1月だというのに観察園管理棟内の気温が20℃近くまで上がり、アオスジアゲハが羽化してしまいました。園内には、アオスジアゲハの幼虫の食草である大きなクスノキがあり、自然繁殖していますが、観察のために管理棟内でも飼育しています。
狭い蛹用越冬ケースの中では狭すぎますし、かといって外に放しても吸蜜植物も咲いていないので、ケージの中に放すことになりました。ケージ内でも長くは生きられないと思いますが、せめて少しの間だけでも自由に羽ばたけたらと・・・
室内では冴えない翅色も、外の光では輝きを増します。
外の風に当たり、少し寒かったのかじっと動きませんでしたが、
相棒の手の温もりがつたわったって、あ、こっちに気がつきましたね。
「ありがと、じゃねっ!」
と手を挙げて?サヨナラです。成虫越冬は難しいと思いますが、束の間の羽ばたきを楽しんで・・・
もう他の蛹たちが羽化してしまわないように、卵からの孵化もないように、越冬生物たちは暖房が当たらない板の間に移しました。
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2024.01.29
暖冬と室内暖房システムの不調が重なって、1月だというのに観察園管理棟内の気温が20℃近くまで上がり、アオスジアゲハが羽化してしまいました。園内には、アオスジアゲハの幼虫の食草である大きなクスノキがあり、自然繁殖していますが、観察のために管理棟内でも飼育しています。
狭い蛹用越冬ケースの中では狭すぎますし、かといって外に放しても吸蜜植物も咲いていないので、ケージの中に放すことになりました。ケージ内でも長くは生きられないと思いますが、せめて少しの間だけでも自由に羽ばたけたらと・・・
室内では冴えない翅色も、外の光では輝きを増します。
外の風に当たり、少し寒かったのかじっと動きませんでしたが、
相棒の手の温もりがつたわったって、あ、こっちに気がつきましたね。
「ありがと、じゃねっ!」
と手を挙げて?サヨナラです。成虫越冬は難しいと思いますが、束の間の羽ばたきを楽しんで・・・
もう他の蛹たちが羽化してしまわないように、卵からの孵化もないように、越冬生物たちは暖房が当たらない板の間に移しました。
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2024年01月30日
低山はいかい 仙元山界隈 (6)西光寺へ
ご訪問&応援、ありがとうございます
(低山はいかい 仙元山界隈 (1)〜(5)は、開催日の1月24日に(1)を、以降続けての日付に移動しました。この(6)も、皆さんに概ねご覧頂けた後、そちらの続きに移動します。)
里の風景に癒やされながら歩いていると、イチョウらしい樹形ながら著しく樹高が低く、しかも並んで植えられている木が沢山見えて来ました。
「これは、若しかしてギンナン畑では!?」
そう思って近づくと、やはり大粒のギンナンが無人販売所に置かれていました。ふっくら大きくて美味しそう!しかもお安い♪
ギンナン畑 無人販売コーナー
真っ赤なタカノツメも一緒にお土産に購入しました。ギンナン(小袋200円)、丸々と実が詰まっていてとても美味しかったです。 タカノツメ(100円)もそろそろ切れそうだったので、とってもタイムリー☆
ほころびかけた白梅の蕾 村社 下里八宮神社
八宮神社は、後に7つの神社に分霊したので、その七宮の総社ということで「八宮神社」となったそうです。
ご祭神が、高龗神(たかおかみのかみ)他、伊豆能賣神(いずのめのかみ)と、古事記などでもお名前だけで出自が明らかにされていない謎の神々なのです。
また、墨江三龗神・海見三柱神の方は、住吉三神と関係がありそうで、とてもとても気になるのですが、これはまたの機会に・・・
木橋を渡る
木橋を渡ったこの辺りは西光寺裏の北向き斜面で、「カタクリの里」としてカタクリの自生地が保護されています。季節には斜面一面がカタクリの花で薄紫色に染まるということで、是非またその頃に訪れてみたいです。
西光寺 縁起
瑞龍山西光寺は、曹洞宗のお寺で、天文2年(1533)西光院殿前黄門瑞龍浄喜大居士が創建。江戸幕府より寺領10石の御朱印状を受領していました。本堂内の奪衣婆像は、「しょうづかのお婆さん」と称されて産婦の祈願として、飛び地境内の龍谷薬師堂は眼病の御利益として信仰を集めているそうです。
鐘楼門
山門の上に鐘楼が下がっているのを初めて見ました。そして、何と、その鐘楼はFITの大先輩のS女史のご実家が奉納されたとの由。品格のある方なので、さすが納得の名家なのでしょう。
六地蔵
辻に並ぶ六地蔵様に見送られて、楽しい小川町低山はいかいもそろそろ終わり、バス停に向かいます。
ふりかえりの会は、川越! 小京都から小江戸へ〜♪(おわり)
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(低山はいかい 仙元山界隈 (1)〜(5)は、開催日の1月24日に(1)を、以降続けての日付に移動しました。この(6)も、皆さんに概ねご覧頂けた後、そちらの続きに移動します。)
里の風景に癒やされながら歩いていると、イチョウらしい樹形ながら著しく樹高が低く、しかも並んで植えられている木が沢山見えて来ました。
「これは、若しかしてギンナン畑では!?」
そう思って近づくと、やはり大粒のギンナンが無人販売所に置かれていました。ふっくら大きくて美味しそう!しかもお安い♪
ギンナン畑 無人販売コーナー
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ほころびかけた白梅の蕾 村社 下里八宮神社
八宮神社は、後に7つの神社に分霊したので、その七宮の総社ということで「八宮神社」となったそうです。
ご祭神が、高龗神(たかおかみのかみ)他、伊豆能賣神(いずのめのかみ)と、古事記などでもお名前だけで出自が明らかにされていない謎の神々なのです。
また、墨江三龗神・海見三柱神の方は、住吉三神と関係がありそうで、とてもとても気になるのですが、これはまたの機会に・・・
木橋を渡る
木橋を渡ったこの辺りは西光寺裏の北向き斜面で、「カタクリの里」としてカタクリの自生地が保護されています。季節には斜面一面がカタクリの花で薄紫色に染まるということで、是非またその頃に訪れてみたいです。
西光寺 縁起
瑞龍山西光寺は、曹洞宗のお寺で、天文2年(1533)西光院殿前黄門瑞龍浄喜大居士が創建。江戸幕府より寺領10石の御朱印状を受領していました。本堂内の奪衣婆像は、「しょうづかのお婆さん」と称されて産婦の祈願として、飛び地境内の龍谷薬師堂は眼病の御利益として信仰を集めているそうです。
鐘楼門
山門の上に鐘楼が下がっているのを初めて見ました。そして、何と、その鐘楼はFITの大先輩のS女史のご実家が奉納されたとの由。品格のある方なので、さすが納得の名家なのでしょう。
六地蔵
辻に並ぶ六地蔵様に見送られて、楽しい小川町低山はいかいもそろそろ終わり、バス停に向かいます。
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2024年01月29日
低山はいかい 仙元山界隈 (5)板碑制作遺跡
ご訪問&応援、ありがとうございます
(編集中・・・)
大日山から少し荒れた林道を経て、下里・青山板碑制作遺跡へと向かいました。
2014年(平成26年) 国の史跡に指定された、鎌倉時代から室町時代にかけての板碑製作遺跡。
13世紀頃から関東では仏教信仰が高まり、寺院建立と共に緑泥石片岩製の石塔「板碑」が盛んに作られました。
小川町では、採掘の可能性がある地点が、割谷(わりや)地区、西坂下前A地区、内寒沢(うちかんざわ)地区など19箇所確認され、生産された板碑の量は膨大で、武蔵国における板碑の中心的な生産地であったと考えられています。
割谷地区では、緑泥石片岩の露頭や、大小のズリによって形成された平場がみられ、遺跡の発掘により採掘から板碑形へ加工するまでの工程が明らかになりました。
緑泥石片岩の露頭
山の至る所が緑泥片岩 岩屑の山
至る所から青石が出ることから「青山」の地名となったのでしょうか?
未加工の石材の平積み 水場に鳥居
小川町は豊かな水の恩恵を受けて豊かになった町ですね。和紙も酒造も染色なども豊かな水あればこそ。
板碑群
槻川
山を下り、のんびりと静かな里をそぞろ歩く
(つづく)
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(編集中・・・)
大日山から少し荒れた林道を経て、下里・青山板碑制作遺跡へと向かいました。
2014年(平成26年) 国の史跡に指定された、鎌倉時代から室町時代にかけての板碑製作遺跡。
13世紀頃から関東では仏教信仰が高まり、寺院建立と共に緑泥石片岩製の石塔「板碑」が盛んに作られました。
小川町では、採掘の可能性がある地点が、割谷(わりや)地区、西坂下前A地区、内寒沢(うちかんざわ)地区など19箇所確認され、生産された板碑の量は膨大で、武蔵国における板碑の中心的な生産地であったと考えられています。
割谷地区では、緑泥石片岩の露頭や、大小のズリによって形成された平場がみられ、遺跡の発掘により採掘から板碑形へ加工するまでの工程が明らかになりました。
緑泥石片岩の露頭
山の至る所が緑泥片岩 岩屑の山
至る所から青石が出ることから「青山」の地名となったのでしょうか?
未加工の石材の平積み 水場に鳥居
小川町は豊かな水の恩恵を受けて豊かになった町ですね。和紙も酒造も染色なども豊かな水あればこそ。
板碑群
槻川
山を下り、のんびりと静かな里をそぞろ歩く
(つづく)
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2024年01月28日
低山はいかい 仙元山界隈 (4)青山城跡
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本日のメイン「仙元山」山頂とも気づかぬまま下ってしまい、青山城跡に向かいました。
青山城址への道標11:03
青山城跡 三の郭跡
青山城跡は、青山と下里の境に位置していて、青山では青山城、下里では割谷城と呼ばれていたのだそうです。
堀切
青山(割谷)城跡 解説板
青山城は仙元山山頂の南南西、標高267mの頂部に築かれており、北端最高所に主郭を置き、南尾根に二郭、南東尾根に三郭を配していました。堀切、土塁、郭跡などの遺構が見られました。
主郭跡? 11:13
三の郭跡には看板がありましたが、こちらは本郭?なのか看板は見当たりませんでした。
大日山への途中の展望 11:24
大日山手前のタルミで昼食 11:27
冷たい風が吹いてきたのでタルミで各々風を除けながらの昼食タイム。良い日だまりでした。
大日山 12:13
残念乍ら、大日山山頂がどんな所だったのか何も思い出せず・・・先の仙元山といい、山頂らしくない感じだったのでしょうか・・・ただ人について歩くと、こんな事になるんですね。反省。
大日山からの展望
(つづく)
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本日のメイン「仙元山」山頂とも気づかぬまま下ってしまい、青山城跡に向かいました。
青山城址への道標11:03
青山城跡 三の郭跡
青山城跡は、青山と下里の境に位置していて、青山では青山城、下里では割谷城と呼ばれていたのだそうです。
堀切
青山(割谷)城跡 解説板
青山城は仙元山山頂の南南西、標高267mの頂部に築かれており、北端最高所に主郭を置き、南尾根に二郭、南東尾根に三郭を配していました。堀切、土塁、郭跡などの遺構が見られました。
主郭跡? 11:13
三の郭跡には看板がありましたが、こちらは本郭?なのか看板は見当たりませんでした。
大日山への途中の展望 11:24
大日山手前のタルミで昼食 11:27
冷たい風が吹いてきたのでタルミで各々風を除けながらの昼食タイム。良い日だまりでした。
大日山 12:13
残念乍ら、大日山山頂がどんな所だったのか何も思い出せず・・・先の仙元山といい、山頂らしくない感じだったのでしょうか・・・ただ人について歩くと、こんな事になるんですね。反省。
大日山からの展望
(つづく)
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2024年01月27日
高尾山 シモバシラ 氷の華
2024-01-27
高尾山GREEN CLEAN作戦(高尾山GC作戦)の下見で、今季初めて高尾山の氷の華シモバシラに出会えました。降水と大寒波の冷え込みのお蔭ですね。暖冬と言われていた今季の冬、まさか1月も下旬の今頃に出会えるとは思いませんでした。
例年なら結晶と溶解を繰り返し、既に茎がほぐれ過ぎて綺麗な結晶にならない時期なのですが、今年は前半が暖かく根っこが生き延びつつ、茎も保全されていたのでしょう。
気温が低く薄暗い場所なので、油断するとピンボケに・・・
この日の最大結晶華。全体で掌を広げた程もありました。
真上から見ると茎の4稜から結晶が伸びているのが分かります。
下の2枚は違う場所で、やや茎の崩壊が進み縦長の柱状結晶になっています。
気温も上がってきていて、全く期待していなかったのに、出会うことが出来て大変ラッキーでした♪ 寄り道してみようと誘って下さった先輩に大感謝です☆
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2024年01月26日
低山はいかい 仙元山界隈 (3)百庚申〜仙元山
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冬枯れのハス10:04 謎の大きな石 10:05
天満宮の鳥居 10:06 天満宮(仙元山)登山口
仙元山遊歩道 道標 10:06 低山はいかい中 10:16
道標 10:17 道標 10:34
百庚申 10:37
この中央の大きな庚申大神の板碑を中心にコの字型に百庚申が立ち並んでいます。
百庚申
ざっと数えてみると、確かに百程の板碑が建っていました。
解説板
庚申講とは、人間の体内にいる三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜に、寝ている隙に体内から抜け出し天帝にその人の悪行を告げて命を縮めるとされていることから、庚申の日の夜は夜通し眠らずに、天帝、猿田彦神、馬頭観音、青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりして過ごすという信仰。
この百庚申は、万延元年(1860)12月の庚申日、青山村の人々が中心となり建立したもので、奉納者は近隣12村にも及んだそうです。
また、この広い平地には、明治42(1909)年に青山村の氷川神社に合祀されるまで、浅間神社が祀られており、4月の例祭には大いに賑わったとのことです。
恐らく「仙元山」の名前も、浅間神社に由来するものでしょう。とすれば、富士山が拝める筈なのですが、樹木が茂って見えなくなってしまったのでしょうか。
庚申(かのえさる)であることから、庚申様のお遣いを「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿とし、三猿が彫られた庚申塚碑も良く見られます。12月に登った官ノ倉山の麓にもありました。下の写真の右端が三猿の庚申塔です。
最初は、三尸虫=三猿なのかなと考えたのですが、よくよく考えると、「告げ口をする」三尸虫と、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿は、真逆ですよね。なので、三猿は庚申様のお遣いの方なのかなと思い至りました。
神道では道開きの神、猿田彦神を祀るのも「申=猿」関連なのかもしれません。
板碑の切り出し場跡?
運んで来た原材料の緑泥片岩をここで百庚申に加工した名残かもしれません。平らに割れやすい片岩の特徴が見られます。
百庚申の板碑の大きさ10:44 仙元山への途中の展望台10:49
人の背丈ほどの大きな板碑からほんの小さなものまで様々でした。
展望台より
仙元山(299m)より展望
実は、見晴らしの良い場所に出たとは思ったものの、まさかそこが仙元山の山頂とは全く思わず・・・山頂標も見逃してしまいました。
(つづく)
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冬枯れのハス10:04 謎の大きな石 10:05
天満宮の鳥居 10:06 天満宮(仙元山)登山口
仙元山遊歩道 道標 10:06 低山はいかい中 10:16
道標 10:17 道標 10:34
百庚申 10:37
この中央の大きな庚申大神の板碑を中心にコの字型に百庚申が立ち並んでいます。
百庚申
ざっと数えてみると、確かに百程の板碑が建っていました。
解説板
庚申講とは、人間の体内にいる三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜に、寝ている隙に体内から抜け出し天帝にその人の悪行を告げて命を縮めるとされていることから、庚申の日の夜は夜通し眠らずに、天帝、猿田彦神、馬頭観音、青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりして過ごすという信仰。
この百庚申は、万延元年(1860)12月の庚申日、青山村の人々が中心となり建立したもので、奉納者は近隣12村にも及んだそうです。
また、この広い平地には、明治42(1909)年に青山村の氷川神社に合祀されるまで、浅間神社が祀られており、4月の例祭には大いに賑わったとのことです。
恐らく「仙元山」の名前も、浅間神社に由来するものでしょう。とすれば、富士山が拝める筈なのですが、樹木が茂って見えなくなってしまったのでしょうか。
庚申(かのえさる)であることから、庚申様のお遣いを「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿とし、三猿が彫られた庚申塚碑も良く見られます。12月に登った官ノ倉山の麓にもありました。下の写真の右端が三猿の庚申塔です。
最初は、三尸虫=三猿なのかなと考えたのですが、よくよく考えると、「告げ口をする」三尸虫と、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿は、真逆ですよね。なので、三猿は庚申様のお遣いの方なのかなと思い至りました。
神道では道開きの神、猿田彦神を祀るのも「申=猿」関連なのかもしれません。
板碑の切り出し場跡?
運んで来た原材料の緑泥片岩をここで百庚申に加工した名残かもしれません。平らに割れやすい片岩の特徴が見られます。
百庚申の板碑の大きさ10:44 仙元山への途中の展望台10:49
人の背丈ほどの大きな板碑からほんの小さなものまで様々でした。
展望台より
仙元山(299m)より展望
実は、見晴らしの良い場所に出たとは思ったものの、まさかそこが仙元山の山頂とは全く思わず・・・山頂標も見逃してしまいました。
(つづく)
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2024年01月25日
低山はいかい 仙元山界隈 (2)板碑
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和紙体験学習センターを出て進むと六地蔵さまのお出迎え。
六地蔵 馬頭観世音板碑蕎麦のお堂
馬頭観世音板碑 石尊大権現の石灯籠
交通の要地という土地柄、辻には馬頭観世音さま。
先月登った同じ小川の石尊山にも祀られていた石尊大権現さまも!
槻川
豊かな川の流れに恵まれ、和紙漉きや酒造が栄え、町を支えてきました。
板碑いろいろ
何故こんなに板碑があちこちに建てられているのか、この後、理解する時が来ます。
北青山圓城寺
町指定文化財 二連板石塔婆二基 (鎌倉時代後期) 緑泥片岩
向かって左側が延文六年(1361)、右側が正中二年(1325)
一枚の板碑に二枚分が彫られている二連(双式)板碑が二基並んでいます。
右の板塔婆の上部 蓮華座に阿弥陀如来(キリーク)の薬研彫り
左の板塔婆の全体
どちらにも「阿弥陀如来」を表わす種子字の「キリーク」が蓮華座の上に薬研彫りされ二つ並んでいます。その下には「光明真言」が梵字で彫られています。
梵字の中で、仏の姿を現わすものを特に「種子、種子字」と言います。蓮華座の上に置かれていることからも、そのことが分かりますね。
(参考)円城寺二連板碑「石仏と石塔」河合哲雄さんのHPより
圓城寺を出て少し進むと・・・
JR八高線 単線! 道標
先月も見て驚きましたが、東京のJRなのに単線です。先に敷かれていた私鉄の東武東上線の方が利用客が多そうですが、八高線は南北を繋ぐ役割を担っていて貴重な存在です。
やっと道標に「仙元山」の文字が!
(つづく)
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六地蔵 馬頭観世音板碑蕎麦のお堂
馬頭観世音板碑 石尊大権現の石灯籠
交通の要地という土地柄、辻には馬頭観世音さま。
先月登った同じ小川の石尊山にも祀られていた石尊大権現さまも!
槻川
豊かな川の流れに恵まれ、和紙漉きや酒造が栄え、町を支えてきました。
板碑いろいろ
何故こんなに板碑があちこちに建てられているのか、この後、理解する時が来ます。
北青山圓城寺
町指定文化財 二連板石塔婆二基 (鎌倉時代後期) 緑泥片岩
向かって左側が延文六年(1361)、右側が正中二年(1325)
一枚の板碑に二枚分が彫られている二連(双式)板碑が二基並んでいます。
右の板塔婆の上部 蓮華座に阿弥陀如来(キリーク)の薬研彫り
左の板塔婆の全体
どちらにも「阿弥陀如来」を表わす種子字の「キリーク」が蓮華座の上に薬研彫りされ二つ並んでいます。その下には「光明真言」が梵字で彫られています。
梵字の中で、仏の姿を現わすものを特に「種子、種子字」と言います。蓮華座の上に置かれていることからも、そのことが分かりますね。
(参考)円城寺二連板碑「石仏と石塔」河合哲雄さんのHPより
圓城寺を出て少し進むと・・・
JR八高線 単線! 道標
先月も見て驚きましたが、東京のJRなのに単線です。先に敷かれていた私鉄の東武東上線の方が利用客が多そうですが、八高線は南北を繋ぐ役割を担っていて貴重な存在です。
やっと道標に「仙元山」の文字が!
(つづく)
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2024年01月24日
低山はいかい 仙元山界隈 (1)和紙
ご訪問&応援、ありがとうございます
2024.01.24
昨年12月には、山笑(やまにこ)会で埼玉の小川町、官ノ倉山〜吉田家住宅ハイキングに行きましたが、FITの低山はいかいが相模の大山の予定から小川町の仙元山に変更となり、またまた小川町へやって来ました。ご縁があると、不思議とまたご縁が続きますね。
先月は小川町でも町の中心部より西の山でしたが、今回は小川町の駅から徒歩圏内の仙元山。古墳時代からの遺跡もある古い歴史と、京都と似た地形で「小京都」とも呼ばれる和紙の里・小川探訪の山歩きです。
粋な黒塀に見越しの松 聖徳太子を祀る社
聖徳太子碑 裏面
聖徳太子は仏教を保護し、お寺や仏像を建立したことから、江戸時代には、大工、鳶、左官、石工、鍛冶屋、桶屋、木こりなどの職人たちの守り神とされました。
板碑の裏「桶屋講中」と読めました。桶屋さんたちが建てた板碑ですね。
和紙体験学習センター
和紙の巨大折り鶴 型使用の透かし模様和紙
和紙と折り紙の技術が、今や宇宙でも生かされていますね。
型の掘りの部分が厚くなり模様が出来るのだそうです。レースのような漉かし模様にウットリ。これが本当の「型透し?」違うと思います(^^;)
体験学習室内
右から紙漉き槽(すき舟)、圧搾機、乾燥機
すき舟での紙漉きの様子(展示写真)
コウゾの白い芯(カズカラ棒*) 和紙原料になる樹皮(晒し中)
カズカラ棒は無料で、軽くて杖代わりにもなるので良く売れました。私も欲しかったけれど、家に溜まった自然解説素材の山を思い出し、また取材の邪魔になりそうで・・・ぐっと我慢。
*コウゾのことを別名「カズ」「カゾ」と言います。カズから皮を剥いだカラなのでカズカラ棒。
晒した樹皮を更に白くするための漂白剤のニオイがツンと鼻を刺激しました。
コウゾ/楮 クワ科コウゾ属 ヒメコウゾ×カジノキ
枝を刈られたコウゾの冬姿。ここにあの枝が生えて・・・春が来ればまた新しい枝を4m程にも伸ばすそうです。
トロロアオイの根 アオイ科トロロアオイ属
叩くと粘液(ネリ)が出て和紙の繋ぎに用いられるトロロアオイの根。あの粘る野菜オクラと同じアオイ科トロロアオイ属の植物。オクラと同じ様な黄色いハイビスカスに似た綺麗な花を咲かせ、その花は食用になります。実は不味くて食べられないそうです。
美しい和紙を漉く為には、和紙材料の繊維を水の中で均一に分散させねばなりません。そこで水に粘度を与える「ネリ」が必要となります。水だけでは、比重の重い和紙繊維は直ぐに沈んでしまい均等に散らすことが出来ません。また、水温が高くなるとネリの粘りが落ちる(腐敗などの影響)ので、寒い冬場が紙漉きに最適で、季節を肌で感じながらの作業となります。
和紙原料いろいろ
麻(アサ)・三椏(ミツマタ)・雁皮(ガンピ)・楮(コウゾ)
和紙原料コウゾのいろいろ
原木 ・ スリ皮 ・ 黒皮 ・ ナゼ皮 ・ 白皮
原木を90cm程に切りそろえ、根元を下にして蒸してから皮を剥く(本引)
黒皮:皮を芯から剥いだままのもの
ナゼ皮:外側の黒皮を除き青皮が出たもの
スリ皮:ナゼ皮から白皮を剥ぎ取って残ったもの(黒四つチリ紙用)
白皮:一番上等な和紙(細川紙)の材料となるもの
上質和紙「細川紙」と包み紙等に使われた「黒四つちり紙」
和紙で作られた生活用品いろいろ
和紙体験学習センターを満喫して笑顔の面々。手にはカズカラ棒。
いや〜面白かった! 良い所に案内して頂き、大変勉強になりました〜(^^)♪
(つづく)
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2024.01.24
昨年12月には、山笑(やまにこ)会で埼玉の小川町、官ノ倉山〜吉田家住宅ハイキングに行きましたが、FITの低山はいかいが相模の大山の予定から小川町の仙元山に変更となり、またまた小川町へやって来ました。ご縁があると、不思議とまたご縁が続きますね。
先月は小川町でも町の中心部より西の山でしたが、今回は小川町の駅から徒歩圏内の仙元山。古墳時代からの遺跡もある古い歴史と、京都と似た地形で「小京都」とも呼ばれる和紙の里・小川探訪の山歩きです。
粋な黒塀に見越しの松 聖徳太子を祀る社
聖徳太子碑 裏面
聖徳太子は仏教を保護し、お寺や仏像を建立したことから、江戸時代には、大工、鳶、左官、石工、鍛冶屋、桶屋、木こりなどの職人たちの守り神とされました。
板碑の裏「桶屋講中」と読めました。桶屋さんたちが建てた板碑ですね。
和紙体験学習センター
和紙の巨大折り鶴 型使用の透かし模様和紙
和紙と折り紙の技術が、今や宇宙でも生かされていますね。
型の掘りの部分が厚くなり模様が出来るのだそうです。レースのような漉かし模様にウットリ。これが本当の「型透し?」違うと思います(^^;)
体験学習室内
右から紙漉き槽(すき舟)、圧搾機、乾燥機
すき舟での紙漉きの様子(展示写真)
コウゾの白い芯(カズカラ棒*) 和紙原料になる樹皮(晒し中)
カズカラ棒は無料で、軽くて杖代わりにもなるので良く売れました。私も欲しかったけれど、家に溜まった自然解説素材の山を思い出し、また取材の邪魔になりそうで・・・ぐっと我慢。
*コウゾのことを別名「カズ」「カゾ」と言います。カズから皮を剥いだカラなのでカズカラ棒。
晒した樹皮を更に白くするための漂白剤のニオイがツンと鼻を刺激しました。
コウゾ/楮 クワ科コウゾ属 ヒメコウゾ×カジノキ
枝を刈られたコウゾの冬姿。ここにあの枝が生えて・・・春が来ればまた新しい枝を4m程にも伸ばすそうです。
トロロアオイの根 アオイ科トロロアオイ属
叩くと粘液(ネリ)が出て和紙の繋ぎに用いられるトロロアオイの根。あの粘る野菜オクラと同じアオイ科トロロアオイ属の植物。オクラと同じ様な黄色いハイビスカスに似た綺麗な花を咲かせ、その花は食用になります。実は不味くて食べられないそうです。
美しい和紙を漉く為には、和紙材料の繊維を水の中で均一に分散させねばなりません。そこで水に粘度を与える「ネリ」が必要となります。水だけでは、比重の重い和紙繊維は直ぐに沈んでしまい均等に散らすことが出来ません。また、水温が高くなるとネリの粘りが落ちる(腐敗などの影響)ので、寒い冬場が紙漉きに最適で、季節を肌で感じながらの作業となります。
和紙原料いろいろ
麻(アサ)・三椏(ミツマタ)・雁皮(ガンピ)・楮(コウゾ)
和紙原料コウゾのいろいろ
原木 ・ スリ皮 ・ 黒皮 ・ ナゼ皮 ・ 白皮
原木を90cm程に切りそろえ、根元を下にして蒸してから皮を剥く(本引)
黒皮:皮を芯から剥いだままのもの
ナゼ皮:外側の黒皮を除き青皮が出たもの
スリ皮:ナゼ皮から白皮を剥ぎ取って残ったもの(黒四つチリ紙用)
白皮:一番上等な和紙(細川紙)の材料となるもの
上質和紙「細川紙」と包み紙等に使われた「黒四つちり紙」
和紙で作られた生活用品いろいろ
和紙体験学習センターを満喫して笑顔の面々。手にはカズカラ棒。
いや〜面白かった! 良い所に案内して頂き、大変勉強になりました〜(^^)♪
(つづく)
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2024年01月19日
多摩丘陵 小野路(3)
早くも菜の花(縮緬白菜系)がここだけ満開
小野神社
天禄年間(972年)頃、小野篁(おののたかむら)の七代子孫、小野孝泰が武蔵国司として赴任し、小野篁をご祭神として御靈を祀ったことに由来すると伝わります。山内上杉家と扇谷上杉家の合戦の際、こちらの梵鐘が持ち去られ、逗子市沼間海宝院に現存しているそうです。
そうなると、この小野氏が小野路の地名の由来かと思ったのですが、余りにも古い故、地名の小野牧説、領主となった小野氏説、あるいは小野郷(現在の府中市付近)への通り道だった説など諸説あるそうです。
因みに、小野小町は、小野篁(百人一首では参議篁)の孫とも娘とも言われています。
小野路宿里山交流館
画像・公式HPより
現在改装中?で幕が張られていましたが利用は可能。うどん、お赤飯、お饅頭、コロッケなどの飲食も出来、野菜や手作り品などのお土産も買えます。山桜は、サツマイモを買い求め焼芋にしました(^^)ねっとり系で美味しかったです♪
切り干し大根の干し始めと時間が経ったもの
桂剥き?にして干されていた大根 穴から出てきた可愛いワンコ
再び茂みの探検道へ踏み込む 倒木越えもなんのその
鎌倉古道(上の道)
強者共が「いざ、鎌倉!」と駆け抜けていった道でしょうか。
「関屋の切通」布田道
「布田道」解説版
近藤家の養子となり天然理心流の4代目宗家を継いだ近藤勇(後の新選組局長)が小野路の小島家道場に出稽古に通った道とのこと。近藤勇が通えない時は、土方歳三や沖田総司、山南敬介など後の新選組を支えた面々が代稽古としてしばしば訪れたという。新選組マニアにはたまりませんね。
布田道
ワタの果実
ワタの果実の中からあふれ出る綿
伐倒木を土留にしている道
まだまだ探検したい道が沢山潜んでいそうで再訪が楽しみです♪
(おわり)
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2024年01月18日
多摩丘陵 小野路(2)
竹藪
探検隊長曰く、「竹林と竹藪の違いは、手入れがされているか、ほったらかしか」。こちらのように、筍も採らず生えるがままにされているのは竹藪ですね。
竹藪に囲われた山桜
根回りも枝周りも囲まれてしまい瀕死の山桜・・・苦しそう、助けてあげたい(;;)
開けた萬松寺谷(ばんしょうじやと)の下手の元田んぼ
狭山丘陵では普通「谷戸」と書きますが、ここでは「谷」で「やと」と読むそうです。
因みに「谷戸」とは、丘陵のような小高い起伏地からの湧き水や雨水が削って出来た谷から広がる、小さく細めの扇状地的な場所のことです。そこを利用した田畑の農業地やその周辺に出来た「里山」全体を指すこともあります。「やと」又は「やつ」とも。そう言えば、昔、谷津遊園という遊園地があったけれど、あそこも谷戸だったのかな? 鎌倉の扇ヶ谷(おうぎがやつ)も有名ですね。
谷戸の上手に残る田んぼ
ここだけ小面積の耕作がされているのは、神仏へ奉納するお米か?
ヨシ(アシ)やガマが茂る
ガマの穂がほぐれて舞っていきます。
更に下手の池と地形を生かした棚田、谷戸田
初夏には、今や希少種のミズオオバコなどが咲くとのこと。
オオフサモ?(特定指定外来種)
六地蔵
六面柱の六地蔵塔
七地蔵?
こちらは数えるとなぜか七地蔵。いや、上の六面塔の右、木の根元にもう一体見えるので八地蔵? 仏像の持ち物などを精査すれば地蔵菩薩以外も混じっているのかもしれませんが、そんな時間はなく・・・
墓碑・石塔群
頭が丸い墓碑(無縫塔又は卵塔)は禅宗のお坊さんのお墓。その隣の三つは位牌型のお墓。この上手に臨済宗建長寺派の小野山萬松寺という古刹があります。機会があればそちらも参拝したい。
正体不明の石像
上部に三つ並んだ文様が「源氏香」にも似て見えましたが、帰宅して良く見たら、3本ですし上に突起も・・・違うようですね。どちらかと言えば、「式神」っぽい? いや、注連縄から垂れる四手かも? 小野小町がらみかなとも期待したのですが・・・。引き続き調べてみます。
探検隊長は剪定鋏を手に、いざ、野郎共、探検コースに突入ぞ!
笹藪を掻い潜って抜けると、なにやら獣臭が・・・囲いの中には何が居る?
なんと、珍しくも羊さんでした!
また別の強烈は臭いの正体は、牛さん!
いやいや、それぞれに違う臭気が放たれるこの一帯、嗅覚が敏感な私にはキツい・・・
ロウバイ
ロウバイの芳香は、花に鼻を密着させないと感知出来ない有様。羊と牛と蝋梅のミックスしたニオイは・・・う〜ん、余り思い出したくない。しかし、人間の感覚の中で、嗅覚により甦る記憶が一番鮮明だとか・・・。きっといつまでも忘れられない記憶として脳裏に刻まれたことでしょう。
(つづく)
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2024年01月17日
多摩丘陵 小野路(1)
2024.01.17
多摩丘陵、町田市の「小野路」は、室町時代の文献にも地名が記されている程の古い歴史を持ち、現在も都内有数の「里山」地域が残る魅力的な土地。探検隊長のご案内で、さて何に出会えるのか、楽しみ楽しみ。
小野路の一里塚 解説
*「助郷」とは、江戸時代、宿場常備の人馬が不足する場合、幕府・諸藩によって人馬の提供を命じられた付近の郷村のこと。また、その夫役を指す。初めは臨時的なものであったが次第に恒常化し、農村疲弊の大きな原因となった。
小野路(現在)
小野路(幕末)
天保年間に製作された絵図によると、小野路宿では、小田原道、神奈川道、布田道、府中道、八王子道の5つの道が交わっていたとされます。
おおやまみち/至厚木 道標
拡大して読めたのは「おおやまみち/至厚木」ということなので、先掲の看板や地図にもあった「大山詣」の道標ですね。新しく作った物でしょう。
ホラシノブ 紅葉 葉裏のソーラス
常緑性シダのホラシノブは鮮やかに紅葉して綺麗。葉裏のソーラス(胞子嚢群)は裂片の先につきます。名前の通り少し薄暗い「洞」内のような場所に生えることが多いようです。こちらでは湿り気のある土手に生えていました。
道祖神
小野路は柚子だらけ
道端にも道中にもそこら中にボタボタ大量に落ちていて、車にひかれた柚子の香りに包まれ歩く快感。エア柚子湯?
タマノカンアオイ?
花が無くて決めてに欠けますが、葉の特徴(葉脈が凹みやや艶あり)からタマノカンアオイかと。少しランヨウアオイ気味?
林の中をくりぬいたような道
小野路城址 解説板
土塁や空濠などの遺構が見られ、小町井戸、滝壺と呼ばれる湧水もあり、中世山城の面影を伝えています。
小町井戸 解説板
小野路の名に残る「小野氏」については、小野神社で後述します。
小町井戸
お城に水源は大切。降雨量の少ない今の時期でも涸れずに湧いていました。
ハナミョウガ/花茗荷 ショウガ科ハナミョウガ属
帰宅後調べても保護すべき植物として特に記載されていなかったので、持ち込まれた栽培種かもしれませんが、関東以西の暖地の林内に生えるもので、東京都ではなかなか見られない植物です。自生種であれば尚のこと貴重です。荒らすことなく美しい花や実を観察しましょう。
(参考)ハナミョウガの実 千葉 南房総 2022.12.25
小野路城・本丸(主郭)跡に建つお社
小山田城の副城として築かれた小野路城は別名「結道(ゆいどう)城」。結道とは、由井道の意味で「由井へ繋がる」から来ているとされています。鎌倉古道沿いで交通の要衝だったのでしょう。
(つづく)
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2024年01月15日
琴線はどこに潜む
2024.01.05 産経新聞「朝の詩(うた)」より
一人暮らし
神奈川県藤沢市 西村美代子さん(82)
家族に先だたれ
一人ぼっちの102歳の
おじいちゃん
家族にまた会える日を
楽しみに余生を生きる
と言ったおじいちゃんの
訃報を知りました。
もう家族に会えましたか
初冬の青空から
「ハハハ・・・」と
楽しそうな笑い声が
降ってきたのを
感じましたよ
「ハハハ・・・」と楽しそうな笑い声が、で、青空に笑顔が浮かび上がり、どこから突き上げてきたのか分からない感情が爆発して声を上げて泣いた。
「琴線に触れる」時は、いつも不意打ちで、自分の心のどこにその琴線が潜んでいたのかと驚かされる。
青空が綺麗すぎると涙が出るのは、天上の人の笑顔と目が合うからだろうか。
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2024年01月14日
観覧車が消えてゆく
ゴンドラが取り外され潰されて運ばれていく様子にショックを受けつつ、若しかしたら新しいゴンドラをぶら下げて復活するのでは・・・?と言う淡い期待も打ち砕かれました。
今日は日曜日でお客様も多く作業はお休みのようでしたが、また、明日からは着実に消えてゆくのでしょう。
ピンと放射線状に張り巡らされていた線がプチプチと切断され垂れ下がり全体が緩んでいるのが、役割を終え打ちひしがれているようで寂しい。
井上陽水の「冷たい部屋の世界地図」が頭の中に流れ出した。
遥かな遥かな見知らぬ国へ
一人で行くときは船の旅がいい
波間に揺られて煌めく海へ
誰かに似てるのは空の迷い雲
潮風に吹かれ何も考えず
遠くをみるだけ
優しさが壊れた
海の色は例えようもなくて悲しい
(歌詞はうろ覚え・・・)
今日は、
「空の色は例えようもなくて、悲しい」
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ラベル:観覧車
2024年01月11日
国蝶オオムラサキ 越冬幼虫
ご訪問&応援、ありがとうございます
思いがけないこともあるもので、会いたい会いたいと思っていたオオムラサキの幼虫が、シダの勉強会に出掛けた森でみつかりました。
2024.1.11
体色は、葉が緑の内は緑色、茶色になれば茶色にと、葉脈状の模様まで見事な擬態で、目が慣れないと見つけるのも困難です。
厚く積もった落ち葉のベッドの中、羽布団のような雪に守られた方が、寧ろ保温もされ湿度もあって居心地が良いかもしれないですね。
エノキの木をご存じでしたら、日本の国蝶オオムラサキの幼虫たちが眠っているかもしれない根周りを踏まないように、そっと見守りをよろしくお願いいたします。
戻って来て振り返れば夕焼けに冬枯れ木立のシルエット・・・
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思いがけないこともあるもので、会いたい会いたいと思っていたオオムラサキの幼虫が、シダの勉強会に出掛けた森でみつかりました。
2024.1.11
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厚く積もった落ち葉のベッドの中、羽布団のような雪に守られた方が、寧ろ保温もされ湿度もあって居心地が良いかもしれないですね。
エノキの木をご存じでしたら、日本の国蝶オオムラサキの幼虫たちが眠っているかもしれない根周りを踏まないように、そっと見守りをよろしくお願いいたします。
戻って来て振り返れば夕焼けに冬枯れ木立のシルエット・・・
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2024年01月06日
’24年1月 高尾山 日影沢コース
2024年1月6日(土)
新年最初の高尾山グリーンクリーン作戦は、ず〜っと日陰の寒い寒い日影沢コース。予報ではお昼頃には3月の陽気で13℃まで上がると聞いていたので薄着の方も多く震えました〜
ヤブコウジ クロモジ 冬芽
ミヤマフユイチゴ ジャノヒゲ
コクサギ(ミカン科コクサギ属) マツカゼソウ (ミカン科マツカゼソウ属)
コクサギとマツカゼソウの果実は、大きさの差はあれど、4つの室に分かれた形がよく似ています。木本と草本ではありますが、共にミカン科の異端児?同志、こんな所が似ているのが面白いですね。
(写真はスタッフのI氏撮影資料からトリミング)
もみじ台からの富士山1
もみじ台からの富士山2
サルトリイバラ
サルトリイバラの赤い実の中の種子 ヤクシソウ
ノササゲ
綺麗な紫色の鞘は、枯れた風景の中で目を惹きます。
ツルグミ 花 ナラガシワ
萼筒が細長いのでツルグミとしましたが、葉裏の色を見ておらず・・・葉裏が赤茶ならツルグミ、葉縁が波打ち銀白ならナワシログミ、その二つの雑種の裏銀ツルグミ(マルバツルグミ)もあるのでややこしいです。
ナラガシワは、カシノナガキクイムシにやられて伐採されましたが、ひこばえが沢山出てカシワのように枯葉が枝に残っており、復活を期待しています。
アジサイ
ここのアジサイだけ黄葉した葉が残り、花にも薄い青色が残っていて絶妙な色合い。
ボダイジュの枝にびっしりと付いていた小さな繭?
サムライコバチ系の成虫が出た後の繭に見えるが、果たして何か??
薬王院
元日から災難続きの今年の幕開け、どうか平穏な世を・・・と、祈って来ました。
四天王門
杉苗奉納者の新しい札 新旧貼り替え準備中
ミヤマシキミ コボタンヅル
ヤドリギ
すっかり落葉した欅の高い梢に沢山の宿り木が姿を現わしていました。
サイカチとヘクソカズラを詠んだ和歌(万葉集)
これは、FITに入会後、直ぐにグリーンクリーン作戦のスタッフに応募、今までサポートとして修行?を重ね、今回班長デビューを飾ったN嬢が、いろいろ工夫して準備した資料の一部です。参加者からも、身につまされて一番印象に残ったとの感想がありました。和歌を採用とは、お正月らしくて流石、拍手!
さうけふに はいおほとれる くそかずら
たゆることなく 宮仕えせむ
(元の万葉仮名表記)
菎莢爾 延於保登礼流 糞(屎)葛 絶事無 宮将為
さうけふ(p莢・ソウキュウ)は、サイカチ説とジャケツイバラ説があるそうですが、どちらも鋭いトゲがあります。
サイカチの古名カワラフジが=藤原一族・宮廷を連想させますね。
一方、ジャケツイバラの蛇のように絡みついて高くのびあがっていく様も、正に藤原氏絡みの権力争いを連想・・・何だか大河ドラマ「光る君へ」のドロドロ場面も思い浮かびます。
そして、万葉の時代から「糞葛」と呼ばれていたとは・・・今も昔のあの臭いに変わりなしなんですねぇ 折角の雅な雰囲気を最後に臭くしてごめんなさい(。。;)
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2024年01月01日
元日の夕富士16:10
元日、富士山を拝もうと西の空を振り返ると、丁度お日様が富士山の肩に沈む所。富士山は、目映く輝く金色の光に包まれて、肉眼では殆ど姿が見えない程でした。
余りにも強いパワーに引かれるように、スマホのカメラの能力頼みでシャッターを切り画面の中の富士山を確認していると、近くに立っていた人のスマホから緊急地震警報のあの不穏な音が…揺れは全く感じなかったので、
「一体、何処で…?」
と思う間もなく、友達とのグループLINEに金沢に住む友人を案ずる声が次々と着信。能登半島で震度7の大地震でした。
正に写真を撮っていた丁度その瞬間、あの日が沈む彼方で大地震が発生していたなんて、身体が震えました。
金沢の友人は高校の部活仲間、昨年は、家に泊めて貰って共に白山に登り、今年もまた山へ行く約束をしています。夜になって無事が確認できてホッとしました。
能登半島の基部にあるご主人の実家に里帰りしていて、ご親戚のお店では、天井が落ち商品が割れる程の酷い揺れで驚いたそうです。
夜中の震度7が誤報で良かったですが、まだまだ余震が続いており、寒さ厳しい中で不安な時を過ごしていることでしょう。少しでも早く平穏が訪れますように…。
日本列島は龍、今年は辰年、龍神様、天翔るのは魂だけにして、どうか身体は暴れずに大人しくしていてくださいますようにと、祈るばかりです。
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