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冬枯れのハス10:04 謎の大きな石 10:05
天満宮の鳥居 10:06 天満宮(仙元山)登山口
仙元山遊歩道 道標 10:06 低山はいかい中 10:16
道標 10:17 道標 10:34
百庚申 10:37
この中央の大きな庚申大神の板碑を中心にコの字型に百庚申が立ち並んでいます。
百庚申
ざっと数えてみると、確かに百程の板碑が建っていました。
解説板
庚申講とは、人間の体内にいる三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜に、寝ている隙に体内から抜け出し天帝にその人の悪行を告げて命を縮めるとされていることから、庚申の日の夜は夜通し眠らずに、天帝、猿田彦神、馬頭観音、青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりして過ごすという信仰。
この百庚申は、万延元年(1860)12月の庚申日、青山村の人々が中心となり建立したもので、奉納者は近隣12村にも及んだそうです。
また、この広い平地には、明治42(1909)年に青山村の氷川神社に合祀されるまで、浅間神社が祀られており、4月の例祭には大いに賑わったとのことです。
恐らく「仙元山」の名前も、浅間神社に由来するものでしょう。とすれば、富士山が拝める筈なのですが、樹木が茂って見えなくなってしまったのでしょうか。
庚申(かのえさる)であることから、庚申様のお遣いを「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿とし、三猿が彫られた庚申塚碑も良く見られます。12月に登った官ノ倉山の麓にもありました。下の写真の右端が三猿の庚申塔です。
最初は、三尸虫=三猿なのかなと考えたのですが、よくよく考えると、「告げ口をする」三尸虫と、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿は、真逆ですよね。なので、三猿は庚申様のお遣いの方なのかなと思い至りました。
神道では道開きの神、猿田彦神を祀るのも「申=猿」関連なのかもしれません。
板碑の切り出し場跡?
運んで来た原材料の緑泥片岩をここで百庚申に加工した名残かもしれません。平らに割れやすい片岩の特徴が見られます。
百庚申の板碑の大きさ10:44 仙元山への途中の展望台10:49
人の背丈ほどの大きな板碑からほんの小さなものまで様々でした。
展望台より
仙元山(299m)より展望
実は、見晴らしの良い場所に出たとは思ったものの、まさかそこが仙元山の山頂とは全く思わず・・・山頂標も見逃してしまいました。
(つづく)
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