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2024.12.22
森林インストラクターとうきょうかいの「低山はいかい倶楽部」で、浦賀界隈をはいかいして来ました。
マサキ シャリンバイ
屯営兵の碑
今も高台に防衛大が所在。
浦賀港と船
浦賀と聞けば「ペリーの黒船来港」で有名ですが、東京湾の湾口部、船の航行に適する深さのある浦賀水道に面していることから、既に戦国時代には後北条氏が浦賀城を設け水軍の拠点としていました。以下、略歴です。
豊臣政権下、ウィリアム・アダムスを得た徳川家康の交渉により、大航海時代のスペイン商船の寄港地とされ重要な役割を果たす。
江戸時代には、浦賀奉行、浦賀砲台が置かれ、廻船問屋などが軒を連ね、湾に出入りする船舶の要衝地として隆盛を極める。
1853年 米国海軍艦隊「黒船来港」、1860年 咸臨丸が浦賀港より出港、太平洋を横断した。
1945年 第二次世界大戦後は引揚指定港となり、56万人の引揚者を迎えた。
2003年閉鎖まで、住重の浦賀造船所「浦賀ドック」があり、海上自衛隊の艦船の製造・修理が行われていた。現在整備計画中。
浦賀造船所 解説
浦賀造船所「浦賀ドック」跡
正面に見える富山
この広大な敷地は、野外ミュージアムとして整備される計画とのこと。
フランス式レンガ塀
プールの様に切り込まれている船の停泊所
上手く撮れなくて分かりづらいですね、すみません。
戦争引揚者を迎えた桟橋
往時の面影を残す浦賀燈明堂の見える風景
(つづく)

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