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2024.12.22 低山はいかい
千代ヶ崎砲台跡から海岸に下り浦賀燈明堂跡へ向かいました。
トベラの果実が爆ぜて真っ赤な種子が沢山観察出来てラッキー!
昭和63年に復元された燈明堂
江戸時代(1648年築)の和式の灯台です。明治五(1872)年、観音崎に日本最初の洋式灯台が出来るまで現役でした。
よく見たら、木造ではなく樹脂製のよう?
下の石組みは元あった物に一部新しいものを組み入れた様子。
燈明堂下の海岸と海
松陰が密航しようと黒船に向かって渡り出したのはこの辺り?
房総半島の鋸山・富山が間近に見えます。
お題目塔(供養塔) 表と左側面
燈明堂の近くには浦賀奉行所の処刑場跡があり、かつては首切場と呼ばれていました。燈明堂を作る際に夥しい遺骨が発見され、供養されています。そっと手を合せました。
正面には「南無妙法蓮華経」のお題目
左側面には 「衆罪如相露、恵日能消除」
(衆罪は霜露の如し 恵日能く消除せり)
右側面には「一切業障海、皆従妄想生」
(一切の業障海、皆妄想より生ず)

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