左:「モミの木」アンデルセン原作、バーナデット絵、ささきたづこ訳 西村書店
中:「しあわせなモミの木」ゾロトウ文、ロビンス絵、みらいなな訳 童話屋
右:「ちいさなもみのき」M.W.ブラウン作 クーニー絵、かみじょうゆみこ訳 福音館
子供の頃、花屋さんの店頭に並ぶ本物のモミの木が欲しかった。
根巻になっていたり鉢植えになっていたりしているので、クリスマスが終わっても
ずっと家にモミの木があるなんてワクワクするし、来年もまた飾れるし・・・。
しかし、記憶のある限り本物を買って貰えたことは無かった。
大人になり、他所の家でクリスマスのモミの木が驚くほど育ち大木になり
あまり広くない庭を圧迫している様子を見て、両親が頑なに拒否した訳に納得した。
一時流行ったゴールドクレスト等のコニファー類も、今や多くが厄介な大きさだ。
それはともかく、当時日本でモミの木と言えば「根付き」が普通だった。
木は大切に育てられ、大きくなって困るといって捨てられたり切り倒されたり
したのを見たことは無かった。
それだけに、アンデルセンの「モミの木」を読んだ時は幼心に衝撃だった。
小さなモミの木は、大きくなったモミの木がクリスマスの頃になると人間の家々に
連れて行かれるのを羨ましく思っていた。鳥や動物達が、お日様の下の今の幸せを
忘れないようにと言っても、いつか自分にもその順番が来るのを夢みていた。
やがてその日がやってくるが、なんとモミの木は根元から切られてしまうのだ!
信じられなかった・・・あの夢のような外国のクリスマスのモミの木が、バッサリと
伐採された根無し木だったなんて・・・。
そうしてクリスマスまでの輝かしい日々、とりどりに飾られたモミの木は幸せの
絶頂にいたが、クリスマスが終われば外に放り出され、誰からも顧みられることも
なく果てていく。 山での幸せを思い出しながら・・・。
アンデルセンの童話は、「人魚姫」「親指姫」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」
・・・みなどこかに悲哀を含んでいる。アンデルセンの不遇な人生が反映されているとも
言われるが、今でも多くの子供達はこの悲しみを内に抱いたお話が好きだ。
「哀しいお話を読んで。 涙が出るとすっきりするの。」
おはなし会の時に、そんなことを言う子もいる。
(アンデルセン原作でもD社等によってアニメ化されたものは、ハッピーなお話に
改変されていることが多い。子供をなめてもらっちゃ困る。「フランダースの犬」や
「家なき子(母をたずねて3千里)」など、今も多くの人の心に残る名作アニメも、
胸が締め付けられるような哀しみあればこそだ。)
子供は子供なりに辛いこと泣きたいことも多いのだろう。
しかし、自由に自分の気持ちを表すことが出来ない子供には代替発露の場が必要だ。
なにはともあれ、泣いてしまえばすっきりすることは、大人でも良くあることだ。
また、他人の悲しみに同調することで、人への思いやりの心が育つこともあろう。
楽しく愉快なファンタジーも良いが、今や古典的ともなったアンデルセンの世界も
忘れられることなく(改変されることなく)、受け継がれていって欲しい。
上掲の絵本は、左がアンデルセンの「モミの木」を原作とした絵本。
中は、都会の変わり者と見られていたおじいさんが、捨てられる寸前のモミの木を
大切に育て、やがてその愛に鳥や子供達が自然に吸い寄せられていくお話。
右は、ちいさなもみの木はクリスマスに毎年掘り出され(切られなくて良かった!)
小さな男の子に会えるのを楽しみにしていた。月日は流れある年の冬、いくら
待ってもお迎えが来ない・・・さて何が起きたのか?
アンデルセンの『もみの木』を思い出していました。
アンデルセンの話は様々な人生模様が童話という形式で語られていますよね。
子供の頃に読んで、その時には「可哀想」という感想しか持てずとも、それが10年後、20年後、30年後に
「ああ、今のこれはあの時のあの話と同じだ」
と、思い起こすことがありますね。
なんでもハッピーエンドにしてしまうのは、「子供にはいつまでも無垢で悲しみを知らないで欲しい」と願う大人のエゴでしょうか。従って、悲しみや苦しみに直面できない大人が増えている?
私もクリスマス電飾のこと考えてて、「モミの木」の話を思い出したんです。
心に残る物語は道徳の教科書に載っているようなあからさまな人生訓ではなく、
その時は物語として面白く引き込まれつつ、後でじんわり思い出されて
効いて来ますよね。
結局誰かが救ってくれて大して苦しまずにハッピーエンドのものばかり見たり、
自分が思うように選択できたり、結果が気に入らなければリセットできるRPG
ばかりでは、実際に自分が困難に直面した時の予備体験にはなりません。
子供時代に物語の主人公と一体になり、不条理な辛酸を舐め克服していく姿を
経験しておくことは重要だと思います。
「赤毛のアン」は私の心の友でした・・・。
御伽噺かあ〜
子供の頃の読み聞かせは大事なんだよね☆
そうだね、膝の上に抱っこして絵本を読んで
やれるのはほんの数年だから、
親にとっても大事なひと時だと思うなぁ…
家の母は絵本は勿論、世界の名作文学全集53巻も良く読んでくれたので、
本を開くと母の声が聞こえてきて、じわっと懐かしい気持ちになるよ。
先程は殆ど同じ時刻だったんですね〜♪
口伝のお話には、特に人から人へ伝わる都度に魂がこめられ
磨かれてきた力を感じます。
文字となった今でも、声に出すことによってその言霊が
甦るのだと思います。
その時の顔が思い浮かべられる声の記憶は温かい。
映像や録音ではなく、人から人へ温もりと共に物語も
伝わって欲しいと思います。
私の場合は逆でした。
子供時代はなんだか淋しい暗い世界だったのですね。ですから、
ハッピーエンドで終わる絵本の世界は、
私にとっての夢の世界でした。
ぁぁ〜いいなぁ〜ってうっとりしてそのまま、眠るのが好きでした。・・
大人になってからもそういう感覚が長く続きました。
テレビの中で繰り広げられる恋愛ドラマなんて全部、ウソっぱちだい!と
拗ねながらも、でも、
もしかしたらホントにそういう世界もあるのかもなぁ・・と、
一筋の明るい光として自分に信じ込ませてみたり。
そういうなんだかうすぐらーい時期がずーっと長ーく続いて、
私の人生もつい最近、ハッピーになったので、
メルヘンのあの感覚と今の感覚が重なって、
今頃、妙に子供っぽく単純に楽しかったりするんです。まるで、
私にはプレゼントしてもらえなかった幸せな子供時代や、ふつーの大人の幸福を、
今になって(埋めなさい)と
神様がプレゼントしてくださっているみたいな・・・
そんな感覚で今は生きています。
重い話に聞こえてたらごめんなさい。
いつも通り、大したことない軽いノリの話ですので、スルーでかまいません。(笑)
それぞれ色んな境遇の子どもたちがいますから、
物語も色んなものがあって、好きなお話の主人公になって
その中で現実を忘れたり、または現実へ向けての
シミュレーションをしたりできるといいですね。
そのうちアンのように素敵な想像力で自分の力で夢見る
ことが出来るようになるといいなぁと…。