NHK教育 「知るを楽しむ・この人この世界」
『神になった日本人』
民俗学者小松和彦教授が、日本各地の歴史上の人物を祀る「人神神社」を訪ね、祀ってきた日本の人々の心を探ります。
本放送 毎週月曜日 夜 10:25〜10:50
再放送 翌週月曜日 朝 5:05〜 5:30
番組HP http://www.nhk.or.jp/shiruraku/index.html
第一回
「人はいかにして神になるのか−藤原鎌足」奈良県・談山神社
談山神社といえば、ブログ友酒徒善人(今は瓜亀仙人さん)さん縁の神社で、私のPCの秋の壁紙は、↓善人さん撮影、紅葉の談山神社・十三重の塔が飾っています。
酒徒善人さんのブログ「e411y」(現在は瓜亀仙人さんで「大和浪漫 http://blog.goo.ne.jp/urikame2007)には、このような談山神社関連記事
山の裾野に広がる田畑やお屋敷の中にきっと善人さんのお宅も…と思い、手を振るような気持でテレビ画面を見守っておりました^^
さて、奈良県桜井市・談山(たんざん)神社*の公式HPによれば、蘇我氏の政治専横に危惧を抱き国の行く末を憂いていた鎌足は、偶然、蹴鞠会で勢い余り脱げた皇子の沓を手にしたことで、聡明な皇太子・中大兄皇子(後の天智天皇)と話を交えることとなり意気投合し、遂には、多武峰(とうのみね)の山中に於いて「大化改新」(蘇我入鹿暗殺に始まる)に向けての談合を行い、見事成し遂げます。
これより多武峰は、談山(かたりやま)、談の峰などと呼ばれるようになり、鎌足の死後、唐留学より戻った長男定慧(じょうえ)が、夢枕の父の言葉に従い、摂津に埋葬された亡骸を掘り起こし一部をここに移しその上に十三重の塔を立て、生涯を国政に尽くした父・鎌足公を讃えて、ご祭神として祀ったのが、談山神社の起こりとされています。
以来、藤原氏に何かが起きる前触れにこの山が鳴動するとか…そんなことを書いていたら、今、こちらは一転俄かに掻き曇り、草木を揺るがし地を打つ激しい雷雨となりました! 雷は神鳴り、古人ならずとも神様のお怒りか、お告げかと強く感じ入らずにはおれません。 )
しかし、梅原猛は著書「塔」の中で、「家伝」の記載によれば、定慧の帰国は天智四年(665年)、しかも帰国後三ヶ月で亡くなっている。 一方、鎌足の死は669年、定慧は鎌足を埋葬することは出来なかった筈、と述べています。
しかも、定慧の母は孝徳天皇の元后であり、鎌足の妻となった時には既に定慧を身篭っていた…つまり定慧は天皇のご落胤だったことから、出家させていましたが、後に中大兄皇子は孝徳天皇の一族を疎み、抹殺していく中で、その血を引く定慧をも殺めたのではないかという推測がなされます。 そうなると、寧ろ(血は繋がらなくとも)父として我が子の死を悼み詫び、鎌足がこの地に立派な塔を立て、定慧が怨霊などにならないように祀ったのではないか、そして、そのことを隠す為に敢えて「鎌足のお告げにより鎌足を祀る」ものとして伝えて来たのではないかと言うのです。
前者の伝えでは、神社(元は寺)のご祭神は、鎌足公=顕彰神、後者の説によれば、ご祭神は、定慧=祟り神、の性格を帯びることとなり、全く性質が異なってきます。
小松氏は、十三重塔の下の遺骨と多武峰山頂に埋葬されている遺骨を同じ人物のものと考えていらっしゃるようでしたが、私は、あの立派な塔の下には定慧が、そしてそれを見守るように山頂の質素な墓には鎌足が眠っているように、何の根拠もありませんが…思えてなりませんでした。
脇にそれますが、鎌足誕生の折、狐が鎌を咥えてやってきたことから「鎌子」と名付けられた、という話が壺でした^^
*談山神社 明治の廃仏毀釈前までは「多武峰寺」とよばれ、
多くの伽藍・塔があったという。
* * *
第2回 8月11日 史上最大の祟り神 ―崇徳上皇
第3回 8月18日 北朝の寺、南朝の社 ―後醍醐天皇
第4回 8月25日 怨霊から顕彰神となった義民 ―佐倉惣五郎
小松和彦
1947年東京生まれ。 民俗学者・国際日本文化研究センター教授。 東京都立大学大学院博士課程修了。文化(社会)人類学・民俗学専攻。 信州大助教授、大阪大教授を経て、国際日本文化研究センター教授。
日本の歴史・文化の周縁に追いやられた鬼・異人・妖怪などの存在を手がかりに、日本人の心の奥底に潜むものを探る研究をつづける。
主な著書に『異人論』『悪霊論』(以上、ちくま学芸文庫)、『憑霊信仰論』『日本妖怪異聞録』(以上、講談社学術文庫)、『妖怪文化入門』(せりか書房)、『異界と日本人』(角川選書)、『神になった人びと』(光文社知恵の森文庫)、『日本妖怪学大全』(編、小学館)など多数
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番組で紹介された談山神社の絵図には沢山の僧院が描かれていたのですが、その中の一つがご先祖様の勤務地だったのでしょう。
興福寺との争い等があって、なかなか大変だったようです。
少々エキセントリックなところがあって
なんですが
でもこのシリーズは楽しみです
四国遍路で
崇徳さんとは袖が擦れ違っているので
見ておきたいなぁと
鎌足さんと後醍醐さんも気にはなります
義民となるとローカル性とかもあって
ちょっと難しいけど
このシリーズでは大切な内容なのでしょうね
善人さんにご紹介戴かなければ、これほど談山神社に深い思いは
生じなかったと思います。 不思議なご縁、お導きに
感謝です。
「お破裂山」の辺りは、今でも落雷が多いのでしょうか?
そのものズバリというか激しいネーミングにドキリです。
善人さんの苗字からして神職関係?と思っていたのですが、僧職で
いらしたのですね。 最も寺社の区別も渾然としていた良き時代
だったのでしょうけれど…。
この流れで行けば、菅原道真公、平将門公、徳川家康公と
紹介されそうな所ですが、歴史・民俗オタク好みのラインで
視聴率がちょっと心配? 佐倉惣五郎は千葉の義民とのことで
関東の私でも?ですが、佐倉市にも興味があるので楽しみです。
梅原氏はタブーに触れるような大胆な説で、貞節を揺るがし
ましたが、このところちょっとお静かでしょうか?
そうそう昨年、ももりさんも談山神社へいらしたのでしたね。
私もいずれ必ず訪れる時が来ると思います。
これだけのご縁があるのですから^^
ちょっと雰囲気が違っているかも知れません。日光東照宮のお手本となった本堂が
あることから考えても、神社と言うよりは、正に廟だと言う風に思います。
そう言えば、十三重塔は既に修理を完了して、その全容を拝める様になっていると
思います。
こちらにお越しの奈良の酒徒善人さんより、談山神社の謂れの
物語や四季折々のお話など伺って、親しみを持っておりました。
去年の11月に修理も落慶したのでしたね。 上の紅葉の写真の
下の「談山神社十三重の塔」をクリックすると雪景色の塔を
眺めることができますよ^^
善人さんは今、母上様の為に「脳天さん」にも度々お参りに
いらしてます。 天狗さんと何処かで会われているかもしれませんね。
縁とは、廻り廻って、円になっているのでしょうか。
神仏による繋がりは、実に緻密な感じがします。
ネット交流は、気付かずにいた不思議なご縁を目に見える形に
してくれることも多いですね。 思えば山桜を名乗ったのも、
吉野とのご縁に導かれてのことだったかもしれません。
読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
興味深そうな小説のご紹介ありがとうございます。 まだまだ紙人間なので、Web小説を読んだこともありません。 慣れればいいのでしょうけれど、目が疲れてしまうようで…。
「北円堂」ですか・・・奈良の瓜亀仙人さんに伺ってみようかしら。 そういうものを読んでから、また奈良へも訪れてみたいです。