2005年12月08日

晩秋の庭仕事

カラスウリ.JPG 鴨葵.JPG ワイルドストロベリー.JPG

 急に寒くなり、秋の庭は「野分のまたの日風情」が良いと、荒れるにまかせていたが、
ご近所は定年後のご夫婦が多く内外の手入れも行き届き、流石に肩身が狭い。
ナマハゲが来ない内に、怠け心を振り払い完全防備に身を固め庭に手を
つけることにした。

 元々庭仕事は大好物なのだが、植え込んで10年以上が経過した庭木は愈々
生育旺盛で油断ならない。今年はカラスウリの成長も著しく、家をとうとう半分以上も
取り巻いて蔓延っていた。雌株だけだったので、あまり実りに期待をかけていなかった
のだが、大小様々に実をつけていてくれて感動!(写真左) 
庭に雄花が無くとも、ちゃんと虫が花粉を運んでくれていたのだ。
ありがとう夜の虫たち!

 先ず日頃目の届かない裏に回る。月桂樹は、入梅前に強剪定したにもかかわらず、
既に太さ2cm程の枝が2メートル近く何本も伸びていた。 脚立や塀によじ登り、
血管がプツンと行きそうなほど気張って枝を切りおろす。
月桂樹(ベイリーフ、ローレル)の木や葉から放たれる香気に包まれて、しばし陶然。
 「今晩は葉を集めて月桂樹風呂にしようかな…。」

 隣は金木犀。月桂樹の勢いに負けてか少々元気が無いのが気に掛かる。
こちらは新芽が伸びるのは春で、その新枝に花芽が着くので枝が伸びた後は
刈り込めない
。今の内にぎりぎり葉を残して切り詰めて形を整えた。

 その隣はモッコウ薔薇。この薔薇の勢いは最早留まる所をしらないようだ。
伸びすぎを防ぐ為何年も肥料もやらないでいるのに、何を糧にしてこれ程伸びるのか。
薔薇の癖に棘がないのを幸いに、茂みの中に体を潜り込ませ、長く伸びた蔓の根元を
探っては剪定してゆく。切った枝を引き抜いた時、油断して鞭のようにしなった枝に
したたか横っ面を叩かれた

 薔薇の木にしてみたら、剪定など余計なお世話である。
ただお日様を求めて一生懸命枝を伸ばしていただけというのに、その努力を枝ごと
奪おうとする人間に制裁を与えたのであろう。身勝手で傲慢な我を許し給う…。

 薔薇にお仕置きをされ、しょぼしょぼと表に回り庭の落ち葉を掻き集めた。
少し見ない内に草木は着々と冬支度を済ませていた。落ち葉を寄せるとその下から
ツヤツヤの冬芽を付けた鴨葵(双葉葵)が姿を現した。(写真中) 
その艶やかさに寒さに負けない力強さを見たが、ふと見てはいけない秘密を開けて
しまったように気が引けて、また元通りそっと落ち葉を被せておいた。

 大切な鴨葵が元気だったので、俄然私も元気になって落ち葉掻きに精をだしたが、
今度は小さな花をつけていた可憐な小菊を熊手でちぎってしまった。

 庭仕事をすると必ずどこかでこのような失敗をしてしまう。自分にとって失敗で
なくとも、庭の手入れとは人間の身勝手な仕業であり、必ず植えるもの生やすものを
選別する。草木を愛する善良な者のようでいて、実は自然を捻じ曲げている存在かも
しれない。

 今日、私が庭仕事などしたことで、未だ緑の葉をつけていた草は引き抜かれ
その葉を食べて蛹になる支度をしていた芋虫は途方に暮れた
生まれてくる子の安寧を祈って草陰のフェンスに産みつけられた、
カマキリの卵塊は白日の下、鳥の目に晒された
落ち葉の下で冬越しに備えていたテントウムシは住処を奪われた…。

 それでもスッキリ片付いた庭を見て、この小さな世界の管理者としての満足を得る。
そんな傲慢な人間も自然の一部である以上、庭の小さな生き物も植物も私と何とか
共存共栄していくより他は無い運命共同体か・・・。

 春に種を蒔いたワイルドストロベリーの実が色づき、うなづいていた。(写真右)
posted by 山桜 at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 園芸・庭仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
しかし観察力が凄いですね!私は名前すらわからないです。。。。自然法則には過酷のものもありますが、表裏一体。生態バランスは遡っていくと
凄いもんでしょうね。。
Posted by あずぱぱ at 2005年12月11日 10:57
あずぱぱさん、こんな土いじりオタクの長文日記を読みコメントまで
して下さってありがとうございます。大感激です・゚・(つД`)・゚・

生態系のバランスを崩すのは殆ど人間の仕業で、
「一番地球に優しいのは人類が滅亡することだ」とも言われますね…。
何とかあまり他の生物の恨みを買わず、地球に一緒に住み続け
させて貰えるように、もう少し謙虚に暮らしたいなと思います。

Posted by 山桜 at 2005年12月11日 16:38
そうですね、「庭の手入れとは人間の身勝手な仕業」です。
そして、造園業界で行なわれている仕事のほとんどが、そうやって命を選び、無駄にしています。
でも、その逆も見えてきました。それは、人間の生きる場所を選ぶ草木がいるということ。
抜かれても抜かれても、根強く生えてくる、したたかな雑草雑木。
人間はまだ、自然に見離されていないと感じます。
人間の生きる場所では、そんな彼らを愛でることこそ、「自然」なんだと思っています^^
Posted by 006 at 2006年02月19日 23:56
☆006さん
 こんな前の方の記事まで読んで下さって感激です!

 人間に愛されたことで生き残ってきた草木生物もありますし、
里山の「自然」などと呼ばれる世界も、人の手が入ることで保たれている。
人間が地球上に生まれて好き勝手することも、大きく見れば「自然」
なのかもしれません。

 そうかと言って奢ることなく、自然の一部という「分をわきまえられる」
といいのかな…。
Posted by 山桜 at 2006年02月20日 09:22
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