「歌舞伎で弁慶が読み上げる勧進帳が白紙だという話は誤りです。
持ち合わせたお経の巻物の中の一つを取り上げて読んだのであり、
歌舞伎の台本(下に引用)にもそう書いてあります。
つまり、「勧進帳」とはマッタク別のモノを、それらしく読み上げたり
することを言います。」
と教えて戴いた。私もてっきり弁慶は何も書いていないものをさも書いて
あるように読み上げたものだとばかり思っていたので、早速調べてみた。
勧進帳:寺院の堂塔の建立などに要する金品・材料の寄付募集の
趣意を記し、巻物などにしたもの。
僧や山伏が民衆から寄付を集める時に読み聞かせる。
(三省堂 大辞林)
歌舞伎の台本:
地 元より勧進帳のあらばこそ、笈の内より往来の巻物一巻取り出だし、
勧進帳と名附けつつ、高らかにこそ読み上げけれ。
歌舞伎の小道具:

2003年 (財)切手博物館 特別展示より
(株)藤浪アート・センター提供品
この小道具を見ると、中までは良く分からないが、確かに題名も何も
書いていないように見える。歌舞伎という誇張が特徴的な演出上、
「何も書いて無いのに、すらすらと読んでいる!」
と見えた方がより印象的なので白紙の小道具?が使われたのかもしれない。
実際の話として考えた場合、いくら弁慶が大男で中を覗き見られる可能性が低い
としても、沢山ある巻物の中から、わざわざ何も書いていない巻物を取り出して
読むことは無いだろう。何も書いていない巻物を持って歩くかも疑問であるし、
何かが書いてあるものを読む方がずっと本当らしく誤魔化しやすいのだから。
また市川宗家の解釈では、武士(富樫)は畏れ多い経文を上から覗き見たりはしない、
という解釈であったが、仁左衛門が演じた時は少し覗き見たとの記載もある。
(↓「ご機嫌!歌舞伎ライフ」勧進帳 団十郎の家の芸 2002.12.5 より)
http://www5e.biglobe.ne.jp/~freddy/watching11.htm
ネットの検索で勧進帳の記載を探してみても、歌舞伎関係以外の人の書いたものは
「白紙の…」とされているものが多いが、それは若しかしたら上の小道具を見た人の口
から出た不確かな情報が、いつの間にかまことしやかな情報として流布された結果
なのかもしれない。
ネット情報には、えてしてこのような出所不明の孫引き情報が多いので要注意だ。
私も引用元は出来る限り明記していきたいと思う。
鎌倉とんぼさん、興味深いお話をありがとうございました。m(_ _)m
<追記:鎌倉とんぼさん談>
その役者の家によっての型があります。先代の団十郎の弁慶だったかでは、
紺紙金字の巻物を使ったことがあると記憶していますし、博多人形の中にも
紺紙金字の巻物を持って、見得を切っているものを見た記憶があります。
【気になること思考の最新記事】
「勧進帳」・・・いろいろな解釈がありますが、
基本的には弁慶の存在自体が「?」でもあります。
一部の史料には「弁慶」の名があることはありま
すが、あの様な働きが、有ったか否かは疑問です。
ただし私メ自身は、義経は北海道(蝦夷)までは
渡っているように考えます。高舘で自害をしてい
るならば、弁慶なる人物が“立ち往生”なるもの
までして、時間を稼ぐ必要はなく、主従もろとも
が自然です。時間を稼ぐ必要は、逃げる為のソレ
でしょう。
しかし、義経がジンギスカンはあり得ません。
良くできた、お話しです。
ありがとうございます。
今日は鎌倉時代の夢を見てしまいそうです^^
先日は義経は4人いた、などという説もテレビでやっていました。
そうでなくては、色々な記録の辻褄が合わないとか…。
本当に義経と言う名前の人が他にもいたようで、
成る程と納得できる点もあって面白かったです。
ジンギスカンまで出てくる所に、義経を惜しむ人気の高さが偲ばれますね。
ひとつ新しい疑問なのですが、歌舞伎などの小道具に本当の経文を書いた
巻物を用いることには問題は無いのでしょうか?
それこそ畏れ多いという憚りがあって、敢えて書かないであるということは
ありませんか?
一度見に行きます。。。。
義経(牛若丸)鞍馬寺、は何度か足を運びました。
私の師匠である藤木相元先生が若い時修行された寺で、先生とご一緒したとき本堂まで車で上がり信楽宗主とお話した思い出があります。天狗のお面をかぶっていたらしいですよ。。牛若丸は。。。
粗末に扱っているわけではないので問題はない
と思います。古道具屋とか古書店の店先に転がさ
れている方が、遙かに粗末な扱いです。
>>敢えて書かないであるということは
演劇の舞台では良くあることですが、「有るつ
もり・・」だと思います。それを見て“それが事
実だ、、無かったのだ、、”とは短絡に過ぎると
思います。
弁慶が着ている衣装の模様は、不動明王の梵字
です。時代が流れてきて、かなりデザイン化され、
崩れてしまってはいますが。
一層引き込まれて楽しむことが出来ると思います。
そういう環境に住まわれていて、本当に羨ましいです。
牛若丸が天狗の面をつけ、鞍馬の山の樹上から
京の都を望んでいるる姿を想像してしまいました。
悲しみを面の下に隠していたのかもしれませんね…。
お忙しい中、真にありがとうございましたm(_ _)m
歌舞伎の世界では、特に道具も衣装も大切にされますし、
生かした用い方であれば良いのですね。
「有るつもり、見做し」これを理解せず、見えているものしか見えない、
そんな目にならないように己を磨かねばと思います。
今、弁慶の衣装を確認して参りました。
黒地に梵字の金刺繍は不動明王さま…。
知れば知るほど、またその奥が知りたくなって参ります。
これからも、どうかお導き宜しくお願い申し上げます。
京都の五条大橋は国道一号線の起点なのですが、そこの中央分離帯に弁慶と牛若丸の像があるんですよ。ちょっと可愛らしい石像です、一度機会があればご覧ください。
下さるので、日々楽しく暮らすことができます。とても幸せ者と思います。^^
今年の大河「義経」で一番印象的だったのは、五条大橋、
桜舞い散る中の弁慶・義経の出会いのシーンでした。
壇ノ浦で平家一門が没落してから後、何となく見なくなってしまいました。
原作が宮尾さんの平家物語だったせいか、平家の方々がいなくなったら
急にドラマからオーラが失せたような…
どんな様子の二人の石像なのでしょう。あれこれ想像して、
京都に行く楽しみがまた一つ増えました。
ふしぎなイラン人さん、情報をありがとうございます♪