以前の日記(http://yamasakuran.seesaa.net/article/28674965.html?1287707031)で、私の拙い写真で紹介した「村雨」の茶壷の図録写真がありました。 もやっとしていた姿がよりはっきりとお分かりになると思います。
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文字が小さくて読みにくいのですが、来歴には、足利将軍家→秀吉→家康→井伊直政…とあります。
同じ日に、長次郎の黒楽茶碗「寿老人」
永楽の金彩茶碗
三輪休雪の萩茶碗
も拝見したのですが、かさかさに干からびたような「寿老人」の痛々しさばかり気になって、勿体無くも他のお茶碗の記憶が霧の中・・・
「寿老人」は一体どのくらいの年月、お茶を点てられることもなく仕舞われていたのでしょう。 『喉が渇いた』と訴えているように思えてなりませんでした。 あれから何方かの手に渡り、ゆったりと潤い寛いでいることを願うばかりです。
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ラベル:茶壷
じます。個人的には、茶道具は景色などは勿論で
すが、その持っている“線の美しさ”が大切だと
思います。棚一つにしても、軽やかな線の交叉が
あって他の道具が活きてくることがあります。
作り手の方は、時として釉薬や景色にこそ重きを
置かれますが、個人的には景色や上がりが良くて
も線が活きていないと使えないと思います。
私事ですが、飯椀は京都の平八窯のものを使い続
けています。勿論、割れたり欠けたりで幾度も取
り替えていますが、同じ飯椀で湯飲みも同様です。
先日のこと、娘が割ってくれました。新しいのを
買おうとして深川製磁のHPを見て・・・?今のは
高台の形が違っているのです。そのために茶碗自
体の立ち上がりの線が違うものになっていて。。
今度 京都に行ったら しつこく捜さないとイケ
マセン。どうでもイイと言えば言えますが(笑)
なんだかあの時の瞬間に戻されたよ(笑)
寿老人さん、かなり印象に残ったよ。
あの姿と寿老人さんが一体になっていて
今思えば、何かが宿っているような。。。
既に生き物だった。。。。気がする〜☆
お稽古が午後からだったので、午前中ちょっとだけ時間が
空いて記事をアップしましたけれど、お返事まで書けず
すみません!
慌ててお返事書きたくないので、時間のとれた時に〜
バタバタで申し訳ありません・・・<( _ _ )>
水分が必要ですよね。
使われない楽茶碗は、割れ易いと聞いたことがあります。
村雨、アップありがとうございます。嬉しい〜^^
今の茶壷は小さいですが、
昔の茶壷はどちらで拝見しても大きいですね。
どんなに飲まれていたかが分かる気がします^^
昭和の鞍馬天狗・白洲次郎さん、韋駄天のお正・白洲正子さん
センスの良い、なんともカッコイイ方たちですね!
お二人が晩年過ごされた武相荘(ぶあいそう)は、お二人の生活ぶりに
憧れる奥様方の人気スポットになっています。
このような茶壷も正子さんにかかれば、玄関脇の花生でも
何にでも実用に使われるのでしょうね〜
茶壷のこと、何かお分かりになりましたら、お教え下さいね^^
>茶道具は景色などは勿論ですが、その持っている
>“線の美しさ”が大切だと思います。
”道具”なればこその用の美が線の美しさを描き出すのですね。
毎日使う品にこそ、本当に良い品を選ぶこと、理想・憧れです。
長年使い続ける程に気に入られた一品をお持ちで羨ましいです。
それだけ手に馴染んでいると、少しのラインの差も気になる
ことでしょう…どこかで鎌倉とんぼさんが使って下さるのをずっと
待っていたお茶碗が、『ここにいます〜』と呼んでくれますように!
そうだね〜もう2年も前のことになるんだよね。。。
やゆよんが声を掛けてくれなかったら、こんな機会には
とても巡り会えなかったと思うよ〜今更ながら、ありがとう!
寿老人さんで毎日お茶を戴いていたら、長生きできそうだね〜
しかして、お値段は一体…???
永楽の金彩茶碗、やゆよんは覚えているのでは?
とても気にいっていたような朧気な記憶が…。
休雪の萩茶碗は、だんだん姿と掌の感触の記憶が蘇って…。
お茶碗にしろ、花生にしろ、特に水を得てこその品は、
ガラスの中では息苦しそうで哀しくなります。
さかもっちゃんさんの先日の日記のように、美術館が収蔵品を
実際に使わせてくれる企画が、もっと増えてくれればと思います。
茶壷といえば、
♪ずいずいずっころばしごまみそずい、
茶壷に追われてどっぴんしゃん…
を変な歌と思っていた私は、この時見た茶壷の大きさでやっと、
『ああ、追われたら怖いかも?』と思い、調べていく内に、なにか
ツヤっぽい意味もあるらしく…言葉の伝承って面白いですね^^;