
NHK-BS [COOL JAPAN かっこいい!ニッポン]より
最近、日本国内でも県民性の違いが面白おかしく取り上げられていますが、さらに視線が世界に広がり国民性の違いとなると、日本人が常識と思っているような事が根底から覆されてビックリ!すること、ありますね〜


NHK-BSの番組「COOL JAPAN かっこいい!ニッポン」は、
BShi 火曜 午後10:00〜10:45
BS1 日曜 午前 0:10〜 0:45(土曜深夜)
その他、時々違う時間に再放送ある模様
(私が見たのは5月11日月曜の午前8:15〜でした)
来日したばかりの外国人の目から見たクールな(カッコイイ)日本文化を紹介する番組で、一般公募で選ばれた日本在住の外国人が集められスタジオで討論したり、日本各地へ出かけて気になる日本文化のレポートをしたりします。
私が先日視聴した回のテーマは「日本語」。
先ずは「漢字」の魅力から入り書道の芸術性に話が及んだ後、日本人が大人になっても、
「字は人柄を表す」
として、少しでも綺麗な文字を書こうと努力していることに対して、
「字の練習は時間の無駄」
「字のキレイさは人物評価に全く関係しない」
「字の美醜より書いてある内容が大事」
「キレイな字を書く人は頭が悪そうに見える」
「読み難い字を書く人は賢いというイメージがある」
「キチンと書くのは、まるで社会に服従しているみたい」
「他人とは違うオリジナルな字を書きたい」
「キレイという感覚は主観的なもの」
「キタナイのではなく個性的なのだ」
と、出るは出るは、私にとっては驚きの意見の数々…そして、人一倍力説していたのは、フランス人教師のサンドリンさんで(上の意見の内、下から4つは全て彼女の発言)、自分の生徒にも「綺麗な字を書きなさい」とは決して言わないそうです。 流石「人と同じは嫌!」というフランス人気質バリバリですね。
(シンガポールのレンレンさんや中国のパオさんの意見が放送されなかったのが、非常に気に入らないのですが…)
欧米の人々にとって、
「キレイな字の人」=
「個性が無く言われた通りにしか出来ない頭が悪い人」
「キタナイ字の人」=
「(普通の人とは違い)個性豊かで才能のある賢い人」
なのだそうです。
これで長年の疑問が解けました。 今まで習ってきた外国人の先生の字が揃いも揃って悪筆だった訳が… 私が提出したレポートを見た先生に
「筆記体のタイプライターを持っているのか?」
と尋ねられた訳が…。 その当時でも筆記体を書く先生は日本人以外、殆どいませんでした。 そして、私が知る限り整った文字を書いていらしたのは、ハワイの日系人の先生だけでした。
番組の中で、ペン習字を体験にいったベネズエラのハビエルさんが、
「最初は時間の無駄と思ったけれど、
やってみたら成果がみえて楽しくなった」
と言っていたことから想像すると、結局、教育や環境の違いかなとも思いました。
・文字の読み書きを教えるだけで充分とし、文字の美醜を問う所まで行き着かず、教えることとしての優先順位が低い。
・アルファベットはタイプライター(今はワープロ)が普及していたので、正しく伝えなければならない場合でも、手書きの綺麗さは必須ではなかった。
従って「習字」の時間は殆ど無く、その楽しみも(苦しみも?)知らないのかもしれません。
他にも「国字」「漢字勉強会」「俳句」などの興味深い内容があったのですが、なんだかもう「綺麗に字を書く人は頭が悪くみえる」「読み難い字を書く人は賢いイメージ」等などにビックリして、吹き飛んでしまいました。 また落ち着いて、思い出した時にでも…。

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【書道の最新記事】
記号に美醜も深みもありません、、、まして魂など。
文化の違いは様々ですが、これには本当にビックリです。
美しい文字に心を和ませ、虫の音に癒しを感じられる、そうした感性を楽しめる日本人に生まれて良かったです(*^^)v
アルファベットも最初は、
A=牛の角、B=家、寝る所?、C=ラクダの足…
などの象形文字だったようですが、今や仰るとおりただの
表音文字になってしまい、元の意味は失われたようですね。
しかし西欧人の感覚では何か他の要素が今でも残っているのか、
その辺り、興味のある所です。
カリグラフィーはどんな位置づけなのでしょう?
単なる装飾的デザイン? コーランなどでは魂が宿っている
ような感覚もありそうですが…未知の世界で分かりません(><)
まぁ…本当にビックリ!ですよね^^;
司会者(日本人)が、
「全く同じ内容の恋文で綺麗な字と汚い字だったら、どっちの人を選ぶ?」
と尋ねても、かなり長い時間ウ〜ンと考えた末に渋々、
「まぁ、それだったら綺麗な方がいいかな…」
と答えたのが一人だけ、あとは
「関係な〜い」
と呆れたように手を広げてました(苦笑)
未だ来日して日が浅い彼等ですから、これから段々と
日本色に染まっていくかもしれませんね。 俳句には、
「日本文化は厳しいルールだらけ!」
と嫌がっていたサンドリンさんも興味を持ったようでした^^
中国では特に字の美しさがやかましかったようですが、表意文字である漢字を略字に多いにしたのは中国、韓国ではハングルに、こうなりゃ日本だけが字に魂ありということを思っているのでしょうか?
段々表意文字についての畏敬の念がなくなり、最近の子供の名前は漢字の意味ではなく、発音の美しさに力点あるみたいですね。
意味があり、ついには字そのものに魂が宿ると考えている。
もしかしてフランスの人のように考える人が日本の中でも増えてきたかもしれませんね。
お茶(抹茶)も中国では廃れ日本に渡って生き永らえましたし、
秀吉が陶工を攫って行ったとアチラでは嘆きますが、陶器の文化も
日本の方が盛んになりました。 嘗ての日本人には良いもの美しい
ものを取り入れる審美眼とより高めていく能力があったのでしょう。
戦後の教育は、その日本人としての誇りを失わせ、欧米文化への
追随・憧ればかり煽って、結果、経済的には一流に追いつきましたが、
文化的には、この様です。
流行に乗って、意味も無い当て字や無理な意味当て読み当ての名前を
つけられた子供達が不憫です。 読み難い名前ばかり並んだ出席簿を
抱えて先生方もさぞ困ってらっしゃることでしょう。
でも、これって現代風「万葉仮名」なのかしら? 日本語の柔軟性を
表している、とも言えますか…。
黄熊でぷう(熊のプーさん)と読ませるなんて事実なのでしょうか??
悪筆?で知られているのは
藤原定家ですよね
歌の世界では神様なのですが
あまりに当時としては字が下手で
他のお公家さんとかは
それを指摘したいんだけど
うっかり指摘して歌の世界で
つまはじきされてはかなわないので
みな個性的な字であると評していて
なんとも面白いことだと思いました
愚生なんて藤原定家の字は
むちゃくちゃ好みに合う字なので
綺麗さびの小堀遠州がやはり
その字を好んで定家様を勉強して
自分のものにしたと聞いて
結構嬉しかったのです
確認した訳ではないけれど、確かに獏山さんなんです。味わいのあるいい表札なんですよ!楽しい散歩コースになっています。
それから、先日たまたま見ていたテレビが何でも鑑定団。江戸時代の何たらとか言う(^^;)高僧の書の掛け軸でした。テレビで見ていても、いい書だなーと思える筆で、高値がついていました。
素人が見ても、いいと感じるものはいいですねー!
外国ではタイプの書面でも最後には必ず直筆のサインを入れますよね。それはきっと何度も何度も練習していると思うのですが、どうなのかしらん?
定家さんの丸っこい乙女文字も当時としては悪筆とされて
仕方ない字でしょうかね〜 癖字ではあるけれど、何か
愛される字体ですよね^^ 小堀遠州まで来ると最早一つの
フォントとして登録されて良いほどの洗練さと認知度が
ありますね。
番組に登場していた外国人さん方の悪筆度は、もう・・・
とてもとても定家の比ではないのです。 相手の為に読み易く
などと云う気持さえ毛頭ないのではと思えます。
人に伝えられなくて何の為の文字なんでしょうねぇ
一寸無理があるかも知れませんね?!
「綺麗に字を書く人は頭が悪くみえる」と見る外国人が居る事を知って、まさか
意識的に下手に書く人っていないと思いますが、聞いてみないと分からないものですね? 人の感じ方って・・@@;
ところで、外国人から見て綺麗に見える日本人の文字ってどんなんだろう?
論より実践とばかり稽古しておりました。 もう一度!の
「春すきて…」が難しくて(。。;)形だけなら何とか真似られても、
墨の含み具合、筆の運び勢い、線の美しさ、余白の調和…
やればやる程深みに嵌っていくようです♪
勿論深みとは、泥沼のではなくて美しい海への楽しい潜水?です!
手元の「書を書く愉しみ・武田双雲」の中に、お手本無しで自分で
思う一番上手い字を教室で皆に書いてもらい、自分の作品以外で一番
上手いと思う字に投票して貰うと、不思議に必ず一つか二つの文字に
人気が集中する。 このことから分かるのは、誰もが上手い字という
ものを認識することが出来る…認識できるということは、上手い字を
書ける可能性は誰にもある、とありました。
これは来日間もない外国人でも何度やっても同じ結果なのだそうです。
勿論、上手い字と言っても色々な上手さがあるけれど、幾つかの
中から選ばせると、皆が選ぶのは同じ字の傾向があるということは、
人間が感じる「美」とは案外万国共通なのかもしれません。
さてさて…この話、長〜〜くなりますね^^;
私も色々書いたり考えたりしている内に、思考が広がり
すぎて、収まりがつかなくなって来てしまいました^^;
多分、アルファベットでの「綺麗な字」の行き着く所は
「活字のように整った文字」なのかもしれません。
日本語のように手書き文字の自由な美しさの広がりは無い?
ように(私の狭い見聞では)見えてしまいます。
「活字のように整った文字」「定規で書いたような文字」を
「綺麗な字」だとすると、そのような字を書く人は日本人から
見ても、あまり「頭の良い人」には見えないかもしれません。
和服を召された華奢な女性の書の先生が、全身を使って
気魄を込めて書き上げた書を見て、レポーターの外人さんは
「素晴らしい、これは芸術です!」
と言っていました。
今思い出しましたけれど、確かアルファベットの書道家が
いらしたような…何処で拝見したんだったかしら〜??
纏まり無く書き散らしてしまってすみません(汗;;)
獏山さんの書かれた表札だなんて、高級住宅地なのですね〜!
道々で素敵な表札を見て歩けるなんて素敵です♪
鑑定団もず〜っと見続けていると、結構目が肥えますね^^
あのシンスケさんも鑑定額までピッタリ当てるようになって
スゴイ進歩だなぁと思います。
日本人は、サインをそれこそ一生懸命に練習したり、
デザインに拘ったりしますよね〜 う〜ん、外国人は
私の知る限り、そこまでやらないかなぁ… 結構いい加減(笑)
画家のサインは流石にデザインも考えてるようですけれどね〜
(折角のコメント見逃してしまい、お返事遅れてごめんなさい!<( _ _ )>)
やはり素敵だなと思う方(男女問わず)はそういう感性のある文字を書かれると尚一層という感じがします。逆の場合は逆です(笑)
自分の字をみてもいやな字を書いていたなと思うことが多々あります。(今も多々><)
またその辺の感覚は、たとえABCの英語でも私の場合それほど別のものではないのですが。
番組を見た時は、書かれた文字に人柄が表れるという
受け取り方はあるものの、その評価が全く逆なことに本当に
驚きましたが、段々ちょっと誤解もあるのかなぁ…と感じて
参りました。 機会があれば、外国の方々にもっと詳しく
その辺りの意見を伺ってみたいと思います。
どうもNHKの番組は、最初にもって行きたい方向性があって、
そこへ向けて番組を作り上げてしまう傾向がみええるので、迂闊に
信用出来無い所、ありますね。
またそのときの担任の先生から、「テレビを信じるな。100人にインタビューして、3人だけの意見だとしても、テレビでその3人の意見だけを放送すれば、100パーセントの意見として報道していることになる。幾らでも操作できる、されている。」と教わりました。
番組内容を敷衍すると、
「キレイな字の人=個性が無く言われた通りにしか出来ない頭が悪い人」
「キレイな絵を描く人=個性が無く言われた通りにしか出来ない頭が悪い人」
「キレイな楽器演奏の出来る人=個性が無く言われた通りにしか出来ない頭が悪い人」
ということになり、放送内容はにわかには信じられません。
外人ってそんなに美的感覚に劣っていましたっけ?
NHKは相変わらず偏向放送しているな、としか思いませんし、日本人の優秀さを刷り込もうと言う深慮遠謀?かとまで勘ぐりたくなります。(苦笑)
変な書き込み、失礼しました。
私もあのペンマンシップのノートなんて使って、外人も
同じように字の練習をしてるのかとばかり思ってました。
番組の中の公募で選ばれた外人さん達は、身振り手振りで盛んに、
「字の上手さ=人格は、全く関係な〜い!」
と力説するものですから、私は顎がはずれるほど驚きました。
ただ、今はやはり、
「活字のような型どおりの字」
「綺麗なソツない絵」
「楽譜どおりに間違いのない演奏」
は退屈でツマラナイと感じますので、外国人のあの発言はそんな所に
焦点が合っていたのかもしれないと想像するようになりました。
本当の所は分かりませんので、これからも機会があれば質問してみよう
と思います。
NHKって日本人の優位性を刷り込むことよりも、劣っている所
反省しなければいけない部分を殊更大きく取り扱うように感じます。
(自虐的、と言えば良いのでしょうか。 国営であることを
変な足枷にしてしまっているのかしら…)
先の台湾でのルポのような作りの番組「アジアの一等国」も、
見ていて違和感だらけで憤慨していましたが、案の定批判続出でした…。
私の驚きに付き合いお話を広げて戴き、ありがとうございます♪
今回は来られないのではないかなぁ…と、何となく感じて
おりましたので、あまり自分の中で、
「ももりさんにお会い出来る〜((((o゜▽゜)o))) ワクワク♪」
と、盛り上がらないように自制していて良かった?です。
「大」の字は英語だと「t」の筆記体と殆ど同じようですものね。
左から右への流れの中で、なるべく後戻りせず合理的に書くと
そうなるのかな…なんてチラと思いました。
一方、水の流れるように上から下へと書くうちに草書体も自然と
あのような形へと崩れていったのかなぁ…とも。
そうか、今日はちょっと水の流れるように書いてみます♪
東京は東高円寺の「新渡戸文化学園」には、
新渡戸稲造氏が横文字で書いた書があります。
”Haste not, Rest not”(急がず休まず)
その他。
毛筆で書いたであろうこれらをどう見るかは
個人の判断にゆだねますが、私にはやはり
横文字はいまいちでなじめませんね。
言い方は悪いけど、お遊びの感じ。
今の現代アート(の多く)と同じですね。
それにしても、このようなものであっても、
伝統的であっても、
書の美を感じられない人がいるなんて、
貧しい人々であることだなあと、可哀そう
な気がしますね。
この話題に興味を持たれた方で討論会でもやりたいですね^^
”Haste not, Rest not”(急がず休まず)
新渡戸稲造氏のアルファベットの書、何かで見たことが
ありますが、私も多聞さんの仰る通りの感想でした。
それこそ、このコメント欄の一番最初で鎌倉とんぼさんが
仰っていらしたこと、
>アルファベットは単なる記号です、発音記号!
>記号に美醜も深みもありません、、、まして魂など。
なのですね。 例え当初は象形文字だったにしても、
今やその文字霊は失われ、ただの記号と化しているものに
心を揺り動かすような力は宿らないのでしょう。
日本人や中国人からみれば、ある種お気の毒な人々…とも
思えますね。 あちらからは大きなお世話でしょうが(苦笑)
発音記号と言えば、ハングルはどうなのでしょう?
ハングルの書道があるのかどうか…やはりアルファベットの書
と同じ感想を抱きそうではあります。