大原麗子。
彼女が盛んにドラマ・映画に出ていた頃は好きな女優ではなかった。
あの気だるい甘ったれたような喋り方やしなっとした姿が嫌だった。
今、彼女の昔のCM映像を見ていると何故か涙が止まらない。
「少し愛して、なが〜く愛して。」
なんていじらしく可愛らしい女性だったのだろう。
こんな風に待たれたら、男冥利に尽きるだろな。
待っている間の女の気持、男って分かっているのかしら…
そんな役を演じられた彼女も実生活では孤独だったのか。
人生はままならない。
孤高を貫いて大原麗子は、皆に愛される天女になった。
サントリーレッドCMシリーズより:
(男)「君をモデルにして絵を描こうかな。
100号とかでっかいやつ。
1ヶ月かかるか,2ヶ月かかるか、50年かけてもいいな。」
(大原麗子)「少し愛して、なが〜く愛して。」
天国でも神様たちを魅了されますよう…合掌
「すこし愛して、なが〜く愛して」この名作CMは市川崑監督作品。
その他CMデビュー作「ホワイトライオン」(加賀まりこ出演)
等など、懐かしのCM作品を収録。
Seesaa Blog エコロジー・ブログ 4位
ラベル:大原麗子
もちろん先方が
先輩であり人生の先達で
いらっしゃったわけですが
芸能界という
ちょっと遠いところにおられたのに
どこか勝手に近しく感じていたような
そんな方々が亡くなられると
妙な寂しさがあったりしますね
今日も山城新伍さんの訃報に接し
その思いを強くするばかりです
逝く者は 斯くの如きか 川を見る (2000年チョット前の孔子の名言)
山桜さん、Iyairaykere イヤイライケレ(ありがとう)
哀しい最期だと思いました。
病が彼女の孤独死をもたらしたことが、悲しいです。
以前、森進一との離婚会見のときに「家に男が二人いた」と彼女が話すのを聴いて、女っぽく見えてもそうではないヒトなんだ と印象深く思いました。
病 寂しさと心静かに向きあうのは難しいものですがそうなる前に 愛のへそくり あちこちにしておかなくちゃ。
映像の中の俳優さん方、ずっと大人と思い憧れていたのに
いつの間にか自分もその年齢に追いつき追い越し?切なさも
身近に感じられるようになったようです。
上の画像の下に並んだ画像の中にある「恋は遠き日の花火ではない」
シリーズも何だか胸の奥がキュッとなります。
山城新伍さん、最近見かけないと思ったらご病気だったのですね。
秋風に 笑うコスモス 空に舞う (山桜)
俳優仲間の何方かが大原麗子さんは『薔薇のような派手な花
ではなくコスモスの花のような人だった』と偲んでおいででした。
コスモスはいつも沢山の仲間たちと一緒ですね…。
孤高のようでいて、皆の心は寄り添うていたと思いたいです。
何かこう覚悟の上の「孤独死」だったのかもしれないと
思えてきました。 ちょっと見、しなしな弱弱しい感じが
してしまうけれど、内面は強い人だったのでしょうね。
上のCM画像の中で、待ちに待った人からの電話に思わず、
「あら、生きてたの?」
と言ってしまう感じ、ご本人にもあったのかもしれません。
キリスト教の愛の実行というとマザー・テレサさんを思い浮かべます。
或るマザー・テレサの言葉:
「私の主であるイエス様に笑顔を向けることは
とても難しいと思うときがありますよ。
何故なら彼は厳しい要求を沢山されます。
これは本当です。
愛は、要求がとても厳しい時、
私たちが喜んで与えることが出来る時、
生まれてくるのです。」
このような心持は、日本の神話や昔話や説話の中でも間接的に
語られますが、直接的に歩むべき方向を示してくれて分かり易い
です。 聖書はこれ又どうとでも解釈出来るように書かれて
(いるように思えて、私には)とてつもなく難物なのですが…。
日本でも昔は、切腹や自害のような誇りを守る「死の美学」、
覚悟の上の「姥捨山行」…、今、サッと思いつきませんが
自殺でなくとも「死ぬ心の準備」という考えはあったと思いますし、
お坊さんもずっと身近で相談にのってくれたのではと想像します。
今は万事、如何にして生き・死ぬるか? という哲学が不足して
いると思います。 そんなこと、学校で教えてくれませんもの…。
他の授業の補修に使われたり、「総合的学習」にあてられたり、
教育テレビを見せて終わりにされたりしている「道徳」って、
本当は学校で一番大切な授業なのじゃないでしょうか!?