2006年01月31日

天満宮の飛梅

 松風さんのブログで早咲きの梅のお話になった時、太宰府天満宮
「飛梅」というがあることを知った。

ところが、今度はm-tamagoさんのブログで、菅原道真公を慕って
大宰府へ飛んでいった元の梅はであったと教えて戴いた。

 飛び立った時は梅で、根付いた先では梅?
これはどうしたことかと、調べてみた。

 道真公はどちらの梅も愛され、本邸を梅殿」別邸を梅殿」
称された。 さてはて、どちらの線もありそうな気配。

 有名なお歌

   東風吹かば においおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

の初出は、『拾遺和歌集』だが、梅の色の言及は無い。
(この頃の歌は今伝わるものとは、少し違っている)

   東風吹かば にほひをこせよ 梅花 主なしとて 春を忘るな


 その後、承久元年(1219年)作の『北野天神縁起絵巻』に於いて、
を眺める道真公の姿が描かれてより以後、公が別れを
惜しんだ梅は「梅」が定説になったように思われる。

 絵にするのならやはり「梅」が映えるからか…。 
熱き思いに応えて、空を飛ぶような力も「」を連想させるかもしれない。
菅原家邸宅址の菅大臣神社の「飛梅」も梅とのこと。

 では、何故、大宰府天満宮の「飛梅」は「梅」になってしまったのだろう?
実は、大宰府の飛梅も元々は梅だったが、度重なる代替わりや植え替え
を経ていつの間にか梅になってしまったということだった。

 交配を繰り返して作られた植物には、こういうことが生じることはある。
しかし、主を追って真っ赤な心で飛んできた梅の思いも、年月を経て昇華し、
純白になっていった。 そんな風にも思われる。

 無念の涙を流されたかもしれぬ道真公も、祟り神として畏れられた
昔から、学問の神として後の人々に慕われるようになり、今はく清かに
お鎮まりのことと思う。
posted by 山桜 at 00:00| Comment(12) | TrackBack(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

ひとつの梅にも
それなりのストーリーがあるようで。
梅は梅といいながらも
やはり古人がつけられた名を知りたいものです。
これからいい季節ですね。
Posted by 松風 at 2006年02月02日 23:25
松風さん、こんばんは。
私はどちらの梅も実際に見たことがありません。
是非、京都の北野天神と菅大臣神社の飛梅のお写真、
花のアップも含めてお願いしたいです。
他にどなたか太宰府の方の梅のアップ写真もお願いしたいです…。
白梅に紅梅の痕跡が残っているかどうか確認してみたいのです。

私も梅林めぐりをして、じっくり品種名も味わいたいと思います♪
Posted by 山桜 at 2006年02月02日 23:56
山桜さん、こんにちは。
紅白梅の話、私も今年知って驚いたのです。
紅梅が植え替えを重ねて白梅に変化したのかもしれませんが、やはり不遇の主人を想って飛んだ梅が自らの色さえも変えて主人を慕い続けたと個人的には思いたいです。

そうですね、ホンモノの大宰府天満宮の梅が見たいですね。
昨日ちょうどテレビで梅がほころび始めたと言っていました。宮司さんは受験に間に合ってよかったと喜ばれたそうです。

これから梅の季節、今年は梅を存分に楽しみたいと思います。
Posted by m-tamago at 2006年02月03日 12:56
m-tamagoさん、こんにちは。
貴重なお昼休みにコメントをありがとうございます。
私もブログにも書きましたが、やはり紅〜白への変遷には、
菅公そして梅の思いなどの物語を感じます。

こんな風にみなさんと語りあったことが、案外後の世には
「伝説」となって伝わっていくのかもしれませんね。^^
Posted by 山桜 at 2006年02月03日 13:05
九州の人間なら、一度は行っている場所だと思います♪
受験クラスを受け持つ担任の先生方は
こちらまで詣で、鉛筆を買って生徒に渡したり。。。
梅が枝餅、大好きです!
あのほかほかのやわ〜いお餅、忘れられません(^^*)
Posted by やゆよ at 2006年02月03日 17:04
やゆよんは、大宰府天満宮へ行ったことがあるんだね。
飛梅の色とか様子とか、覚えてる? あのね、さっきさ、
大宰府さんのHPみたら、鷽の木彫りがバッハみたいだったよ(笑)!

そうそう、実は今、我が家にその「梅が枝餅」あるんだ〜☆
こちらの生協では、諸国名物お菓子のパンフに時々載るの。
ちょっと焼き直しても、又風味が出て美味しいよね〜♪
Posted by 山桜 at 2006年02月03日 19:21
えっΣ( ̄□ ̄)ノ梅が枝餅があるの??
いいなあ〜食べたいなあ〜o( ̄▽ ̄)o

飛梅の色は白っぽかったと思うよ〜

様子としては。。。そうね〜
どういう視点で見てたのかはわからないけれど
これというものは。。。(^^;)←これだから

いつも賑わってるし、敷居も高くなさそうだし
ふつーの神社さんぽくて
とっても居心地のよい場所だったよ♪
確かに人はわんさかいました(^^)
Posted by やゆよ at 2006年02月03日 22:32
やゆよん、こんにちは♪
ふふっ、梅が枝餅は受験前のパワーアップ用に密かに
注文しておいたのさ〜☆⌒(*^∇゜)v

写真などでも確かに「白っぽい」んだけど、どこかに「紅梅のなごり」が
無かったかなって…、そんなこと普通は意識して見ないよね(笑)

それとさ、他の天満宮さんより、やはりちょっと流された悲しみ
のような部分が大きいのかな?とも思ったんだ…。
Posted by 山桜 at 2006年02月04日 13:22
さすがさくらん、外さないのね!(^^*)ふふふ

そういうことだったのね。一応記憶をフィードバックしたんだけれど。。。
最後に行ったのが10年くらい前かな。
その前が22年くらい前。

どちらにせよ、梅はしろっぽい色だったかも。

22年前に初めて参拝のようなものをして
絶対にお土産に買おうと思ったものは
菅家の和歌の現代文で書かれている掛け軸風の
布でした。
今思うと、何だか納得しちゃうのよね。
子供心に何か感じたのかしら。。。。

こんな感じくらいで、あとは本当に
明るく、穏やかな神社さんだったよん(^^*)
Posted by やゆよ at 2006年02月04日 23:33
やゆよん、おはよう!
わぁ〜☆そんな素敵なお土産を売っているのね。
ホント、それにピピッと来る所がさすがやゆよんだなぁ…

大宰府さんが明るくて穏やかだって聞くと、
お鎮まりになれて良かったってホッとするよ。
Posted by 山桜 at 2006年02月05日 08:16
おととし、くしこさんと行った
亀岡市の桜天神(例の桜石の)は
珍しく桜と道真さんですね。
道真さんの桜が枯れて木の元に
桜石が出来ていた。
桜石を持っていると雷が落ちない、この地区は雷が落ちた事がないと
桜天神の奥さんが仰っていました。
道真さんの没後1100年?の美術展が何年か前にあって、父と見に行きました。
そのときに飛び梅のお話の巻物や立体があってとても感動しました。

>菅原家邸宅址の菅大臣神社

御所のすぐ隣ですね。何度かお参りに行きました。行くときはいつも寒くて。
可愛い顔の牛さんが沢山いました。
和気清麻呂さんの護王神社(こちらはイノシシさんが)はこの並びです。
晴明さんも歩いて10分ちょっとの距離です。
Posted by ひらりん at 2006年02月10日 23:05
☆ひらりん
 嗚呼、愛しの「桜石」! 
ひらりんに戴いた大事な宝物。
見れば見るほど不思議な桜模様…(*´∀`)*

 散る桜が不死の石に宿るなんてね。
コノハナノサクヤ姫とイワナガ姫の合体みたいな奇跡の貴石。

 そうだ京都へ行こう! 奈良も行きた〜い!
Posted by 山桜 at 2006年02月10日 23:58
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック