2010年03月13日

三輪明神・大神神社

大和國一之宮 三輪明神 大神(おおみわ)神社

御祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
配  祀 大己貴神(おおむなちのかみ)大国主神のまたの御神名
      少彦名神(すくなひこなのかみ)


 大鳥居からも秀麗なお姿を拝し奉った「三輪山」−三輪の大神様が鎮まるこの三諸の神奈備山がご神体そのものです。 このことは古事記にも下のように記載されています。

【古事記 大国主神 少名毘古那神 三諸山の神】
(大国主神がくえびこ(カカシ)に名を教えて貰った少名毘古那神と力を合わせて国を作り固められた後、少名毘古那神は海の向こうの常世の国へ渡ってしまわれた。 残された大国主神は…)

 ここに大国主神愁へて告りたまはく、
 「吾独(われひとり)して何かよくこの国を得作らむ。 
  いづれの神と吾とよくこの国を相作らむ」
とのりたまひき。 この時、海を光(てら)して依り来る神あり。 その神言りたまはく、
 「よく我が前を治めば、吾よく共に相作り成さむ。
  若し然らずは、 国成り難けむ。」

 ここに大国主神、
 「然らば治め奉る状は奈何(いかに)」
とまをしたま(申し給)へば、
 「吾をば倭の青垣の東(ひむかし)の山上(やまのべ)に斎き奉れ」
と答へ言りたまひき。 こは三諸山の上(へ)に坐(いま)す神なり。


 それでは、二の鳥居へ向かいましょうか…。 言葉は不要ですね。 何かを感じて戴ければ幸いです。

(この回からご覧になられた方は、是非、一の鳥居大神教本院参道のたこ焼の回より先に訪問して下さると、より臨場感があるかと思います^^) 


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            拝殿(重要文化財)

 これより先は畏れ多くカメラを向ける気持ちになれませんでした。 また白い襷を戴けば、なんと最近はご神体の三輪山に登れるというのですが、こちらも足を向ける気持ちになれませんでした。 ケロロンも襷を掛けるのが嫌だったらしく、仰ぎ拝し手を合わせ頭を垂れました。

 留守番の主人の病平癒を祈り、大神神社のお守りと狭井神社の御神水を戴いて参りました。 大神神社へお参りする時は、空のペットボトルなど水を戴く容器を持参されると、拝殿左手に鎮座する狭井神社の「薬井戸」で自由に汲むことが出来るようです。 私は遠い他国から参りましたので、心ばかりお納めして分けて戴きました。


 早いもので、大神神社さんにお参りしてから一ヶ月が過ぎようとしています。 折りしも先の週末は春の大神祭、お神輿が渡りお能が奉納されるなど大いに賑わったことでしょう。 角のたこ焼き屋さんもさぞ大忙しだったでしょうね。 私も丁度週末は大神様参道のお店の味を思い出しながら白玉を転がし転がし我が家でたこ焼きを作っておりました。


 三輪山の大物主大神について古事記に別に有名な物語があります。


【崇神天皇 二、三輪山の大物主神 よりの現代語要約】

 崇神天皇の御世に疫病が流行り民が死に絶えそうな時、天皇の夢に大物主大神が顕れ仰せになった。
 「疫病は私の意志である。 意富多々泥古(おほたたねこ)という者
  に私を祭らせるならば、祟りも起きず国も安らかになるであろう」

 そこで天皇は四方に人を使わせ意富多々泥古を探し出し、
 「そなたは誰の子か?」
とお尋ねになると、
 「大物主神が活玉依毘売(たまよりびめ)を妻としてお生まれになった御子の御子の御子、建甕槌神(たけみかづちのかみ)の子の意富多々泥古です。」
とお答えになった。

 天皇は大いに喜ばれ、意富多々泥古を神主として迎え三輪山に意富美和之大神(おおみわのおおかみ)を斎(いつ)き祭られた。 また国内の天神(あまつかみ)地祗(くにつかみ)の社を定め祭られ、坂の上から河の瀬の神に至るまで漏れなく祭られたので、国は安らかになった。


 この意富多々泥古という者が大神の子孫であると知られた訳は…。

 活玉依毘売は容姿輝くほどに美しい姫であったが、突然夜毎比類なく美しく気高い男が訪れるようになり、ほどなく姫は身籠った。 夫のない身で身籠った姫を案じた両親は、男の素性を確かめる為、姫に知恵を授けて言った。
 「赤土を床に撒き、糸巻の麻糸に通した針を男の衣の裾に刺せ」

 翌朝、針につけた麻糸は鍵穴から抜け出て長く伸び、糸巻に残った麻糸は僅かに三輪だけだった。 その糸を辿って行くと三輪山の神の社で留まっていたので、生まれてくる子が三輪の大物主神の子であると分かった。

 麻糸が三輪だけ糸巻に残っていたことからこの地を「美和(みわ)」と名づけたという。

 意富多々泥古命は、神の君(みわのきみ)・鴨君(かものきみ)の祖先である。



 この神話を知れば、白く細い麻糸のような三輪素麺、そうやすやすと口に運べない気がしてきませんか? 勿論、思いは馳せつつ、美味しく戴きますけれど^^  あれ、最後はまた食べ物の話になってしまいましたね。

 奈良〜京都〜日光、なにやら糸が繋がって見えて参りました。


大和国一之宮三輪明神大神神社 公式HP http://www.oomiwa.or.jp/
大神神社 境内図 http://www.oomiwa.or.jp/frame/f03.html


            


posted by 山桜 at 00:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お写真で見ると、沢山の参拝者のかたが
いらっしゃるんだねo(⌒▽⌒)o
賑わいを見るとほっとしちゃうな。

今風だと、イケメン(だからそーめん?なんちって)
の神様だったのね、美男美女カップル。。。
うっとり♪♪
(⌒▽⌒)
  人

神話ってステキだね♪
Posted by やゆよ at 2010年04月13日 17:13
◆やゆよんへ
 この日は日曜日だったので、家族連れが大勢で微笑ましかったの。
奈良は子供がとっても元気で躾も良くて可愛らしかったなぁ
ケロロンなんて子供が欲しくなっちゃった〜なんて言ってた^^;

 イケメ〜ン♪ 素面だから色白のイケメンかなぁ

 日本でもやっと日本の神話が学校で復活の兆しだね。
神々しい立派なお話ばかりじゃなくて、神様も人間ぽくて
おおらかで豊穣の国らしい瑞々しい感性がいっぱいで、
何より面白いから、是非、改めて多くの人に知って欲しい
読んで欲しいと思うなぁ! 私も語り部で頑張るよん。
Posted by 山桜 at 2010年04月13日 17:48
あれ、更新の情報がmixiに流れないので気がつき
ませんでした。
三輪神社・・・お詣りしたくなりました。このお
写真で遙拝。

前を歩いておられる、見目麗しき方・・・お嬢様
ですか?
Posted by 鎌倉とんぼ at 2010年04月13日 17:50
◆鎌倉とんぼさんへ
 本日久しぶりにmixiを覗いたら、鎌倉とんぼさんの記事を
拝見でき、とてもラッキーでした♪♪♪

 意富多々泥古命は鴨氏の祖ということで、この後に賀茂の
神社さんにお参り出来たのも、自然な流れだったのですね^^

 見目麗しい…遠目の後姿でもそう言って戴けて、ケロロンも
喜ぶでしょう。 いつもはちゃんと髪もセットしお化粧も
してるのに、母と旅行中は一向に構わず…でした。
Posted by 山桜 at 2010年04月13日 18:00
意富多々泥古(大直禰子・大田田根子)は
愚生がここしばらく追いかけていた
播磨の掎鹿杣山の住吉神社にも大いに
関係するお方ですので妙に親近感があります
それに愚生が名乗る久延毘古は
冒頭にありましたように
大己貴神と少彦名神を廻り合わせた方
このあたりも大神さんには親近感が
とってもあります
Posted by 幽黙 at 2010年04月13日 18:28
◆幽黙さんへ
 そのように実際に神社に詣で神様の気と身近に触れ合って
いらっしゃる方にとっては、神話は絵空事でも作り事でもなく
祖先からの大切な伝えに他ならないことと思います。

 リンクする時は、不思議に素麺の導きのように?するすると
繋がっていくものですね。 お山の住吉さんシリーズ、私も
妙に魅かれてワクワクご一緒した積もりになっておりました♪

 いよいよ次の日記は久延彦神社へ向かいますよ〜^^
Posted by 山桜 at 2010年04月13日 19:03
 お写真はどれも歴史の奥行きを感じ、物語性が秘められている様に感じます。
古事記と大和路・・・山桜さんの本領発揮ですね-☆^^¥

 三輪素麺、恐れ多くて喉につまらせない様に気をつけながら、心して頂きます^^
Posted by メダカの目 at 2010年04月15日 16:39
◆メダカの目さんへ
 殆ど何も知らずに修学旅行で訪れた時とはまったく違い
歴史の舞台いきづく奈良大和路の旅でした。 行ってみて、ますます
行きたい所が増えました。 また近いうちに出掛けると思います♪

 白糸はメダカの目さんのご一族にとっても大切な縁(えにし)が
繋がっていますね^^ 今日は和裁の日でしたので、私もず〜っと
白糸のお世話になっておりました。 
Posted by 山桜 at 2010年04月15日 20:45
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