崇神天皇*陵は、お堀に囲まれ春の陽に朗らかに包まれていました。
中に立ち入ることは勿論出来ません。 越える気になればひょいと越えられそうな柵ですが、目に見えない強い結界が張られているようで、とてもそんな気持ちは起きません。
またの御名を「はつくにしらすのすめらみこと」
現在学術上、ある程度実在が確認できる天皇として、初めて国を平らかに治められた天皇(すめらみこと)様の御陵(みささぎ)に、母子二人して頭を垂れ手を合わせました。
私は、前述のヤマトトトヒモモソ姫の眠ると言う「箸墓」へ是非お参りしたかったのですが、ケロロンの足とお腹が限界のようで、「ひょっこりひょうたん島」のような「箸墓」を遥拝し、またの機会のあることを祈りながら、一路最寄の柳本の駅へ向かいました。
「駅に向かいさえすれば、お食事処の一軒や二軒あるに違いない」
「見つけたら選り好みせず一軒目に絶対入る!」
けれども、行けども行けども食事が出来るようなお店はありません。大きな街道に出た所に鯛焼屋さんが一軒ありました。 でも、食べたいのは甘いものじゃないんです…。 ああでもでも、やはり何か買っておけば良かった…。 それが最後のお店になろうとは!
柳本の駅の周りには何にもありません。 勿論コンビにもありません。 山の辺の道を歩かれる方はお弁当持参か、前もって数軒あるお食事処の下調べを十分なさってからお出かけ下さいませ。
結局、三輪の大鳥居横「白玉屋」さんで一つずつ残して持ち帰った「みむろ最中」が私たちを空腹地獄から救ってくれました。
「あの時、持ち帰れる最中にめぐり合えてホンマに良かった!」
昼下がりの午後、柳本駅ホームの待合ベンチで、愛しむように最中を食べていた母子が私とケロロンです。
* * *
今日は昭和天皇陛下のお誕生日「昭和の日」(「旧みどりの日」)、いにしえに日本の国の礎を築かれた崇神天皇の御代を振り返るに佳き日と思い、改めてここに調べ置きました。
【第10代 崇神(すじん)天皇】
出生:紀元前148年?
在位:紀元前97年2月17日〜紀元前29年1月9日(崩御119歳?)
諡号:
<日本書紀>
御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)
御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)
<古事記>
御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)
皇居: 磯城(しき) 瑞籬(みずがき)宮(現・桜井市金屋付近)
陵墓: 山邊道勾岡上陵(やまのへのみちのえのみささぎ)
父親 開化天皇(第9代)
母親 伊香色謎命
皇后 御間城姫
子女 垂仁天皇(第11代)
善悪を識別する力が優れ、早くから大きなはかりごとを好まれた。
心広く慎み深く、天神地祇を崇められた。
常に帝王としての大業を治めようと思われる心があった。
崇神四年十月二十三日の詔
「わが皇祖の諸天皇たちが、その位に臨まれたのはただ一身の為ではない。 神や人を整え天下を治めるためである。 だから代々良い政治を広め徳を布かれた。 今、自分は大業を承って、国民を恵み養うこととなった。 どのようにして皇祖の跡を継ぎ、無窮の位を保とうか。 群卿百僚たちよ、汝らの忠貞の心を尽くして共に天下を安ずることは、また良いことではないか」
・天神・地祇の祀り(神懸の巫女・ヤマトトトヒモモソ姫)
天照大御神を皇居内→檜原神社へ
大物主神→三輪山へ
倭の大國魂神
八百万の神々→天社、地社、神地、神戸へと祀られた。
・四方への教化(四道将軍)
大彦命→北陸へ
武ぬ川別→東海へ
吉備津彦命→西海へ
丹波道主命→丹波へ
・人民の戸口調べ、役(男・ゆはずの調、女・手末の調)を課す。
(以上「日本書紀(上)」宇治谷孟 講談社学術文庫より)
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酒徒善人さんと
同じだったんですね…(^ ^;
↑気が付くのが遅い
善人さんが、なんとなく話題を合わせて下さっているのかな〜
って思ったりもして、楽しく拝見しています♪
善人さんの所での陪塚の話、ありがとうございました☆
最中、本当によかったね。
それにしても、ヤマトを甘く見ていたわ。
古墳めぐりは憧れだけど
やっぱり時間や計画が必要ね。
ケロロンさんが歩くの限界で
さくらん大丈夫って。。。おそろしや(笑)
私も学生時代はかなり歩いたんだけれどな〜
今はすぐにダウンだね^^;
この日はこの後、奈良駅へ戻ってまだまだ歩く予定でね…
お天気の都合で日程を入れ替えたので、山の辺に道探索の
時間が足りなくなって残念〜! ケロロンは歩く距離が減って
喜んでたけどさ…どうも受験で筋肉落ちてしまったみたいよ。
それでも一緒にテクテク歩いてくれたので嬉しかった〜♪
山野辺の道を2度程、天理から畝傍までおりました。いい思い出です。
そういえば、私、某山間部の三輪小学校出身でもあります。
何度でも歩きたくなる、初めてなのに懐かしい山の辺の道…。
「三輪」というと子供の頃は、恥ずかしながら♪みつわ〜せっけん!
のCMソングのイメージしかありませんでした。
「3」という数字は不思議がいっぱいですね。
私のラッキーナンバーでもあります^^
アベックが濠のそばに座っていて、、、私メが心
経を唱えたら、警戒の眼を向けられました。
そのお二人さん、突然のことで少し驚いたかもしれませんが、
鎌倉とんぼさんのご心経を身近で受けることが出来、きっと
後々まで幸せに過ごされたことでしょうね^^♪