2006年05月18日

神さまに拝すること

harienju.JPG
      清らかな木漏れ日と甘い香りを降り注ぐ「ハリエンジュ」

 先日「日本の神さまの本」へ戴いた一つのコメントの中の

  もしこの世に
  神が
  仏があるのなら
  参らなくても
  手を合わせなくとも
  (手を合わせても良いのですけれどね)
  正しく生きてさえいれば
  必ずそれが伝わるはず


を読んでから、何故自分は毎朝神仏を拝するのかと、
自分に問い続けていました。

 このコメントを拝読したすぐ後に書いた私のお返事は、

  私が日々神仏に手を合わせるのは、
   「今日も元気に家族揃って朝を迎えさせて
           戴きましてありがとうございます。」
  という気持ちやこの世に生きている喜びをお伝えしたいからです。

   突然ポコンとこの世にどこからか降って湧いた命ではなく、
  脈々とご先祖様方が繋いで来て下さった大切な命だという
  ことを 忘れない為かもしれません。


でしたが、それだけではありませんでした。

 今朝、神さまに祝詞(三科祓)を奉唱していた時にふと感じた、
体の中から湧き上がってくる新しい力、清々しい気持ち、
何と表現すれば・・・俗な例えで申し訳ないのですが、
「毎朝浴びるシャワー」とでも言いましょうか・・・。
お風呂に入ったり、顔を洗ったり、歯を磨いたりする時の
爽快感にも似ています。

 祝詞は、「水の流れるが如く」と教えて戴きました。
以来「瀬を流るる水音」を思いながらお唱えしています。

 清らかな水、時にさらさらと和(やわら)に、時に深くとどまる如く静かに、
時に激しく力強い水の流れにも似た言霊の力により、特に悪事を
働いたのではなくとも、自然と降り積もる埃のように、日々の
生活の中で積もってしまった身や心の疲れ・穢れを祓い清められ、
新しい「天地の元気」(あめつちのはちめ)を分け与えて
戴ける気持ちが致します。


 また、特に祝詞や祈りの言葉を発しなくとも、毎朝神仏に
向かい合う為に、身なりや居ずまいを正そうとすること自体、
新しい日の良いスタートを切るきっかけになるように思います。


 新しいもの、清々しいもの好きな我が民族は、仕切りなおし、
けじめ付けも大好きですね。

 新しい朝、パンパンと気持ちのいい拍手を打ったり、チーンと
御鈴を鳴らしたりするのも、神仏へのご挨拶と共に、私にとっては
自分への気合入れになっています。


<追記>
 もう一つ大事なことがあった。
 (一旦床に就いたものの、これを書かないと眠れそうに無く・・・。)

 昨日の蛇さん、そして夜来香さんのコメントが私に伝えてくれたこと、
 それは、
   「神さまは、いつも見ていて下さる。」
  「お天道様には、お見通し。」

 ということ。 日拝はこのことを肝に銘じる為でもある。

 とすれば、昨日の蛇さんの後の丸い蕗の葉は、襟巻きなどではなく、
    『日輪』
 だったのかもしれない・・・。 

  このとっつきにくいタイトルの日記にコメントを下さった皆様、
 本当にありがとうございます。今宵は大分更けてしまいましたので、
 新しい気に満ちたお天道様の下で、お返事申し上げたく存知ます。
 おやすみなさいませ〜(*^ー^)ノ☆。.:*:・★。.:*:・☆。.:*:・★

  
posted by 山桜 at 00:00| 東京 ☔| Comment(18) | TrackBack(0) | 祖先からの伝え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お心栄え、お心がけ、とてもとても尊敬いたしております。

>もしこの世に
>  神が
>  仏があるのなら
>  参らなくても
>  手を合わせなくとも
>  (手を合わせても良いのですけれどね)
>  正しく生きてさえいれば
>  必ずそれが伝わるはず

この論法はやはり日本だけなのでしょうか。キリスト教は神と契約しなければ救って貰えません。日本人は生れ落ちただけで神仏と縁を結びます。
つまり、神仏の意向などお構いなく、当人たちは神仏の子と決めております。

そういえば、国籍も、日本では日本人の子供はどの国土にいようとも日本国籍が与えられます。これは法律上、属人主義と言いますが、神仏の扱いと同じですね。

別に深い意味はないのですが、山桜さんの日記を拝見して、ふとこのようなことが頭をよぎりました。

お騒がせいたしました。
Posted by 武蔵野閑人 at 2006年05月18日 21:31
神さまはこちらが思おうと思わまいと、常に側にいてくださいますからね。
あることから、行かねばと思っていた所のお札をお土産にいただいたり…

さいきん、もうずっとですが神社で祝詞唱えたり、お願いをすると言うことがなくなりました。
ひたすら感謝と日々の報告しかでてこないんです。
なんかよく分からないんですが。
あとは世の平和を祈るのみ。
何を言う前にも御神前に立つと、眉間が明るくなって暖かくなります。
小太郎の「散歩の神様」のお稲荷さん、庚申さま、馬頭観音さん…みんなあったかい。
畑のオジサンに熱心だね〜とか言われてしまいました(;´Д`)
小太郎は狛犬かな?
Posted by ひらりん at 2006年05月18日 21:46
そうは言っても・・・
私も毎朝、ご先祖様に手をあわせます。
それはもう、自然に出てくるもの。

何かをお願いしようと思っているわけでもなく
ただただ、今日もまた、新しい一日が始められるという感謝の気持ちかしら。。。

目に見えないもの、
手に取れないものの
存在を信じなくなってしまうと
人は
手に取れるものだけを
ありがたいと思うようになってしまうのでしょうか。
時はけして見えないけれど
確実に平等に人の上を通っていくのにね。


Posted by 夜来香 at 2006年05月18日 22:34
☆武蔵野閑人さん、おはようございます。
 やはり、豊四季の恵みを受けることに慣れた日本人と、
過酷な環境下で生きなければならぬ人々の信仰形態が異なるのは、
これもまた自然なことなのでしょうね。

 ただ段々と生活が西洋化すると共に、神との契約が無ければ、
不安で生きていけないという精神状態も生まれていると思います。

 必要な人がそれぞれの心に添う神さまに拝する自由、
また、拝さない自由もあって、日本は幸せですね。
Posted by 山桜 at 2006年05月19日 09:29
☆ひらりん、おはよう。
 そうね〜あんまり欲張ってお祈りしても神さまもそうそう甘くないし・・・(笑)

 わたしは、今日も一生懸命頑張りますので、どうか皆の安全と幸せを
お守りください・・・位はやはり自然とお祈りしちゃうよ^^;

 目を閉じ手を合わせて祈る時間は、神さまの御前で、
「素の自分の心」に向き合う時間でもあると思うなぁ・・・。
 忙しい中にほんの1分でも、そういう時間があると、
心身の中かからリフレッシュ出来るよね。

 お祈りの前後に声をかけて下さる人って、必ず神仏の化身?
と思うような優しいお顔をしてらっしゃるよね^^
Posted by 山桜 at 2006年05月19日 09:56
☆夜来香さん、おはようございます。
 夜来香さんのお蔭で「日輪」蛇さんからの大事なメッセージを
漸く受け取ることができました。ありがとうございます!

 夜来香さんの言葉は「詩」そのものですね。
大和の民は大事なことは「和歌」で伝えると伺いました。
自然とそういうことが身についてらして、とても素敵です。

 昨晩、こちらに投稿出来ないので・・・と戴いたメールのお言葉も、
ほぼ意味は同じなのですが、また少し異なった趣で私は好きでした。
勿体無いので、こちらにご紹介しておきますね。
(昨晩ご了承戴いております故^^)

 <夜来香さんからのメッセージその2>

  かく言う私も
  夫の実家と私の実家のご先祖様に
  毎朝、手を合わせています。

  今日もまた新しい一日が始められるという感謝かしら。
  そして
  決意表明でもあるわけですよね。

  この国に生まれて
  目に見えないものや手に取れないものの
  存在を信じて、感じて生きています。
  誰の上にも等しく時が流れるように
  目に見えないものもまた、
  誰の傍にも存在していますよね。

  山桜さんの日記を読むと
  あなたを通じて
  自然の息吹が私のところまで届くように感じます。

表現の仕方で、また少し印象が変わりますよね。
とても勉強になります。
最後の三行が特に嬉しくて・・・と言う事もありますが^^;
Posted by 山桜 at 2006年05月19日 10:17
おはようございます。

キリスト教もモスリムも神との契約ですね。
しかし日本にも一つだけ特殊な契約がありますよね。『申し子』というのですか、それが。
無論それは中世頃までが盛んだったのですが、今も続いているようにも思います。
関西では子に恵まれない人は清水の観音様や鞍馬の毘沙門様などにお願いに行く風習が昔はあったようです。(申し子をする、というのです)
ですから説経節や説話に現れる人々は別してその神様仏様と深い縁が生じる。・・・・・・
少しお話から外れてしまいまして、ごめんなさい。

わたしは信貴山に申し子されたそうです。
そのことをとても嬉しく思います。
Posted by 遊行七恵 at 2006年05月19日 11:32
☆遊行七恵さん、こんにちは。
 「○○の申し子」と言うのは、本当に神仏にお願いして
授かった子、という意味だったのですね。
私はてっきり「○○の生まれ変わり」というような意味だと
ずっと思い違いしていました。 うわっ、恥ずかしい^^;

 お話から外れただなんてとんでもない、思い切ってこんな
話題の日記を書いたお蔭で、良いお話を聞くことが出来て嬉しいです。

 私もお山で授かった命らしいです。名前も一文字戴いております^^
Posted by 山桜 at 2006年05月19日 12:40
目が覚めるようなお話を、ありがとうございます。

父は無宗教で、母が信仰好きなのを何やってるんだかという感じで好きにさせていましたが、ある日「もし神様がいるのなら太陽だと思う」なんて言っていたのを聞いて以来、父のことを表面以外のところで尊敬できるようになりました。日々、遊んでばかりいようと(笑)明るくて誰にでもオープンな父のことが大好きです。

ここ数年は手を合わせる仏壇も神棚もなく、手をあわせる機会が少なくなっております。
それでも、時々手をあわせると「ありがとうございます」とこころもからだも言っているのを聞くことができます。

あっという間に過ぎ行く毎日だからこそ
私も朝晩にけじめをつけられるような場所を設けようかと思います。

ちょうど今、GWにできなかった大掃除の続きを始めています。日曜日まで気合をいれます!

Posted by きょうこ at 2006年05月19日 14:18
「○○の申し子」・・いろいろな御縁の方が居られるのですね。
私メは鹿島神宮と聞かされています、、勿論 記憶にはアリマセンが・・。

神と人間との関係は、日本と西洋の庭園造りの違
いに当てはめることが出来ると思います。
日本は、自然の山河の息吹や、山河そのものを庭
に取り込もうとしますが、西洋のそれは、あくま
でも人工的な美を演出しようとし、左右対称が原
則みたいな部分も見えます。
祈りとは、神仏と交流する時間とも言えましょうか。
Posted by 鎌倉とんぼ at 2006年05月19日 14:21
☆きょうこさん、こんにちは。
 こちらでは初めましてでしょうか? どうぞ宜しくお願いします^^

 本来なら今頃はカラリと晴れて大掃除日和の筈なのに、
こんなに雨ばかりでは本当に困ってしまいますね。
草木を刈りたくても刈れず、どんどん茂って手に負えなくなりそう・・・

 小さくてもお祈りをする所があると、手を合わせる気持ち良さを
ふっと思い出すことが出来ますね。

 親が手を合わせお祈りする姿を見せていると、小さな子供も知らず知らず
真似するようになり、その仕草はとても可愛らしいものです^^
Posted by 山桜 at 2006年05月19日 17:35
☆鎌倉とんぼさん、こんにちは。
 おおっ、鹿島神宮の申し子であられますか・・・
道理でキリリと勇ましいお姿な訳ですね!

 自然そのものの中に美しさを見出せるような国土に生まれたことは、
本当に幸せなことだと思います。この私達の美しい国を私達の代で
ダメにしてしまっては、とてもご先祖様に申し開きができませんね。

 西洋の美といえば、何故ああして隅から隅までびっしりと
趣向を凝らし、埋め尽くしてしまうのでしょう?
隙あれば魔が忍び込むのを恐れているかのようです。

 鎌倉とんぼさんのように、神仏と交流出来る域にまではなかなか
達せませんが、神さま仏さまは、私からのお話をにこにこ笑って
聞いていて下さるように思います^^
Posted by 山桜 at 2006年05月19日 17:49
我が家の庭には
サカキの古木があり
拝むのには便利ですよ。
Posted by 酒徒善人 at 2006年05月19日 18:57
☆酒徒善人さん、こんばんは。
 神奈備の樹や山や岩に祈る。
自然の中に身を置くと、素直にそういう気持ちになります。

 酒徒善人さんのお庭は神宿る樹が沢山ありそうですね^^
Posted by 山桜 at 2006年05月19日 19:31
私は、見守ってくださってありがとう、これからも見守って下さいねの気持ちで仏壇や神前に手を合わせます。お蔭様という気持ちで手を合わせる気持ちを忘れずに日々過ごしたいと願っています。
毎日そうしていらっしゃるなんて素敵な生き方ですね。
Posted by m-tamago at 2006年05月21日 10:29
☆m-tamagoさん
 毎日手を合わせていても、時として厳しい試練は訪れますよね・・・(゜―Å)
それは神さまの思し召し、きっと自分の成長に意味のあること、
お見守りの内なのだと思って頑張りたいですo(^▽^)o

 私は、朝起きて家族に「おはよう♪」を言う前に朝食を戴けないのと同様に、
朝起きて一番に先ず神さま仏さまという大家族の長老さまのような
存在にご挨拶をしているのです。
ご挨拶するしないは、そこにいらっしゃると感じるかどうか、
ということになるのかな・・・
Posted by 山桜 at 2006年05月22日 09:02
清らかな朝のひととき、神様に手を合わせお祈りする心をその行為を尊く思います。
その行為を気になりながら、ずっと怠ってきた自分を羞じています。。。
神棚やお仏壇が無いということもあるのですが、庭に生えた木一本でも活けた花一輪にでもいいのですよね。。。
早速、実行していきます。
Posted by アンズ at 2006年05月22日 10:42
☆アンズさん、こんにちは。
 今の建築は、こちらから言わなければ神棚や仏壇は無しが標準
になってしまったようですね。どんどん開発されていく住宅地の
様子を見ていると、地鎮祭も棟上式も無しで驚きます。
こんな風に建てられた家って・・・。せめて住む人の心がけで
家にも神さまをお招きしたいですよね。

 毎朝お日様に(雨や曇りの日は東の空に)ご挨拶するのも
気持ちがいいですよ^^
Posted by 山桜 at 2006年05月22日 11:37
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック