2011年03月24日

故吉田茂元総理の訓示

 先程、きえさんへのお返事にうろ覚えを書いてしまったので、調べた訓示を備忘録として残しておきます。 国民を導く立場の人間には、伝えるべき言葉を持って欲しいものです。


【1957年(昭和32年)3月26日
防衛大学校 第1期学生 卒業式に於いて】

 君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、
 歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。
 きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。
 御苦労だと思う。

 しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
 外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、
 国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。

 言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、
 国民や日本は幸せなのだ。
 どうか、耐えてもらいたい。

 一生御苦労なことだと思うが、
 国家のために忍び堪え頑張ってもらいたい。
 自衛隊の将来は君達の双肩にかかっている。
 しっかり頼むよ。

               吉田茂 元内閣総理大臣 訓示

posted by 山桜 at 23:06| Comment(8) | TrackBack(0) | 心に残る言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは
実感します、この訓示の重みを。
本当にしんどいでしょうし怖いでしょうが、文句を言わずがんばる隊員さんたち。
胸が痛いです。
Posted by 遊行七恵 at 2011年03月25日 00:51
◆遊行七恵さんへ
 数日前に新聞のコラムでこの訓示を読んだ時、本当に言って欲しい言葉を伝えられる力を持つ人がリーダーだったら…と思わずにはいられませんでした。

 自衛隊は○○装置だなんて認識の人の下で、自衛隊発動の際の大臣の責任転嫁のような声明(「総理と私(防衛相)の重大な決断を受けて幕僚長が決定した」)を受けても、黙々と任務を遂行されています。

 救援物資を届けてもらった義母は、寡黙な隊員さんに手を合わせ、最敬礼して大切に大切に戴いているそうです。
Posted by 山桜 at 2011年03月25日 10:12
先日はありがとうございました
この記事引用、転載させていただきます
お許しを頂く前に投稿していると思いますが
きっとお許し頂けるものと思っています
Posted by 多楽 at 2011年03月28日 21:30
◆多楽さんへ
もとより私も新聞から引用して来た訓示ですから、許可も何もありません。一人でも多くの方々に知って戴きたいので大歓迎です。宜しくお願いします。m(__)
Posted by 山桜 at 2011年03月29日 14:00
中国の古いお話にも同じような話がありました。吉田茂・・・硬骨漢が、今、必要ですよね。マスコミもやたら攻撃するばかり。誰だって完璧な人はいないんですから・・・政治家も育てなくっちゃ・・
Posted by 山口ももり at 2011年04月01日 08:52
◆ももりさんへ
 枝野さんは、繰り返し表へ出続ける緊迫の中で確かに以前よりは
力をつけてこられた感がします。 一方、見えないところで
頑張っておられるのかもしれませんが、菅さんは…ご発言の度、
ガッカリさせてくれます。。。もう、彼に出来るのは日本丸の
舵取りは相応しい人に渡して、己の出来る分に引く事でしょうか。
己の分を一刻も早く見極めて欲しいです。

 嫌われても己の思う道を口にして実行する石原さん、
小説家なのだから少し言葉を選べば…とも思いますが、
生の言葉に力があるからこそ、反感も含めて世の人の心に
響くのでしょう。 大事を成す為時には、嫌われることを
厭っていては出来ません。 先ず、ブルドーザーにはブルドーザーの、
その通り過ぎた後の細かいケアをする者にはその者の役割が
あると思います。
Posted by 山桜 at 2011年04月02日 12:39
さくらん、ありがとうございますm(_ _)m

吉田茂元総理の仰せの通りです。

毎年お目にかかるたびに「国を守るということは。。。」と
現役某省のあるかたとお話をしておりましたが
去年の初夏には「国民の皆さんは我々を必要としているのだろうか」と
普段とは違う。。。お言葉をもらしておられました。

でも。。。○○装置と言われようとも
このような日がくることそのものが
こんなにつらい出来事であったのかと
今更ながらに思います。

この事を書き出すと止まらないので。。。

でも、記事を書いて下さってありがとうございます。
Posted by やゆよ at 2011年04月03日 22:19
◆やゆよんへ
 こういうことは書きにくい雰囲気が未だにあるものね…。
私はどういう具合か、そっち方面の先生に当たったことがなく、
父親は右から左まで何紙も新聞を取っていた人なので、同じ
ニュースが違う視点から書かれるとこうも違ってくるのかを
知ることが出来、変な偏見を持たずに育てて幸いでした。

 平和な時には、万一に備えるということが絵空事か世迷言の
ように糾弾されることがあるけれど、今回の事で無駄だ大袈裟だと
思われるような備えが如何に必要か、骨身に沁みたと思います。
Posted by 山桜 at 2011年04月04日 09:10
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