2006年06月30日

夏越の大祓・茅の輪と蘇民将来

 今日6月30日は、新暦での半年に一度の大祓の一つ「夏越の大祓(なごしのおおはらひ)」の日です。 もう一つの大祓は大晦日12月31日の「年越の大祓」です。

<追記 2006-07-01>
 水無月祓、難越の節供、輪越祭、輪正月とも言われ、一年の半分が終わる六月三十日に、半年分の罪穢を祓うのが大祓式です。 後半期はじめの盆祭を迎える為のお清めの意味を持っています。(後半期の大祓式は十二月三十一日で、お正月を迎える為のお清めの意味を持っています。(中氷川神社 説明書きより)


 暑さに向い疫病の流行りやすいこの時期に、年の前半知らず知らずに犯してしまった罪、積もってしまった穢れを、和紙で作られた人形(ひとがた)・形代(かたしろ)に移し、神社に設けられた大きな茅の輪を∞の字を描くようにに3度くぐってからお宮に詣で祓い清めて戴きます。

<追記 2006-07-01>
 昨日参拝した中氷川神社では、特に∞の字に回ると言う説明は無く、
『茅の輪をくぐりながら、
【水無月の夏越の祓する人は 千歳の命のぶというなり】
と唱え、輪をくぐる時に名前を書いた人形代に息を吹きかけ、人形箱に納めることにより、半年間に渡って身についた罪穢れ、病魔をすっかり祓い去る事が出来ると言われています。』
との説明がありました。


画像 563.jpg
 「人形」「形代」(これには未だ罪穢れは移してませんのでご安心を)

 私もこれから夕刻に神社へ参りますが、その前にこの「茅の輪くぐり」の縁起となる物語、備後風土記逸話の中の「蘇民将来」をご紹介したいと思います。今日この物語に触れることに意味があると思いますので・・・


     『蘇民将来』(備後風土記逸文より) 柴田民三・文

 昔、北の海に、武塔(むとう)の神という神がいました。
 ある時、南の海の女神を訪ねていく途中、備後の国で日が暮れてしまいました。
 『暗くなっては、旅も面白くない。 どこかに泊めて貰おう。』
 武塔の神は、そう思って辺りを見まわしました。

 丁度その辺りには、蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来(きょたんしょうらい)という兄弟が住んでいました。 兄の蘇民将来の家は大層貧乏でしたので、武塔の神は、弟の巨旦将来の家の門を叩きました。
 「お願い申す。 今宵一晩、お泊め下され。」
 ところが、巨旦将来は、
 「人を泊める部屋などは無い。 他の家に頼んでみさっしゃい。」
と、門も開けず顔も出さず、けんもほろろに断りました。

 『不親切な、欲張りめが。』
と、武塔の神は、むかむか腹を立てながら、今度は兄の蘇民将来のあばら家の前に立ちました。
 「今宵一晩、お泊め下さるまいか。」
と、声をかけると、すぐ主の蘇民将来が出てきて、
 「むさ苦しい所ですが、宜しければどうぞお泊り下さい。」
と、丁寧に武塔の神を招き入れました。

 主の言うように、本当に粗末な家でした。けれど、蘇民はいそいそと新しい粟殻を厚く敷いて、武塔の神の座席を作りました。それから、
 「敷物もございません。これにお座りになってお待ち下さい。 
只今、ご飯を差し上げます。」
と言って、台所に行きました。
 けれど、米などありません。粟のご飯を炊いて、武塔の神をもてなしました。食事が済むと、又、粟殻(あわがら)を持って来て寝床をこしらえてくれました。

 武塔の神は、こんな粗末な食事をしたことも、こんな固い布団に寝たことも初めてでした。けれど、蘇民の親切が身に染みて嬉しく、粟のご飯も美味しく食べ、粟殻の布団の上で気持ちよく眠りました。

 夜が明けると、武塔の神は、
 「心からのおもてなし、ありがとうござった。いつまでも忘れることはありませんぞ。」
と、蘇民将来に厚く礼を述べて、南の海に向って旅立って行きました。

 それから、幾年か過ぎたある日でした。武塔の神は、南の海からの帰り道、備後の国を通りかかりました。今度は一人ではなく、八人の子を連れていました。武塔の神は、巨旦将来の家の前を素通りして、蘇民将来の家を訪ねました。そして、
 「蘇民将来よ、いつぞやのお礼に参った。お前の身内の者は、この家に何人いるか。」
と聞きました。 蘇民は、跪(ひざまず)いて
 「私と、妻と、娘の三人でございます。」
と答えました。 すると、武塔の神は、
 「そうか。今夜は、お前達の家の者は、茅(ちがや)で作った輪を腰に着けて休むのじゃ。忘れるなよ。」
と教えました。
 「はい、仰るとおりに致します。」
 蘇民は、武塔の神に言われたとおり、三人で茅の葉で作った輪を腰につけて休みました。
 
 その晩のことです。 恐ろしい疫病神が村中を暴れまわりました。 その為に、巨旦将来をはじめ、村の人達はみんな死んでしまいました。 生き残ったのは、蘇民将来と、その妻と娘の三人だけでした。

 恐ろしかった夜が明けると、武塔の神が蘇民将来の前に現れて、
 「私は、速須佐雄(はやすさのお)の神である。後の世に疫病が流行った時は、
『自分は、蘇民将来の子孫だ。』
と言って、茅の輪を腰につけた者だけが助かるぞ。」
と言いました。

 これが疫隅神社の起こりだと言われています。


posted by 山桜 at 00:00| Comment(19) | TrackBack(0) | 祖先からの伝言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私の住むNでは
7月30・31日に大神神社の摂社である綱越神社で“おんぱら(御祓)祭り”があります。写真とよく似た人形と茅の輪くぐりもありますよ。花火大会が少し有名です。
Posted by 酒徒善人 at 2006年06月30日 19:25
勧善懲悪ではないけれど
よい行いにはよい報いという物語は
本当に大事だな〜と思います(^^*)
小さい頃に聞いた御伽噺って
かなーり残るもんね〜☆

一年の半分がこれで過ぎ去って。。。
新しい半分をお迎えしなくちゃだね(^^*)
Posted by やゆよ at 2006年06月30日 19:36
ここまで、詳しい事は知りませんでした。
形代も重要な意味があるのですね。
わーぷ形に回るというのも面白いです。
今年はどこにお参りするという事も無く帰ってきてしまいました。。。残念。
日本ならではの、ゆかしい風習だと思います。
Posted by アンズ at 2006年07月01日 00:41
京都の祇園祭も
八坂神社の興りが疫神社だったこともあってか
山鉾で授与してもらえる粽に
「蘇民将来之子孫也」
って書かれていますね
今年も茅の輪は潜らんかった…
Posted by 幽黙 at 2006年07月01日 08:33
こんにちは。
いいお話をありがとうございます。
「夏越の大祓」の縁起、初めて知りました。
Posted by むろぴい at 2006年07月01日 13:33
度々ごめんなさい。
とても参考になったので、ブログで紹介させて頂きました。ご了承下さいませ。
http://muropy.way-nifty.com/blog/2006/07/post_cbdb.html
Posted by むろぴい at 2006年07月01日 16:19
☆酒徒善人さん、こんにちは♪
 Nにしてても大神神社では、まるっと分かりすぎのような・・・。
夏越は旧暦に近い月遅れで行う所もありますね。

 昨日は神事は夕刻からと思い込んで出掛けたら、もうすっかり
社務所も締まっていて、茅の輪もお宮も独り占めの大祓でした^^
私は一人静かにお参りできて良かったのですが、端からみたら
∞字型に茅の輪をくぐりながら、
 「水無月の夏越の祓いをする人は 千歳の命のぶというなり」
と唱えている姿は、アブナイ人にみえたかもですね^^;

 お山をバックの花火大会、いいですね〜♪
もしお写真が撮れたら、是非ご紹介下さい。
Posted by 山桜 at 2006年07月01日 17:48
☆やゆよん、こんにちは♪
 そうね、やはり小さい時に沢山のお話に触れることが大切だと思うよ。
語り継がれてきたお話には、取捨選択され磨きぬかれた真実が隠れてる。

 でもさ、神様や仏様は大体みすぼらしい姿で現れて人間の心根を
試されるよね・・・私、もしそういう人が困ってたら、迷わず助け
られるかイマイチ自信がないよ〜^^;

 夏越はお盆を迎える為のお祓い、年越しは新年を迎える為のお祓い。
お盆とお正月をとても大切にしてきたことが分かるね^^
Posted by 山桜 at 2006年07月01日 17:57
☆アンズさん、こんにちは♪
 実は私も2年前まで、蘇民将来のお話は知っていましたが、
茅の輪くぐりも形代のことも知りませんでした。
関東ではあまり見かけませんよね? 関西以西ではなかなか盛んな
神事なようで、知人に教わってからアチコチ探し廻って、やっと
近くで行っている神社を見つけた時は嬉しかったです!
Posted by 山桜 at 2006年07月01日 18:05
☆幽黙さん、こんにちは♪
 粽も茅で巻くので茅巻、やはりこの神話に因んだものなのだとか。
八坂神社のご祭神もスサノオ様=牛頭天王=疫神様とされています
ものね。こちらではスサノオ様は疫神様と言うより、農耕の守り神
として穏やかな側面を信仰されていることが多いようです。
Posted by 山桜 at 2006年07月01日 18:13
☆むろぴいさん、こんばんは♪
 タイムリーにお役に立てたようで嬉しいです^^
実は昨日、何故だか急にこのお話の全文を載せなければ!という
思いに駆られてしまって・・・どなたかに操られたような不思議な
気分です。 お蔭さまでむろぴいさんにリンクを貼って戴けて、
やはり頑張った甲斐があったと言うものです。
ありがとうございました!
Posted by 山桜 at 2006年07月01日 18:47
夏越しの祓いは古いことです。
百人一首の「風そよぐ ならの小川の 夕暮は みそぎぞ 夏の しるしなりける」などで有名ですが、この“ならの小川”は京都の上賀茂神社を流れている小川のことで、その上に「橋殿」という建物があって、そこから人形を流します。

山鉾で授与してもらえる粽も同じ信仰です。また、流し雛なども同じ根っこから来ています。古来 日本人の罪の意識は 一区切りが付けられれば不問に付して、新たな生活を始めようという観念で、逆から言うと それほど残虐な行為は一般市民レベルでは稀だったと言うことです。
いまの日本は、、、知りません。
Posted by 鎌倉とんぼ at 2006年07月01日 20:08
 こんばんは!むろぴいさんのところから来ました。蘇民将来のお話興味深く読ませていただきました。今年は京都まで足を運んで、山桜さんにお話を聞いて今までにない「夏越の祓え」を実感できたように思います。ありがとうございます!!
 
 いろいろ古いことも詳しく書いていらっしゃいますね。またおじゃまします。
Posted by こはる at 2006年07月01日 20:53
☆鎌倉とんぼさん、おはようございます♪
 「みそぎぞ夏のしるしなりける」の歌を聞くと、『ああ、夏が来た!』
と言う気持ちがします^^ 富士山も山開きでしたね。

>それほど残虐な行為は一般市民レベルでは稀だった・・・
水に流してしまえるほどの、例えば心に積もった怠け心ほどの
罪穢れの類だったのでしょうね。

 今の世の罪穢れは・・・そう簡単に禊ができるとは思えません。
他人事でなく、皆で一緒にたわしでゴシゴシしなければ・・・
Posted by 山桜 at 2006年07月02日 07:23
☆こはるさん、おはようございます♪
 私もむろぴいさんのお蔭で、こはるさんのいらした京都の
夏越を拝見することが出来て、とても嬉しかったです。

 私が出掛けたのは夕暮れ過ぎだったので、携帯で撮った
茅の輪の写真はオカルト好きさんが喜ぶようなものになって
しまい載せられませんでした(^▽^;)

 こはるさんのブログの茅の輪くぐりを是非皆さんに
ご紹介したいので、本文にリンクを貼らせて下さいませ。
TBも上手くいくか分かりませんが再挑戦してみますね☆
Posted by 山桜 at 2006年07月02日 07:28
はじめまして。むろぴいさんに教えていただいて、伺いました。

お話好きですので、あまり親しみのなかった「夏越の大祓」の縁起は、とても興味深かったです。なんだか、とってもトクした気分です!!ありがとう。

また、寄らせていただきます。
Posted by Satori at 2006年07月02日 12:42
☆Satoriさん、こんにちは♪
 サンタフェから遥々ようこそお越し下さいました!
初め、Saoriさんかと思いましたが、Satori(悟り?)さんなのですね。
そういうタイトルの日本映画があったのですか、そこからですか?
人の心を全て読めてしまうという・・・

「蘇民将来」は有名なお話の割りに、浦島太郎ほどには知られておらず、
今までご存知でなかった方々に喜んで戴けたようで良かったです^^
Posted by 山桜 at 2006年07月02日 16:21
ははは・・・残念ながら本名です、はい。里利。
Posted by Satori at 2006年07月03日 11:38
☆Satoriさん、こんにちは♪
 いや、今そちらは夜中の9時頃かな? 今晩は☆彡
里利さんでしたか! 素敵なお名前ですね^^
名は体を表す、きっと悟りも深いに違いありません、又、よろしく〜(*^▽^*)ノ"
Posted by 山桜 at 2006年07月03日 11:56
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