2011年06月10日

Spirited away−何故ここに?

 環水平アークを初めて見た後、思いもかけない異空間へと迷い込みました。 ただ、開門時間内であれば湖への近道を抜けられるというので、地図を片手にお寺(この山域全体は「狭山不動尊」と呼ばれている)の中へ入っていくと…

 いきなり迎えてくれたのが、「日光東照宮!?」というようなこの門です。

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【勅額門】元、東京芝・増上寺の徳川家台徳院一品大相国公(二代将軍秀忠公)の御廟に、寛永九年(1632年)三代将軍家光公が建立したもの。 勅額は後水尾天皇の筆。 国指定重要文化財。

 なるほど、家光公の建立であれば東照宮に似ているのも道理ですね。

 続いてまたもや、この豪華さときたら…!

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【御成門】やはり同じ芝・増上寺の秀忠公の御廟に、その子家光公が同年に建立したもの。 格子天井の中央に丸い鏡天井が設けられているのが珍しい特徴とのこと。
 
 金色の飛天像…の下には「葵の御紋」?

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 鏡天井の中には天女が… あ、ここにも「三葉葵」の御紋が見えます。

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 こちらは離れて見るとこんな風に囲われていて、中をくぐることは出来ません。

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 この右手奥には、秀忠公のご正室、今年の大河ドラマの主役「江姫(崇源院)」の御廟(芝・増上寺)から移設した【丁子門】などもあるのですが、東日本大震災により危険な箇所が生じたそうで、残念ながら「立入禁止」となっていました。 折も折、脚光を浴びるという滅多にない年に、そんなことになってしまうとは…案外お江さんは、あんまり騒がれたくないのかもしれないですね。

 打って変わってすっきり堂々、武骨さがいかにも武家らしい門です。

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【不動寺総門】 元、長州藩主・毛利家の江戸屋敷門。 総ケヤキ造。

 狭山不動さんの本堂は元は京都・東本願寺から移築した七間堂でしたが、平成13年に不審火で焼失。 今は味気ないコンクリの建物で、なにやら人の出入が多いのもあって、写真を撮るのを忘れてしまいました。

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【第一多宝塔】
 桃山時代(1555年)大阪府高槻市梶原にある畠山神社(もと梶原寺)に美濃国林丹波守が建立したもの。

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【第二多宝塔】
 室町時代中期、永宝七年(1435年)兵庫県東條町天神の椅鹿寺に播磨国守護赤松満男教康が建立したもの。

 なんという優美な曲線の集まりでしょう

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第二多宝塔の前の灯篭。 前側には「鷺」・裏側には「濡」の文字が。
どんな意味があるのでしょう。

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【弁天堂】

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【康信寺】 ユネスコ村にあった時は「孔子廟」とされていたらしいです。
 そして、なんと、その中に祀られているのは、台湾の文武廟にある孔子廟に祀られていた孔子・孟子・子思の本家像で、台湾に今ある方がレプリカなのだとか…。 どういう経緯か分かりませんが、恐らくこれも堤氏が黄金時代に入手されたものなのでしょう。 ご自分の名前の字を寺名に入れてらっしゃるのですね。

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【大黒天】もと奈良・極楽寺、柿本人麻呂の歌塚堂 もう、何故ここに?

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無造作に立ち並べられた夥しい数の灯篭の群れ、それぞれに誰の為に誰が寄進したか記されているのに、何でこんな所に・・・ 増上寺境内にホテルを建てる時、こちらに運んだきりなのでしょうか・・・

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【奈良十津川 桜井寺山門】
こちらもまたマニアが見たらビックリものですよね・・・何故、ここに!?

 ジブリ映画「千と千尋の神隠し」を見た時、「テーマパークの跡地」というキーワードから、『もしかして「ユネスコ村」?』と思い浮かべ、そういえば、あの丘陵の住宅地、向こうの世界へ行く前にくぐった門や石仏、遊園地の駅の待合い? 湖の底のように広がる風景もどこかで見たことがあるような気がしていました。
(つづく)


posted by 山桜 at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅歩き・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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