あの梅雨冷えは何処へ? 急に真夏日がやって来て、草木も人もぐったりですね。 せめて春まだ浅き日光の爽やかな冷気をお届けしましょう。
日光山輪王寺・宝物殿の「逍遥園」を一人で心行くまで巡りました。 男体山など付近の山々を借景として作られた池泉回遊式庭園です。 江戸時代、門主として京都から来た皇族出身の僧・輪王寺宮法親王を慰さめるために作られたのだそうです。
この日は朝からかなりの雨降りで、同行のケロは水溜りに嵌ってしまい靴も靴下もビショビショ、寒さも相俟ってすっかりテンションが下がってしまい、宝物殿で休憩中です…。
八汐つつじや水芭蕉に彩られた池面には、雨の雫が点々と波紋を広げていました。

お茶室にもなりそうなお休処。 (何も説明がないので何とも…)

人が歩かない処は、殆ど見事な苔に覆われています。

振り返ると先ほど小さな建物が池端に静かに佇んで見えました。

龍のように伸び上がる古木もすっかり苔に覆い尽くされて…


池は細長く中ノ島を持ち、池岸は入り組んでいて、少し歩くだけで全く異なる表情を見せてくれます。 向こうの山を借景に、低い常緑樹の中から背の高い落葉樹が伸びて高原のような味わいも。

日本中の多種の紅葉を集めた秋の美しさが有名で近年はライトアップもされています。 また、東日本のサツキの発祥地ということで、私の大好きな品種「晃山」「日光」もこちらが故郷だということを始めて知りました。 サツキともみじの頃は、大賑わいなのでしょうね〜 静かな季節に歩けて幸いでした。
元々は小堀遠州作と伝わるお庭ですが、繰り返し改修が行われたようで当時の面影が偲ばれるものは少なそうです。 写真(下中)の石橋の長平石の形は若しかしたらそうでしょうか…? 写真左・自然石をくり抜いて造られたような塔 写真右・枝跡の残る樹の柱が用いられている門 小さなお休み処の中の襖絵(こういう装飾がある所は都風というか侘びたお茶室とは少し違う風情を感じます)何故か由来も説明も何も無いので、どういったものなのか皆目分からないのが残念です。)




(1クリックで写真は拡大されます。)
「宝物殿」の展示は、東京国立博物館の「大徳川展」でお目に掛かっていたことと、宝物保存の為に仕方ないのでしょうけれど(それとも節電?)、とても薄暗くて何だか…。
「輪王寺」の「三仏殿」「護摩堂」は改修中で足場や幕に覆われており、狭い通路を流れ作業のような説明を浴びながら通り過ぎ、一番熱の入った弁がお守りや護符やストラップやらのお薦めで…改修には先立つものが必要なのでしょうけれど、もう少し静かにゆったりと参拝したかったです。
【旅歩き・町歩きの最新記事】
視点がとっても細やかでそれでいて大きく捉えられていて流石だな〜と思います。
旅日記、、旅はいろいろするけれど、三日坊主の私はほとんど完結した試がない(^^ゞ春の大和路も訪れたんだね。冬に三輪さんから桧原神社まで歩きました。あのあたり大好き!
学生時代に一緒に行った夜行列車の旅が思い出深いです。元気だったらもっと一緒に行けたかもと
思うとちょっと残念だけど、
この曲に惹かれた人物が、夏に車を運転して奈良から尾瀬まで水芭蕉を観に出かけたそうです。
しかし、水芭蕉の季節はすでに終わっており、帰り道が長かったとか・・・
どうしてこの歌詞になったのでしょうかねぇ?
うわ、ありがとう…照れるわ〜(。。;)>
あの頃は、トンデモ英文ばっかり書いてたから、お互いの日本語の
文章表現なんて知ることもなかったもんね。
学生時代、旅ばっかりしてたなぁ。。。 そらっちとも
あちこち一緒に行ったように思っていたけれど、入院生活に
なってしまって、実際に行けたのは京都(大原とか)と岩手(八幡平とか)?
古いアルバム引っ張り出さないと記憶が…。
そらっちはなにせ強力キャラだから、思い出の印象が深いんだろうね〜(笑)
一緒に行ってなくても、何だか常に居たような気がする〜
案外、魂は共に旅してたのかもしれないね。
尾瀬のように標高の高い所や東北・北海道などでは、水芭蕉の咲くのは、
それぞれの雪解けの頃(5月〜6月)なので、下界で言えば、ちょうど
「初夏」=「夏が訪れ始める頃」=「夏が来れば」
という感じになったのでしょうか…。 本当の「夏本番」の頃には、
まさに英名の「スカンクのキャベツ」状態であの涼しげな白い妖精の
姿はどこにも見つからないですよね〜(><)
それでも、水芭蕉の頃には水芭蕉しかない尾瀬沼が本当のお花畑に
なるのは「夏」ですから、他の高山植物には沢山会えたのでは…?
それに尾瀬まで行かなくても長野辺りで水芭蕉の群生地は結構ありますが、
やはり「尾瀬の水芭蕉」が見たかった??