
東金砂神社 磯出大祭絵巻 より お神輿を先導される猿田彦命

西金砂神社 磯出大祭絵巻 より お神輿を先導される猿田彦命
私が今回朝日を拝した水木の浜では、今から3年前の未歳2003年3月、72年振り第17回めの、東金砂(かなさ)神社、西金砂神社の磯出大祭が行なわれました。
3月22日に西金砂神社から、3月25日に東金砂神社からご祭神のお神輿が、お守りする数百人の行列を従え、はるばる30数kmの道のりを経て、ここ水木の浜にお渡りになり、ご神威を高める為にお神輿ごと海に入り「潮ごり」という禊ぎをされました。
お渡りの途中、所々で田楽舞(国指定選択無形民俗文化財・県指定無形民俗文化財)を奉納するところから「金砂の大田楽」とも呼ばれています。 往復70数km、数百人の行列を仕立て6泊7日をかけて行われる御渡祭は他に類がないと言うことです。
72年に一度、人生に一度あるかないかの大祭礼、伝統継承の大変さは想像に難くありません。 平安時代より連綿と祭礼を守り続けてこられた歴代の地元の方々に深い敬意を表します。
東金砂神社 806年 標高500m東金砂山頂にご鎮座
元来神仏混合 日吉(ひえ)神社山王権現を祀る
西金砂神社 806年 標高405m西金砂山頂にご鎮座
同じく元来は山王権現を祀る
ご祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
国常立尊(くにとこたちのみこと)
茨城県HP内「発見!いばらき」より「西金砂神社大祭礼」
田楽舞の映像なども見ることが出来ます。(一部東金砂神社田楽も)
http://www.pref.ibaraki.jp/discover/festival/north/08.html
<<追記>>
「水木」という地名の由来は、若しかして「御着き」?
大洗の磯前(いそさき)神社の縁起でも、ご祭神の大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主(おおくにぬし)大神、少彦名命(すくなひこなのみこと)は、海から渡って来られたとある。
遠い昔、大きなお力を持った方々が海から常陸の国に渡って来られたのは、間違いない史実なのだろう。
砂金が採れたのでしょうか?
私も砂金なら採りに行きたいのですが・・・
おんじやん,どうだっぺ?もりがね(無理かね)?今はやっぱり取れねぇが。んではさいがね(しょうがねえ)。
いる伝承文化がまだまだ活きているのですね。
時の積み重ねは素晴らしいことだと感じます。
砂浜は、朝日 夕日に輝くと黄金色に輝き、稲穂も
同じく黄金色に輝きます。
ソレよりも何にも増して美しいのは人の心でしょう。
役小角が、富士山からこの山に光と仏様の影を見て、飛んで
いらしたのが始まりだと聞きました。地図で確かめてませんが、
若しかすると、富士山から見た時、太陽がこの辺りから昇る
のかもしれません。 う〜ん、そう言えば砂金の話もあったような・・・??
丹人さんは、丸知輪倶和留でらっしゃいますね〜^^
やはり、砂金が採れたのですか! それでお蕎麦の産地・・・
なるほど! そう言えば金砂郷のお酒に金粉が入っていたような??
面白いお話をありがとうございました!
この大祭があった年、NHKでドキュメンタリーが放送され
ましたが、このお祭にかける人々の思いに触れ、感動しました。
代々行列のお稚児さんを出す家なども決まっているようで、
おじいさんがお孫さんを誇らしげに見守る様子も素敵でした。
上の絵巻の写真は、旅館に会った複製を許可を得て撮ったのですが、
天井の方に貼られていて、近くで良く見られずちょっと残念でした。
それがら,磯出の祭礼をやる神社はこの地方には他にもあってな。おらの故郷の磯原の浜には花園神社磯出祭礼が七年置きだったがにあるんだわ。
んでは,まだ。
「小五月祭」を取り上げましたが
こういう独自色豊かな祭りは
本当に素晴らしい
やはり惹きこまれるものがあります
いつでも何度でもいらして下さいませ。 もう、大歓迎です^^!
昭和30年に、既に町村合併があったのですね。全然知りませんでした。
丹人さんの故郷は磯原でしたか! 二つ島の旅館に泊まって、
野口雨情記念館などに行ったことがあります。
2075年の大磯出祭は無理ですが、他の神社の磯出祭には
是非参加してみたいです。 ご教示ありがとうございました。
最近都会では「祭」と言っても、商店街の「フェスティバル」
並みに単に楽しく賑やかなものだと思っている人が増えてしまい、
本来の「神祀り」が忘れられているのが悲しく寂しいです。
お祭りの役員さんのような方に、ご祭神を尋ねてもご存知無くて
ガッカリすることもしばしば・・・皆の前で恥をかかせるのも気まずいので、
最近は聞かずに後で自分で確かめています。
でも地方のお祭りには、神様の笑顔が見られてこちらも嬉しくなります!