重陽の節供、菊花の日、というと思い出す物語があります。
『菊花の契り』
「雨月物語」より 作・上田秋成
(あらすじ)
「軽薄な人と結ぶことなかれ」
父のこの遺言を胸に、大好きな学問に励みつつ、賢く芯の強い母と慎ましく暮らしていた左門は、ある日ひどい熱病に伏した武士・赤穴(あかな)宗右衛門の看病をすることになります。
宗右衛門は、旅をしている間に主の城が敵の手に落ちてしまい、急いで駆けつけようとした途中で病に倒れてしまったのです。
やがて二人はお互いの学問の深さ、信義の厚さに感じ入り、「兄弟の契り」を交わすまでになりますが、病が癒えたある日、宗右衛門は、どうしても城や仲間の様子を知りたい、九月九日の「菊花の日」までには必ず帰るからと固い約束を言い残して、旅立ちます。
しかし、故郷で身を寄せた従兄弟は既に敵に服従しており、宗右衛門を座敷牢に閉じ込め降伏を強います。 降伏も逃亡することも出来ず、必ず帰ると約束した期日は迫ります。
ついに宗右衛門は生身の体では叶わぬ遠来の距離を、魂となって飛んでいく決意をし、腹を十文字にかき切って、母と弟の待つ家へ亡霊の姿となって帰り着くのです…。
* * *
物語の成り行きを知っていても、何度読んでも涙します。 亡霊の身となり約束の日に戻れたものの、喜んで迎える弟・左門の差し出す杯を受けることができず、俯いたまま真実を打ち明ける兄・宗右衛門の姿に、胸が締め付けられます。
自殺の理由は人それぞれありましょうが、約束を守る為に大切な命をかけた宗右衛門の姿を、命が軽んじられている風潮のある今の世を生きる若者は、一体どう受け止めるでしょうか。 機会をとらえて、一度聞いてみたいと思います。
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2006年10月30日
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