2012年07月17日

ご神体に畏れを知らぬ登攀者

 折しも日本列島に大災害が渦巻き、何とか荒ぶる神々にお鎮まり戴こうと人々が真心を込めて祈りを捧げている最中、那智熊野大社のご神体である一の滝にカムを打ち土足で攀じ登って穢す者が現れた。 何と愚かしい所業であることか。

 ご神体を穢したのは、登山界のアカデミー賞とも評される「ピオレ・ドール(金のピッケル)賞」を日本人で初めて受賞した世界的クライマーの一人という。 それ程の人物が、大自然に対して己が力で挑戦してきた経験の中で、人智を超えた大自然の力への畏敬の心を育めなかったのだろうか? ご神域に近づく時、その畏れ多さに身が引き締まり、自然と頭を垂れ崇敬の心が湧き上がるような感覚を、持つことは出来なかったのだろうか?  人々が長い長い年月大切に守ってきた禁足を破ることに心の痛みを覚えなかったのだろうか?  彼には誰にも分かりやすいような天罰が下ることはないかもしれないが、神が彼を選んで与えた試練に立ち向かっていかねばならぬことだろう。

 神の力は人々の心映えによって良きにも悪しきにも傾くと私は思う。 人々の心が穢れ荒み、その澱みが溜まりに溜まればいつしか和魂を荒魂が凌駕する。 それは氏子の方々の日々の精進だけでは抑えきれぬ図りきれない大きなうねりとなり、自然の理によって力の噴出しやすい地域を襲う。 我々一人一人の穢れの積み重ねが遠き地の見ず知らずの多くの人々の命を奪うことになるやもしれぬのだ。 私たちの祖先は、生きている限り穢れは身に纏わりつき積もるものと知っていたが故に、祓い給え清め給えと祈り、心して清浄でありたいと努めてきたのだ。 現代、多くの日本人は、そのことを教えられず知らず過ごし、罪穢れを溜め込みすぎた。 今一度、清く正しく神に恥じない生き方というものを思い出したい。

 不慮の事故や災害により、この世の命が或る日突然の終焉を迎えてしまった方には、次の世での大切なお役目が近いのだと信じたい。 紙一重で生きながらえた方には、まだこの世で果たすべき役目があるのだろう。 どちらが幸せで不幸せかは分からない。 己次第でどちらにもなる可能性がある。 それぞれの世で生かされた命を精一杯生ききるだけだ
posted by 山桜 at 17:17| Comment(10) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。
まったくなんというひどいことかと思いました。
わたしには山桜さんほどの敬虔さはありませんが、それでもこの行為は許し難いことだと思っています。
Posted by 遊行七恵 at 2012年07月18日 10:06
◆遊行七恵さんへ
 ご賛同ありがとうございます。 中には宮司さんの怒りを大人気ない
などと評したり、神様はそれ位のこと許してくださるなどと言ったり
している人がいるのを耳にし、愕然としていました。

 今の法律では厳しく罰せられることがないようなことこそ、
「神は見ておる」ことを忘れず、自分の倫理観で身を律しなくては
ならないと思います。
Posted by 山桜 at 2012年07月18日 14:05
先日ラジオで、・・・滝に登った・・・って、
所々切れ切れに聴いたので何のこと?
って想いいていたのですが
このことだったんですね。

知らずにしたことかも知れませんが、滝の前に出れば、
ただならぬ気配?エネルギー?を感じると思うのですが。
それさえも感じられなくなってしまっているのでしょうかね。

大人げないのはダメなものをダメといえない事でしょう。
それぐらい許してくれるでしょう。って、それは危険です。
それぐらいも守れないのですからね。

私は、将来、それぐらい守れる大人になりたい。

Posted by 多楽 at 2012年07月20日 08:02
◆多楽さんへ
 それがまぁ、知らずにしたどころか、敢えて禁足を破って日本一の落差の滝に登って見たかったんだそうで…

 「神さまって何? どこにいるの?」
と言っていたような人でも、昔から聖域とされる場所に身を置けば何かを感じるのものと思っていましたが、とうとうそういう感度も鈍くなっているのでしょうか。

 「ダメなものはダメ!」
と、自信を持って言い切れる大人でありたいですね。 
Posted by 山桜 at 2012年07月20日 19:51
って事は、恐れ多くも自分が神だと思ってしまったのですね。
その何とか賞、剥奪しても良いかと・・・
いや、そうしないと「ピオレ・ドール賞」の価値が下がりますよ。
Posted by 多楽 at 2012年07月20日 20:12
◆多楽さんへ
全くの想像ですが、もしかしたら、町でスポーツとしてのボルダリングから始めた人なのかと。 だとしたら競技的もしくは自分への挑戦として、より高みを目指しただけなのかもしれません。

 又は自分が先頭切って禁足を破ることで世界中のクライマーの登攀の自由を勝ち取ろうとでもしたのか…。

どちらにせよ、未だに謝罪も説明もしないでいるのですから、甚だ自分勝手で周りの見えない人には違いありません。 色々支えてきてくれたスポンサーもいたでしょうに。
Posted by 山桜 at 2012年07月21日 11:54
しばらくあまりの「常識外」な行動に唖然とし
どう発言していいものやら。。。言葉も出ませんでした。

よく自由、自由と言ってまるで自由は手放しにいいと言っている風潮に疑問を覚えます。
誰しもが、以前の和歌山の災害に心を痛め
大自然の警告と受け止めているものと思っていましたが
どうやらそうではないご時勢なのだと、心を新たにしたところです。

人は人でしかない。私はそう思います。
己の領分を越えた恥知らずな心、行動はいずれ
国の崩壊を招くことでしょう。
まことに、恐ろしいニュースでした。
謝罪は最近になってしたようですが。。。
Posted by やゆよ at 2012年07月29日 17:29
◆やゆよんへ
 私も憤懣やるかたなく、私などが言うべきことか迷ったけれど、
やはり言うべきことは言うべき時に言っておかねばと思い切って
ここに書き残したよ。

 自然への畏敬の念を忘れては、最早日本人とは言えないよね。
教えなくても感じられる筈というのは、もう甘いのかもしれない。
大人が子等にいや知らずに大人になってしまった人にも伝えていかねば
いけないと思う。

 一週間位経ってからやっと再訪し、頭を丸めて土下座して
謝罪したそうね。 万歩譲って神域であることを抜きにしても、
多くの人が永い年月大切に守ってきた場所に土足で踏み込むことの
愚かさ不遜さを分かってくれたのならいいのだけれど…。
Posted by 山桜 at 2012年07月29日 18:43
さくらん、全く同意します。私も
自分みたいなものが発言していいものか
といつもいつも思う事が
最近増えているように感じます。

コメントも抑えて書き込みしたつもりだったけど
やっぱりどうしようもない気持ちが出てしまいました。

そうだね、感じられる筈、と思ってはいけない。
なくなってしまってからでは遅いよね。
今、やるべきこと、伝え残すこと。。。
まだまだ沢山あるね!

キャンプ、お気をつけて行ってきてねo(⌒▽⌒)o
Posted by やゆよ at 2012年07月31日 00:29
◆やゆよんへ
 ありがとう! 
 このキャンプを通しても人智を超えた自然の大きな力の存在を
何かしら感じてくれるよう、自分なりに導けたらと思うよ。

 通常生活に戻ったらまた宜しくね〜♪
Posted by 山桜 at 2012年08月05日 22:44
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック