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クリント・イーストウッド監督、ありがとうございました。
日本人が描きたくても描くことの出来ない日本人を見せて戴きました。
日本人は自分達の美徳を自慢するのが苦手です。 反対に、自虐的と
評されるほど卑屈に自らを叩き続け、その上、反省していることも
慎み深く、周りには伝わらず理解されないことが多いようです。
実際に戦ったもの同士は、双方の立場をも理解できるものなのですね。
今でも硫黄島では、日米合同慰霊祭が行われています。 尊いことです。
この映画は、元パン屋の一兵士、西郷の視点から描かれています。
当時の日本で教育を受けた兵士は、西郷(二宮和也)のような思考を
しないという指摘があります。 そう、彼は当時の兵士の姿を借り
硫黄島の戦いに紛れ込んだ、現代の私達自身なのかもしれません。
『何とかして生きて帰る。』
『自決は逃げだ。 最後まで生きる可能性を捨てるものか。』
『この人(栗林中将)なら話が通じる。思い切って話かけよう。』
このような西郷の気持に感情移入できるからこそ、この映画の世界に
引き込まれてしまうのです。 彼の存在はフィクションかもしれません。
しかし、この「硫黄島からの手紙」の大事な任を果たしています。
栗林中将(渡辺謙)、バロン西(伊原剛志)、あの戦争でこのような
凛々しい日本の男がどれだけ散って逝かれたのか…。
優秀な人材とその遺伝子の損失が本当に口惜しい。
しかし彼らの遺児、そして現代の私達に届いた「硫黄島からの手紙」、
彼らの家族を日本を思う熱い心を忘れずに、彼らに恥じぬ生き方を
したいと強く思います。
哀悼を奏でるようなトランペットの調べがいつまでも心に響き続け、
胸がいっぱいになってしまい、感想を書くまでに1週間かかりました。
しかし、映画を観終わって直ぐ、娘がポツリと呟いた言葉、
「自殺をしようとするような人にこそ見せたい。」
それを伝えなくてはと思い、今ここにいます。
冬休み、もし「生きる価値」が分からなくなってしまったら、
一握り、映画を観るお金をかき集めて、是非「硫黄島からの手紙」を
受け取って下さい。
日米双方の視点から描くクリント・イーストウッド監督 硫黄島二部作
「父親達の星条旗」・「硫黄島からの手紙」公式ホームページ http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/
硫黄島 概要(東京都小笠原村)
http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/outline/iou/sections.html
(訂正:URLが「概要」ではなく「碑文」になっていましたので、
訂正致しました。2006-12-26)
山口ももりさんのブログ
『映画「硫黄島からの手紙」見て来ました』
http://yamaguchimomori.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_754c.html
私も末娘と一緒に見て
お互いに言葉少なく、帰路に着きました。
娘は衝撃を受けたようですが、
戦争について考える良い機会になりました。
先日、妻と見てきました。
いろいろな見方、意見はあると想いますが、
ひとりひとり、様々な思いで戦った事は事実です。
その思いに恥じないように生きたいと想います。
娘世代のような子等が見て感情移入できるのも二宮くんの
演じた西郷のお陰が大きいのではと思います。
エンディング、殆ど立ち上がる人がいませんでした。
隣の年配の男性が嗚咽を必死にこらえているのが分かりました。
前の席の男性の肩も震えていました。
ショッキングな映像でと言うよりも、何日も飲まず喰わずで
戦った彼らに申し訳なくて、すっかり食欲を無くし、
やはり言葉少なにしんみりと帰途につきました。
「軽い」食事を済ませてから観た方がいい映画ですね…
観た後、現在の自分の生き方を問われる気持になりますね。
せめて一日でも長く敵を硫黄島に引き止め、本土攻撃を遅らせようと
40日近くも孤立無援で戦った彼らを決して忘れてはならない。
彼らに恥じぬように生きたいと、だらしない自分に喝をいれたい
気持になります。
まず私、映画を観てからにします。
戸隠の話よくわかりました。
私は昔、天岩戸の上を何度も歩いていたのですね。
今日も忘年会、いつまで続くことやら・・・
>日本人が描きたくても描くことの出来ない日本人を見せて戴きました。
<本当ですよね。クリント・イーストウッド監督に感謝-☆ 渡辺謙と二宮くんに拍手喝采♪他の方の日記にもコメントしましたが、手榴弾を抱え散っていく若者を、直視できない程リアルに迫ってきて、母親なら到底耐えられないだろうと。栗林中将の、何でも自分の目で見て判断し、策を練り、部下を大事にする、信頼に足り得る人柄に対し、軍部のいい加減さは、今更ながら腹立たしく口惜しいかぎりです。
若くして散っていった、無限の可能性を秘めた兵士達の残していった手紙を読むたびに思います。この人達の無数の無念の死の上に、今の平和が築かれている事を。そして、どんな正義を掲げようとも、戦争なんかやちゃあいけない。戦争ほど愚かなものは無い、と。
記事下に挙げた「硫黄島 概要」を見ると、現在、硫黄島
には自衛隊で赴任される方々とご遺族以外上陸を許されて
いないそうです。
「ここは未だ我が日本国の領土か?」(台詞はうろ覚えです)
硫黄島の写真を見ていると、そう確認されて亡くなった栗林中将の
声が波間に聞こえてくるようです。
新しい火山島なので他の小笠原諸島のような固有種はないとの
記述もありますが、硫黄島本島ではなく南北の硫黄島なら何か
珍しい植物が残っていそうですね。
>私は昔、天岩戸の上を何度も歩いていたのですね。
知っていれば神代の世界を股にかけたような感慨があったかも?
それにしても壮大なお話ですよね。
>今日も忘年会、いつまで続くことやら・・・
今日も○○会で♪酒が飲めるぞ〜 飲める飲める飲めるぞ〜
お体お大事に。。。^^;
未だこれからご覧になる方も多いと思いますので、
なるだけ内容に触れずに感想を書きましたが、心に焼き付く
シーン、多かったですね。 手榴弾自決のシーンは、殆ど
正視できず、爆発音と共に目をつぶってしまいました。
栗林中将のような方が軍の中央にいらしたら…と思いますが、
実際は疎まれて硫黄島に飛ばされたという説もあるようです。
硫黄島に来てからも、古参兵からのあのような反応ですから、
推して知るべき状態だったのでしょう。
面子や大義名分より個々の命を大切に…今の一見平和な
世の中、しかも学校でさえこのことが守られていないように
思える事例があります。 いつの世でも、うかうかしては
いられませんね。
ももりさんのお薦めがなければ、私はこの映画を未だ観て
いなかったかもしれません。 ありがとうございました。
お蔭様で娘と一緒に観て、あの戦争について話し合うことも
できました。 ももりさんの記事にTBつけさせて戴きますので
宜しくお願い致します。
仰るとおり、
・どうして日本はあの戦争をしなければならなかったのか?
・もししなければどうなっていたのか?
・指導者はどこでなにをすべきだったのか?
・ご先祖さまたちが、指導者が兵士がその妻や子等が
いかにして戦い、日本を守ろうとしたか?
そういうことをもっと教えなければいけないと思います。
学校が教えないのなら、親が祖父母がその他教えられる立場の
大人ができる限り教えなければいけないと思います。
英語の字幕らしいですよ!
息子達と見たいと思っています。
今年もお世話になりありがとうございます。
来年も宜しくお願いします。
いい年になりますようにお祈り申し上げます。
言葉がありません。
沖縄に住んだ時の経験と親に聞いた戦争の内容が
大きく人生に影響を与えてることを実感します。
もう息子さん方と映画を観ていらしたでしょうか?
若い人達がどのような感想を持たれるか、是非伺いたいです。
戦争映画を観るのは辛く哀しいことが多いのですが、
この映画には、時の狭間で否応無く戦わざるを得なかった
日米双方の兵士たちへの監督の優しい目線が流れていて、
その点は、心が救われたように思えました。
年末のお忙しい中、コメントをありがとうございました。
今頃のお返事になってしまい、本当に申し訳ありません<( _ _ )>
そうだね…戦争への気持を文字にすることは本当に難しいね。
ただ直接経験した人、又その方から聞いた人のお話を聞けた
ことはとても貴重だし、聞いたやゆよんはまた他の人にもそれを
伝えていけるといいなと思うよ。今は無理でもいつの日か…。
また、色々な視点から見たり捉えたりすることも必要と思う。
若し、目を逸らさず見られる時が来たら…ね。
ネットで戦争のことを取り上げると炎上しかねませんが、
お互い大人な仲間、よいご縁に囲まれている幸運を感じます。
先程から、小半時、書いては消し書いては消しして時間が
過ぎました。 本当の気持を書くと激口してしまいそうに
なるので大変です^^; お会いした時、このようなことも
語らえたなら嬉しく思います。
それにしても、政治家の人相って大事だと思います。
今の世界を見渡して、この人は素晴らしいと言う人相が
見当たらなくて心寒くなってしまいます。
わざわざ調べて訂正して下さり、ありがとうございます。
お蔭様で私も日中戦争が20年では無いにしろ、とても長いもの
だったということが改めて分かり、勉強になりました。
学校で教わらなかったから知らないで済ませず、ももりさん
のように納得いくまできちんと自分で資料なり史書なり読んで
知っておかなくては、両国の関係を軽々に語れないと思います。
ありがとうございました。