2007年01月02日
福島の酉小屋
酉小屋(とりごや)
内部の囲炉裏 内部の神棚
今年のお正月は、福島県のいわきを訪ねました。アクアマリン福島という水族館の外には(内部観覧についてはまた後日)いくつかのテーマでビオトープが作られているのですが、その一角の田んぼの中に、竹で組んだ見たことの無い小屋をみつけました。
説明板の記述によると…
「酉小屋」とは福島県浜通り地方に伝わる正月行事です。
正月が近くなると、田んぼの中に竹や木でできた小屋が
作られます。 中には囲炉裏が作られ、子供が中に入っ
て、餅を食べたり甘酒を 飲んだりします。
旧正月には小屋を燃やし正月の神様が煙とともに天に
帰っていくとされています。この時の火で餅を焼いて
食べると一年間風邪をひかないといわれています。
家人が秋田育ちの私には、まるで竹でできたカマクラに見えます。カマクラと酉小屋は、どちらが古く発生した行事なのでしょうか。雪のない地方でカマクラを模して酉小屋を作ったのか、それとも酉小屋を模して、雪国ではカマクラを作ったのか…または全く別に同じ様な発想でそれぞれの土地に発生したものなのでしょうか…?
今、家人が留守で聞くことも出来ず、少し検索して調べてみると秋田の六郷という町での一連の小正月行事の中には、カマクラとは別に、四角く雪を組み上げた「鳥追い小屋」「鳥小屋」と呼ばれる雪室も作られるということで、ますます類似性が浮かんで来ました。
七草でも「唐土の鳥」は悪い病を運んでくる悪者とされ祓われる対象ですが、稲作民族には稲を食べてしまう鳥は追い祓わねばならぬ嫌われ者のようですね。
それにしても、福島の酉小屋も秋田のカマクラもどちらも子供が主役で歳神様水神様と楽しく過ごすという所が、何とも微笑ましく思えます。
かつて日本の子供ほど愛され慈しまれて育つ子供は世界に類を見ないと、日本を訪れた外国人が感嘆したそうですが、こんな行事を見ると、
本当にそうだったのだと思われます。
銀(しろがね)も金(こがね)も 玉も 何せむに
勝れる宝 子に及(し)かめやも (山上憶良)
子供は「子宝」にして、無垢で神様に一番近づける存在として歳神様のおもてなしの任にあたっていたのかもしれない…ふと、そんな風にも思えました。
↓友部丹人さんのブログで茨城の酉小屋が拝見できますので、是非どうぞhttp://blog.goo.ne.jp/tan230/e/8aadf179061b13a55fb6eaa4d61e27bf
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酉小屋
Excerpt: 正月の神送らむと酉小屋は紫峰筑波の風迎へ立つ 画像:茨城県筑西市(旧協和町)古郡にて 2007.1.8 10:20撮影 *福島県いわき市の酉小屋を予が武路愚の友なる山桜姫が紹介したる→..
Weblog: 友部丹人旅日記
Tracked: 2007-01-13 10:35
塞ノ神(さいのかみ)
Excerpt: わたしの地域では正月になるとこんなものがあちこちに作られる。塞ノ神と言って7日の夜にこの中に正月で使われた注連縄(しめなわ)などの飾り物を燃やすものです高さは3??4メートル、直径2
Weblog: つぶやき古道(こみち)
Tracked: 2007-01-29 17:37
この正月はe411yさんや
山桜さんに日本の風習の
面白いものを
教えていただきました
これはいい…
酉小屋 いとなつかしき哉
予 常陸國北部(北茨城市磯原町)の生まれなり
父母はその地の出にして 予も十五まで其処に棲みゐたり
磯原が地に於きても 是なる行事行はれたる
なを 常陸國南部におきては「どんど焼き」なる名にて似たる行事行はれたり
素晴らしいです。
私も初詣で、大きく炎を巻き上げる焚き火(どんど焼き?)を飽くことなく眺めていました。
最近は火を見る機会が無いので、ことさら美しく神秘的に感じました。
唐土の鳥の話は鳥インフルエンザが浮かびました^^;
昨日、茨城県築西市(旧協和町)で似たものを見ました。
あかひとさんの言うところの「どんど焼き」だと想います。
毎年正月の時期通りますが良く見かけます。
小屋になっているのかどうかはわかりません。
また、燃えている所を見たことはありません。
今でも神と共に、いや、神に守られ生きているんですね。
今日は七草ですね。我が家では初めて(私の記憶では)七草がゆをいただきます。
きっと幽黙さん、こういうのお好きだろうなぁと思って
撮って来ましたので、喜んで戴けてとても嬉しいです^^
そうですか! あかひとさんは経験者でいらしたのですね。
それはまた嬉しい^^ 何か酉小屋にまつわる言い伝えなど
ご存知でしたら、是非お聞かせ下さい。
秋田のカマクラや鳥小屋との関連が気になります。
常陸北部(久慈)出身のの佐竹氏が出羽(秋田)へ左遷された折、
大勢引き連れていった者達と共にこの風習が伝わったなどということも
ありそうな気もします。
千葉の佐倉と言えば、憧れの国立民俗博物館!
そこへいらっしゃれば、いろんなことが分かるのではないで
しょうか。 私も今年こそ行きたいと思っています。
何と言っても千葉は四国の阿波の国の人々が切り開いた
土地、名前も文字を変え安房として残ってますもの、絶対
面白い民俗がいっぱいだと思います。 う〜ん、楽しみ!
どんど焼きは結構広い地域で聞きますが、それぞれの地方色が
また興味深いです! 秋田の梵天祭もすごいですよ〜
年越の大祓のお焚き上げの火は、本当に飽きることなく
魅入られてついつい長居して見守ってしまいますね〜^^
神社でふるまわれるお神酒や甘酒や蜜柑などを戴きながら、
空に届かんばかりに燃え上がる炎を見上げるのが毎年の
我が家の年越しです。
どんど焼きは、普通小正月の行事ですが、地域によっては松が
明けた頃、門松などを神社で焚き上げる時にも使われます。
門松や鏡餅に宿っておられた歳神さまを、炎と煙と共に天にお送り
する行事のようですね。
昔の人はウイルスなんて知らなくても、経験で鳥が渡って
来る頃、風邪が流行ることを知っていたんですね。流石です。
その写真を撮られましたか? 出来ましたら是非次の機会、
取材を宜しくお願いします。
燃やしてお送りするのは1月15日の小正月ですから、
未だきっと残っていると思います。
私も朝から菜を打ちホトホトお米を炊き、七草がゆを
戴きました。 疲れた胃に優しくなんだかホッと致しました。
我が家の方では竹を組んででトンドをします。
形は円錐形のようになるのですが、中に燃やすもの(しめ縄、習字等)を入れるまでは空間があるので、
子どもにとっては秘密基地のようなものでした。
今日は七草粥の日、菜摘みと聞いて8月14日のブログhttp://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2006/08/post_072a.html#comments
を思い出し、静御前を偲んでいます。
近所の兄さん達も入って野球やサッカーで暗く成るまで
遊んでいました。また近くの川の堤防でバッタを採ったり
網で魚をすくったりして暗くなってから家にお腹が減った〜
と駆け込んでご飯を食べたものでした。
先生からも親からも怒られた記憶は有りません。
でも、今の光景は何なのでしょうか?
下校時は多数の父兄が立ち並び、青空警備隊の軽自動車が
夜遅くまでマイクでがなりたてているこの現状は。
何か末期症状の様な錯覚になってしまいますが〜。
今日は花炭を焼いてきました。炎で煽られて未だ顔が
ポッポッ(*^^*)と火照っています。
円錐形の酉小屋風のものも見かけました。子供用だとか…
各地に似たような風習があるのが、楽しくなってきます♪
先程、再び静御前のお話を拝見して参りました。
関東での静御前のイメージとまた違う捉え方があることに
興味を惹かれます。
何と言っても、子供で儲けようと目論む大人がいけないし、
それに乗って、子供にそういうものを買い与える大人も
いけないと思います。 結局ゲームさせておけば手がかからず
大人が楽なんです。 楽した分、後でしっぺ返しが来ること、
覚悟しなければいけないですね。 もう日々、そんなニュース
ばかり…。 子供が外で遊べない不安な社会を作ったのも
手抜き子育ての結果でしょう。
子育てって大変だけれどそれ以上にとても楽しいですよね?
もっと子供と一緒に楽しみたかった。 お願いだからもう
大きくならないでって思っているのに、あっという間に
大きくなってしまって、もう友達と一緒の方が楽しそう…
親離れするまでのほんの20年弱、心を込めて育て上げ、
巣立ちを見送りたいと思います。 そうすれば巣にも時々は
戻ってくれる…かな〜?
ももりさんへのお返事にも書きましたけれど、大人が
変わらなければいけないと思います。 子供だって昔はもっと
良かったよ〜と聞かされて、昔に生まれたかったといいます。
未来に悲観的で未来に憧れを持たない子も増えました。
今、楽しかった子供時代を知っている大人が定年を迎え、
その力を子供の遊びや体験の機会を与える場に生かして下さる
方々が増えてきました。 今日もそういう会に参加して花炭を焼き、
楽しい時間を過ごして来ました。 いろんな知恵や技術を持って
いる大人はカッコイイですよね。 子供も尊敬の眼差しでした^^
予が武路愚と連結いただき有難く嬉しく存じ候
「お父さん」の湖面渡にありたる酉小屋なるを知りて驚きぬ
取り急ぎ一打 御礼まで 早々 頓首
丁度「お父さん」に出来れば次回は取材を…とお願いして
いた時に、殿からのレポ、実にタイムリーでビックリでした。
こういうリンクは、不思議と広がっていくもので、展開が
楽しみです。 ありがとうございました!
本来は火を焚き無病息災を祈る祭り「左義長(さぎちょう)」という行事、
それに歳徳神(年神様)で五穀の神ある「塞ノ神道祖神信仰」が合わさったものです。
旧正月にもやりますが、1月7日にやるほうが多いはずです。
その日が「七日正月」と言って注連飾りを外す日だからです。
梵天や日本古来より先祖の霊が宿ると信じられている竹を火の神に託し燃やし祈るのがその始まりだと思います。
私の関連記事のブログもTBさせてもらいましたのでよろしくお願いします。
お返事に気付くのが遅れ大変申し訳ありませんでした<( _ _ )>
いろいろな情報をありがとうございます。 上のコメントの
中にも書きましたが、私が具体的に知りたいと思っていることは、
何故「とりごや」と言うのか?
どこから伝わって来た行事なのか?
秋田のカマクラ関連の行事とのつながりは?
などと言うあたりです。 また何か情報がありましたら是非
お聞かせ下さいませ。 TBもありがとうございました。
私も早速付けさせて戴きますね!