2007年02月18日
不昧公好「若草」
出雲国・松江「彩雲堂」
http://www.saiundo.co.jp/
不昧公好 「若草」
「美味そうなものがあったから…」
旧正月のこの日、家人がお土産に買って来てくれたのが、
松江の不昧公*御好みの銘菓「若草」。
先ずもって、包装紙(右下の黄色地に深緑の柄)が素敵!
この「彩雲堂」の文字、見覚えが…ああ、棟方志功です。
曇るぞよ 雨ふらぬうちに 摘みてむ
栂尾山*の 春の若草
この御菓子の銘の元となった不昧公のお歌や野点のお道具、
若草色の山の描かれた好もしい掛け紙の下には、若草色に染め
抜かれた美しい小箱。 こういう物もの、捨てられなくて…。
掛け紙の文字や絵(版画?)は、橋本明治画伯でしょうか?
後のお歌の文字はそのように思えますが、「不昧公好 若草」の
文字は別の方のもののような…念のため、彩雲堂に尋ねてみま
しょうか。
<<追記 2007-03-03>>
コメント欄に彩雲堂さんからのお返事を転写しましたが、
題字は草光まつのさんに依頼したものだそうです。
その他については引き続き調査中とのことで、彩雲堂さん、
本当にありがとうございます!<( _ _ )>
「若草」はもっちり柔らかな中にも心よい歯応えのある求肥に
寒梅粉* とお砂糖などのまざった朧をまぶしてあるお菓子です。
この若草色は何でつけるのでしょう? 鶯餅などは青大豆の粉
と聞きますが、大豆粉の味はしないような…
お薄をたっぷりと点てて一緒に戴きました。
お菓子とお茶と交互に戴けるのは家ならではですよね^^
不昧公御好の「若草」が我が家の旧正月に、また新しい「春」を
呼び込んでくれました。
*不昧公: 松江藩七代目藩主 松平治郷公 号「不昧」
茶道不昧流始祖 江戸時代を代表する茶人。
治水特産品栽培などに尽力して得た財力を貯め
置かず(幕府に脅威と思われぬ為との説あり)
茶道具の収集や和菓子の御好みなどの風流事に
費やし松江の文化面を大いに高めた。
*栂尾山: 栂尾山高山寺(京都市右京区)には、鎌倉初期、
栄西禅師が宋から持ち帰った茶種を贈られた
明恵上人が、この地で「日本最初の茶園」を
開いたという伝承がある。
栂尾産のお茶を「本茶」それ以外は「非茶」と
され、闘茶・茶歌舞伎なども生まれた。
*寒梅粉: 寒梅が咲く頃に製造する為この名がある。
餅を白焼きしてから粉にしたもの。
この記事へのトラックバック
包みも素敵。
松江は一度訪れましたがとても素敵なところでした。また行きたくなりました〜。
松江、いい所ですよね〜♪ 小泉八雲が魅せられたのも道理だと
思いました。
松江は今の所、私の中の
「町で普通に買えるお菓子に外れが無い町」=「住んでみたい町」
ベスト3の一つです。
後の二つは、いずれ登場すると思いますが、あくまでも私が偶々食した
お菓子が全部私好みだったというだけですので、他の町の方々、どうか
気を悪くなさらないで下さいね^^;
お菓子とか食べ物で何百年変わらずにそのまま伝わって
いまも愛されているものて尊敬してしまいますね〜(笑)
春にぴったりね♪♪
不昧という名前が何ともカッコイイし
その縁のお菓子もまた風流だね(*^^*)
基本的に和菓子が美味しいですよね
松江もそうですし
金沢とかもそう
京都はもちろん
素朴な和菓子が美味しいのは岐阜とか(^ ^;
小生のマイミクさんにひとり
ご親族が不昧流の師匠をされている方が…
不昧流は武家茶道なので動きが独特で
見ていると面白いですよね
このお菓子を茶友にいただきました〜
松江の田舎のおばあちゃんもお点前はしなくても縁側で抹茶を毎日のようにいただくようですよ!
私も山陰は行って見たいなあ〜と思っています。
老後の楽しみで〜す。
彩雲堂・・・
嗚呼 姫!
いつぞや姫の空港に向かひしときに見たるとふ彩雲の写真の美しさに感動したることあるを思ひ出せり
*姫のあたたかき応援によりて
ランキング現在37位なり
驚愕しをるあかひとなり
この「若草」も一度は途絶えたものを、明治の中頃、彩雲堂の
初代さんが、資料や口伝を元に蘇らせたのだそうです。
例え途絶えてもそのような伝えが残っている所が素晴らしい
ですよね〜 やはりいい町にはいい人が住んでいます。
あれ、いい人が住んでいるからいい町なのかな^^
私、松江に行った学生の頃は何も知らなくて「不昧公」も
「不味(まずい)公? 変な名前〜」
って思ってたんだ〜 恥ずかしいよ…(^∇^;)>
「彩雲堂」さんの掲示板で掛け紙のことを質問したのだけど、
すぐにお返事下さって、このブログも読んで褒めて下さって、
掛け紙の作者は目下調査中ですって…。
とても誠実なお店でしょ〜感激!
>基本的に、古都=和菓子が美味しい…
そ〜なんですよね〜! 但し、私の中の基準(エラソ〜^^;)
では、駅で売っているようなお土産の御菓子も美味しくないと
ダメなんです。 京都は美味しいものも多いけれど、観光客用の
「・・・」のも多いので残念…。 金沢は私のベスト3に入ってます♪
あ〜岐阜はちょっとカテゴリーが違うけれど、素朴な御菓子
いいですよね〜なんだか想像だけでお茶が飲めそうな気分です♪
伯備線の山の方に友人が住んでいたご縁で、山陽山陰に
足を伸ばすことが出来ました。 この辺りは神様の気配が
とても濃厚です。 人の心に信仰が息づいているからでしょうね。
縁側でお茶を点てる日々…そこにふらりとお客様・・・
さぁさ、どうぞどうぞ…なんて、いいですね〜^^
殿、あの彩雲を覚えていて下さいましたか〜
これはあの日、彩雲と共に見送った思いへのお返しなのかも
しれませんね〜 本人は全く気付いて無いと思いますけど^^;
ををっ、37位まで上昇されましたか!
正に日の出の勢いでございますねっ \(^O^)/ヤッター!
不昧公の風雅さに気持ちもやわらぎます。
不昧公遺愛の茶道具や消息などは、わりと関西に伝わっていて、それらを見てからこのお菓子をいただくと、不昧公にお茶を招んでもらったような気持ちになります。
わたしのささやかな幸せです。
あ、もちろん試食はしたんですけどね^^
松江っていろいろあって悩むのですよ〜
緑の着色は私も気になりました。
一括表示見るかお店に直接聞けばわかるのではないでしょうか。
「山川」を作っているお菓子屋さんにも同じご銘のがあります。
こちらのも包装から凝っていて、美味しそう!
のんびりとまた訪れてみたいです。
バーナード・リーチのデザインだという
陶器を何点か求めたけれど、友人へのお土産に、、
興味のない人にとってはつまらないものだった
ようで、、ちょっと残念(^_^;)
いつかまた一緒に旅したいね。
お道具の歴史を偲びながら戴くお茶は、元の持ち主と語らう
ような嬉しさがありますね。 御好のお菓子と一緒であれば、
またひとしおです。 反対に何も知らないとその楽しみも
得られぬ訳ですから、一期一会の為の精進は欠かせませんね^^;
「若草」は東京でも買えるくらいですから、折角松島まで
いらしたのら他のものを試さなければ…と思いますよね〜
御菓子の材料名、どこかに書いてあったのかしら…紙類は
とってあるのですが、見当たらなくて…^^;
秘伝でなければ教えて下さるかもしれませんね♪
彩雲堂でも「山川」が作られていますし、「若草」や他の不昧公御好
の御菓子も松江の老舗でそれぞれに作られているようですね〜
どこのお店が元祖?復活?なのか、私にはよく分かりませんが、
どれも少しずつ趣が違っていて美味しそう〜! 今度は是非とも、
色々なお店のものを食べ比べてみたいです♪
折角のお土産、どこかの棚で眠っているのかなぁ…勿体無い!
お土産って本当に難しいよね。 お土産選びに費やされる時間
の割りにそう喜ばれないといおうか…好みの分からない人へは、
私は殆ど、消費してなくなるものにしているよ^^;
まぁ、選んでいる時間が楽しいのなら、それはそれでいいし、
旅の思い出に自分用に買うのが一番だよね〜♪
Cちゃん家経由で、またあっちの方へ行きたいねっ( ^ 0 ^ )/
もうすぐお水取りですね。
私もNの「若草山」を連想しました^^
この掛け紙の三つのなだらかな山も、そんな感じですね。
お水取り・・・そういうものが身近で本当に羨ましいです。
おっといけない、花粉症に悩む方々には不謹慎でしたね。ごめんください。
それは嬉しいことだね〜☆
もし、どなたか判明したら
教えてくださるのかな♪♪わかるといいね♪
o(⌒▽⌒)oわくわく♪♪
そうなのよ〜なんだか過去ログを拝見しても、お返事が
早いし、とても感じがいいの^^
HPもよく出来ていて管理もいいし、若い方が頑張って
らっしゃるのかな? こういう清々しい雰囲気だと御菓子の
方も一層美味しく思えるよね〜♪
おおっ、そうでしたか〜お買い上げありがとうございます!
・・・って私は彩雲堂さんの広報課??^^
ゆずまんじゅうさんなら、次はご自分で作られるのでしょうね〜
そうそう、先ほど彩雲堂さんの掲示板を見たら、お返事が
来ていました! 早速こちらにも転写しておきますね〜♪
こちらに転写してお知らせ致します。(山桜)>
Re: 若草の掛け紙 彩雲堂 - 2007/03/01(Thu) 15:09 No.616
返答が大変遅くなり、申し訳ございません。
弊社「若草」の掛紙に印刷してある「若草」の題字は、草光まつのさんに
依頼して書いて頂いたものだそうです。地元の画家・草光信成さんの
お姉さんではないかと思われます。(引き続き調査中です)
ちなみに、地元のケーブルテレビ局制作で、
『先人の足跡 山口善右衛門・草光信成』
という番組が2006年2月16日に放送されました。
http://www.mable.jp/?ID=3268
なお、掛紙の絵を描いたのが誰であるかは、今のところ不明です。
以上、よろしくお願い申し上げます。