2013年06月25日

貞恭庵・嘉祥の祝

 家人と増上寺近辺を散歩中、観光客もなかなか足を踏み入れない、やや奥まった所にある和宮様ご縁のお茶室「貞恭庵」へと潜入?しようとしますと、丁度第4日曜の公開日で貞恭庵でお茶とお菓子を戴けるとのお誘いを受けました。 家人が面倒がるかな…と思いきや、思いがけず「いいよ」と言うので、嬉しい! 幸運にも嘗て和宮様が寛がれたであろうお茶室へ…。

 『あら…何だか開放的?』 そう、お公家さん方の使われるお茶室には躙り口はないのだそうで、広々と空いた縁側から茶室内へ。 理由はよく聞こえなかったのですが、烏帽子やらおおすべらかしやら衣装やらで、狭い躙り口から入るには色々大変だったのかもしれません。 お茶室は、どんな身分の人も頭を垂れ狭き躙り口から入る分け隔ての無さが…とは言え、寛ぎの私的茶室、例外は有りのようですね。

貞恭庵.gif
芝・増上寺(徳川家の菩提寺)和宮様ご縁の貞恭庵
(江戸城にあった茶室ではなく明治になってからお使いの茶室を移築)庵名は和宮様ご戒名「静寛院宮贈一品内親王好誉和順貞恭大姉」から。(写真・東京寺院ガイド・増上寺より)

掛物は甲冑を着けた童子の絵、床には三宝に載った七種のお菓子。(参考写真・図:とらや公式ブログより)
嘉祥菓~1.JPG
七ヶ盛~1.JPG
江戸末期、虎屋により復元された献上嘉祥16種の菓子のうち、
16⇒1+6=7種の菓子 (詳細は下記参照)

 『あ、これは確か和菓子教室で「和菓子の日」のお話の中に出てきた…』と、記憶の底からあれやこれやを手繰り寄せていると、

 席主(大日本茶道学会)の方が、ニコニコ微笑まれながら、詳しくお話をしてくださいました。

 お話の合間に主菓子「武蔵野」(村雨よりもっちりとした食感、上品な甘さ)と乾いた喉を潤す美味しい薄茶(奈良絵のお茶碗)を戴きつつ…

 「これは、嘉祥(嘉定 かじょう)の菓子といいまして…(以下、お話の記憶と戴いたリーフレット等を参考に作成)

 嘗て旧暦の6月16日には、「嘉祥」という餅や菓子を食べ厄除・健康招福を祈る行事がありました。 起源ははっきりとは分かりませんが、室町時代には武家や宮中で行われた記録が残っています。 元々は、848年(承和15年・嘉祥元年)の夏、仁明天皇がご神託に基づき6月16日、16の数に因んだ餅菓子などを神前に供え、厄除・健康招福を祈願し、「嘉祥」と改元したことに因むとも言われています。 

 鎌倉時代には、後の後嵯峨天皇が東宮となられる前の6月16日に、通貨16枚でお供えの菓子などを求めて献上、これが吉例となり皇位継承後も続けられました。 

 室町の頃には、この日、楊弓(ようきゅう) で負けた者は、中国の「嘉定通宝」16枚で食物を購い、勝者に供しました。 嘉と通が「か・つう」で「勝」に通じることから、武家に尊ばれました。 「御湯殿上日記」には、嘉祥の日に朝廷では主上に「かづう」(=女房言葉で嘉祥菓子、「かつう」「かずう」とも)を誘あげるのが吉例であったことも記されています。

 豊臣秀吉も「嘉祥の祝」を恒例としていたことを受け、徳川家康も江戸幕府に置いてこれを継承し、6月16日に将軍より、大名、旗本など御目見得以上の諸士に江戸城の大広間で菓子を振る舞いました。 これを「嘉祥頂戴」といい、白木の片木(へぎ)盆の上に青杉の葉を敷きその上に積んである菓子(総数2万個とも)を一人一つずつ取らせたと言われています。 菓子作りは大久保主水が担い、羊羹・饅頭・大鶉焼(大福の前身)・あこや(アコヤガイを模す)・きんとん・寄水(ねじり新粉餅)・平麩・熨斗がそれぞれ種別に盛られたようです。

 宮中では天皇から臣下へ1升6合の米を賜い、その米を虎屋か二口屋の菓子と換えていました。 また、井原西鶴の『諸艶大鑑(しょえんおおかがみ)』 には、京都島原で虎屋の羊羹など16品が出される嘉祥の様子が描かれています。

 庶民の間でも「嘉祥喰」といって、16文で菓子や餅16個を求めて食べるしきたりがうまれ、本来は嘉祥通宝で…といえども嘉祥通宝の流通量は少なく、代わりに米1升6合を持って餅・菓子を求めることも行われていました。
 
 その他、
 「嘉祥縫」…16歳の袖止め(振袖から詰袖にする)
 「嘉祥の梅」…6月16日に採った梅の梅干を旅立の日に食す災難除け。
 「月見と嘉祥」…宮中の成人式の一種で16歳になり月見をする。 
 和宮様も1860年6月16日にこの「月見の儀」をなされたそうです。

 明治となって、この「嘉祥の行事」は廃れてしまいましたが、昭和54年 (1979年)全国和菓子協会は、6月16日の意義を鑑み「和菓子の日」と制定しました。

<虎屋の嘉祥菓子> 
 浅路飴*1…白求肥を拍子木型に切り炒り胡麻をまぶす。
 伊賀餅*2…餅皮で白あん包み糯米の染飯を散らし蒸す。 
 桔梗餅…和三盆糖を精製する段階でとれる希少な「白下糖」を用いた外郎皮で漉餡を包み桔梗型に作る。

 源氏籬*3(ませ)…湿粉*4で象った源氏の籬型。 
 豊岡の里*5…淡紅色の方形餡入り落雁。
 味噌松風…薄く長方形に切った味噌松風。
 武蔵野…湿粉で羊羹を挟む。武蔵野の秋景色。

  *1朝路とも
  *2蔵王の銘菓「稲花(いが)餅」と似ているような… 
  *3籬=垣根や塀のこと。 数寄屋等の古い和風建築に用いる「源氏塀」の特徴「たすき」の傾斜した線を取り入れた意匠。

  *4湿粉=餡・餅粉・上新粉を混ぜてもみ、こし網で漉してそぼろを作り枠に入れ蒸したもの。「村雨」。

  *5古くより淡紅色の落雁のことを「豊岡の里」と呼ぶ。 由来は虎屋でもきちんと分からないとのこと。

<後記>
 記念に法然上人のお姿絵と「天下和順(てんげわじゅん)」の祝聖文(しゅくしょうもん)入った札(栞?)を戴きました。 主催は「茶雅馬(ちゃがま)茶道教室」MIHO企画さんでブログも書かれています。 

 それにしても、「嘉祥」は徹底した 1、6、16 また 7 に拘る行事です。 昔、こういう数字にまつわる伝えや教えに詳しい方がいらして、それはそれは色々なお話をしてくださり驚き、また大いに興味が広がったものでした。 今頃どうされているのでしょうか…? どうか、お元気でいらっしゃいますように。


posted by 山桜 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 和菓子・洋菓子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 佳きご縁が運ばれて、本当に有難く、良かったですね-☆   新緑美しい頃、私も
増上寺へ行ってきました。東京タワーを背景に、不思議としっくり納まる景色でした。
 あ〜、和宮様も祀られているんだ…と思いつつ、飛行機で帰る僅かの時間を縫い、
浜松駅から走って拝観して参りました。カラカラと回りつつ 風車を持った沢山の
水子地蔵がとても印象深く脳裏に焼き付いています。
 数に纏わるお話、興味深いですね。 それにしても本当に徹底的!お菓子も美味しそう♪
Posted by メダカの目 at 2013年07月06日 15:10
◆メダカの目さんへ
 落ち込む日もあれば、その中にも心温まるような嬉しい日があるものですね。 家人と二人のんびり散歩するなんて、いつ以来のことかと…。

 増上寺へも行かれたのですね。 お寺のバックに東京タワー、新しいものと古いものが混然一体となった日本の姿の象徴のようで、外国の方が写真に収める気持が分かります。 増上寺を挟んで左右の現プリンスホテルの地所もそもそも徳川家の墓所で…そこにあった数々の関連建築等がひっそりと移築された先に知らずに踏み込んだことがあるのですが、ブログに載せていいものかどうか迷って結局載せずじまいでした。 別に隠してある訳でもないのでしょうが、敢えて宣伝もされていないという曰くのありそうな…
Posted by 山桜 at 2013年07月06日 18:07
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