2007年03月25日

能登の思い出(1)

 平成19年3月25日9時42分、能登半島が震度6強の地震に襲われました。 私に沢山の思い出を下さった、愛する能登半島の被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。 私も出来るだけの援助をする積りでおります。 どうか少しでも早く皆さまに平穏な日々が戻りますように…。

           *     *     * 

 あれは入社前、学生最後の春、秘境好き?の友達と二人で能登を旅した。 

 私は唯一の自慢だが運動神経だけは良かったのである。 自転車もすぐに乗れた…が初ライディングの時、勢いあまってカーブで電柱に激突した。 口から血が流れ落ちた。 以来、自転車に乗る気が失せてしまった。 叔父の自転車の後に乗っていて足を巻き込まれたこともあるので、後に乗るのも怖い。 

 その頃住んでいたのは便利な土地だったし、足も早かったので特に不便はなかった。 友達の自転車について走り続けたので、足は益々鍛えられた。 今でもその恩恵に浴している。 後で何が役に立つかは本当に分からない。

 そんな私が二人乗りのレンタサイクルの後に乗せられて、能登を巡ったのだ。 申し訳ないけれど『大丈夫だよ!』という友の見積もりは甘かった。

 田舎の道は、アスファルトの補修を重ねてか蒲鉾型に盛り上がっていることがある。 縁がストンと落ちているのだ。 私達はそこに車輪を取られた。 原因は勿論私である。 ズルッと自転車ごと側溝に落ちて車道側に倒れた私の髪の毛の上をトラックが通り過ぎた。 まさに髪一重だった。 生きてて…良かった。 トラックの運転手さん、多分気付いてなかったと思うが、ごめんなさい。

 その後も遅々として進まない自転車、原因は勿論私である。 美しい岬の景観を染め上げて暮れていく夕日。 しかしその後には深い闇が待っていた。 予約していたお寺のユースホステルまで後何キロあるのかも、道が正しいのかも分からなくなった。 口数も減り、聞こえるのは、黙々とこぐペダルの軋みと息づかいの音…。 

 遠くに赤い小さな灯火が見えた。 交番!ではなく、駐在所だった。 「駐在所」というローカルな響きがあたたかで嬉しかった。 が、駐在さんは留守だった。 肝心な時にいないのが駐在さん、それ以来その勝手なイメージが私の中で出来上がった。 たまたまその時居られなかった駐在さん、ごめんなさい。

 次に見えたのは青白い電話ボックスの灯り。 やっと見つけた公衆電話からお寺に電話すると、連絡が遅い!と怒られた。 本当に申し訳ない、悪いのは私達。 でもこれは不測の事態、お寺の方には、もう少し優しい慈悲深い言葉を期待していた。

 ああ、もう晩御飯は出せないとは、あまりなお言葉! 丁度その時、どこからかチャルメラの響きが… 
 「Aちゃん、夜鳴きラーメン食べちゃおうよ!」
 「ダメだよBちゃん、そんなの追いかけたら迷子になるよ!」
最もである、友が正しい。 冷静な友を持って良かった。

 頭の中は温かいラーメンの妄想でいっぱいに…その温もりでなんとか走りぬくことが出来たのかもしれない。 あの時のチャルメラおじさん、顔も知らない貴方だけど、ありがとう。

 やっとの思いでお寺のユースに辿り着くと、さっきの電話に出た人とは絶対に違う和尚さん?が優しく出迎えて下さった。 もう夕飯はキャンセルされてしまったのに、巨大な炊飯ジャーの中に入れてあった白と緑の大きな葬式饅頭?を一つずつ、
 「ほうれ、これで良ければお食べ」
と、分けて下さった。 

 誰もいなくなった畳の上にビニール敷きの食堂で、抜けそうになった敷物の鋲留めを押し込みながら、ご飯粒がついたままのほかほかのお饅頭を戴いたご恩は、終生忘れない。

 その後、シャワーの無いお風呂に生まれて初めて入った。シャンプーを洗い流すのに、順番に手桶でお湯を汲んで掛け合った。 私は親切心から、必死に途切れることなく友の頭にお湯をかけ続けたのだが、ふと気付くと友は必死に手を振って私を制している。

 「息ができないよっ! もう、Bちゃんに殺されるところだった!」

 友よ許し給え。 私はあの日、貴女を2度あの世へ送りかけました。

(続く)


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posted by 山桜 at 00:00| Comment(21) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小生もある意味阪神大震災の被災者
能登のみなさんの今の心境を思うと
胸が詰まります
一日も早く復興がなされ
能登のみなさんに心の安寧が訪れることを
願ってやみません
こういうときはガンバレって応援しちゃ
いけないのでしょうがそれでもやっぱり
頑張って欲しいと思う次第です
輪島の輪島塗が美しい宿でご主人心尽くしの
いしる鍋や手打ち蕎麦をいただいたのが
懐かしく思い起こされます
Posted by 幽黙 at 2007年03月27日 12:59
 お知らせ頂いて有難うございました。今、鎌倉とんぼ様の所に立ち寄らせて頂きました。コメント書き始めて長い電話が入り、初めてなのにとても長居をしたみたいで、申し訳なかったです。トホホ・・(>.<;) お陰様で、素晴らしいお品を拝見させて頂きました。

 続きを待ってコメントしようか迷いながら書き込んでいます。
 先日の季節はずれの雪と言い、今回の地震と言い、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復興が待たれますね。
 私も能登半島は、大学4年の夏、友人と訪ねた思い出深い土地です。今も輪島塗の夫婦箸、お正月には必ず使います。私もオテンバでしたが、山桜さんも相当な・・・ウフフ。。。
続きを楽しみに待つとします。
 
Posted by 飛翔 at 2007年03月27日 18:30
震災に対して何も出来ないで居る自分を恥ながら思うところ多々あります。
ボランティアの精神はまさに山桜ではないでしょうか。
誰見ると無く、奥山に咲く山桜。
山桜様の思いが能登に届くようにとお祈りいたします。

三十年前と十八年前に能登を訪れたことがあります。
山桜さんの思い出の続き楽しみです。
Posted by 凡人 at 2007年03月27日 20:56
シャワーのないお風呂に初めて・・・
近代的だったのね、さくらんo(⌒▽⌒)o

地震、早くおさまるといいよね。。。。

(ー人ー)
Posted by やゆよ at 2007年03月27日 21:01
私の四国遍路と地震との間には、何か関係があるのかも知れません。
今回の地震も愛媛・新居浜で聞きました。
以前、足摺岬を目指していたときには、玄界灘で大きな地震が起こりました。
これは偶然なのでしょうか?
私の能登の思い出は何と言っても“日本海密航”です。
http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2006/04/post_2f83.html
Posted by 酒徒善人 at 2007年03月27日 22:51
地震を想いシンとし、ズッコケ能登の旅をぐぐっと笑いながら読ませて頂きました。

お店で展示会を催していた時にお世話になった輪島の漆作家さんが何人かいらっしゃるので、心配しています。。。
Posted by アンズ at 2007年03月28日 01:51
◆みなさま、おはようございます。
 すみません、ここで時間が足りなくなってしまいました。
帰宅後また改めてお返事させて戴きます! いつも暖かい
励ましを本当にありがとうございます。
それでは、行って参りま〜す( ^ 0 ^ )ノシ
Posted by 山桜 at 2007年03月28日 08:46
わたしの能登半島の旅は今は亡きK君と一緒の旅でした。
輪島や七尾の町並みが懐かしいです。

二人乗りの自転車って…恋人同士で乗るんじゃ…
ドキドキしながら読みました。
続きが楽しみ!
Posted by 宗恵 at 2007年03月28日 13:35
◆幽黙さん、こんばんは。
 夜遅くまで神戸の友人と電話で話していた翌朝、あの大震災が
起こりました。 今でもその友人は、震災のことを話したがり
ません。 家の玄関にはその友人から贈られた震災前の神戸の
風景画が飾ってあります。 今、思わず手を合わせました…。

 輪島塗の漆にも大打撃だったようですね。今朝、漆の中に
入った埃などを丁寧に取り除く作業をされている姿をニュースで
拝見致しました。 奮発して輪島塗など能登の工芸品を購入する
ことも、きっと復興の一助になりますね!
Posted by 山桜 at 2007年03月28日 20:07
◆飛翔さん、こんばんは。
 ありがとうございました。鎌倉とんぼさんも喜んで下さって、
私もとても嬉しいです。

 飛翔さんも男に生まれていたらラグビーをやられたかったの
ですよね〜オテンバ(*´∀`)人(´∀`*)ナカーマ!

 明日からまた暫くお出掛けが続きますので、続きは4月に
なってしまいそうです。 「花色遊び」の一年の締めくくりも
また月越えです。どうしてこう早め早めに出来ないのだろう…orz
Posted by 山桜 at 2007年03月28日 20:14
◆凡人さん、こんばんは。
 先日は立派な韮をご馳走様でした!
あれ以来、春の生気を得て、俄然元気になったようです^^

 私も老師のようにすぐさま駆けつけて手を差し伸べるような
ことは出来ないでおりますが、
 『遠くからでも心を寄せて心配している人が大勢いて
 下さったことを知り、とても支えになり嬉しかった。』
という被災者の方の経験談を拝見し、及ばずながら先ずは
祈りの心をお送りしたいと思いました。
それ以外にも出来るだけのことをしていきたいと思っております。
Posted by 山桜 at 2007年03月28日 20:24
◆やゆよん、こんばんは。
>近代的だった…

 あはは、そうか〜そこに反応が来るとは思わなかったよ!
だってね、富士山がいつも見える大きな展望風呂に入っていた
からなのよ〜^^ 分かるかな? 大きな煙突が目印ね☆

 本当に先ずは余震が収まるといいよね…。
Posted by 山桜 at 2007年03月28日 20:31
◆酒徒善人さん、こんばんは。
 酒徒善人さんは、我が国の鯰の鎮石でいらっしゃいますか…
どうか次回からは渡航される前によ〜く大亀様に鯰の番を
お願いして下さいませ。

 前にこの日記を拝読した際も、酷い船酔いに襲われました。
今回も又、それを忘れて読んで漂流してしまいました・゚・(つД`)・゚・
Posted by 山桜 at 2007年03月28日 20:38
◆アンズさん、こんばんは。
 能登の報道に触れるにつれ、色々な思い出が甦って来ました。
私達が自転車で走ったあの道、土地の方々と触れあいながら、
辿ったあの道、美しい甍の波が崩れ落ちているのを見るのは
とても辛いです。

 先に幽黙さんへのお返事にも書きましたが、震災直後から
貴重な漆を守る為に、黙々と丁寧に漆の手入れをしていらっ
しゃる姿に感動致しました。 アンズさんのお知り合いの
方々も、どうかご無事でいらっしゃいますように。
Posted by 山桜 at 2007年03月28日 20:44
◆宗恵さん、こんばんは。
 思い出の君は恋人でいらしたのでしょうか…同級生の訃報には
心を締め付けられますね…。K氏のご冥福をお祈り申し上げます。

 Aちゃんは同じ会社に就職した女の子ですよ〜
恋人と思われて読んでいらしたら、一緒にお風呂って、もう、
エエェエエ!煤i@@;)ノノドキドキですね!(笑)
Posted by 山桜 at 2007年03月28日 20:50
山桜さん こんばんは
韮は凡人ではなく仙人230さんです。

大事なのは丹人さんの記事にあった蜂鳥の一滴です。
そして、思うことも力なんだと思います。
Posted by 凡人 at 2007年03月29日 00:41
◆凡人さん、おはようございます。
 そうでした! ううっ頭の整理が…(><)失礼をお許し
下さいませ。<( _ _ )> となるとHNはこちらに?
それとも臨機応変、変幻自在ということでしょうか^^

「蜂鳥の一滴」、挫けずに肝に銘じます!
Posted by 山桜 at 2007年03月29日 07:24
山桜さん こんにちは
混乱させて済みませんでした。
常陸の国 老天使の魂(こころ)の管理人が凡人 とご理解いただけると幸いです。
Posted by 凡人 at 2007年03月29日 12:21
◆凡人さん、こんにちは。
 合点、承知致しました! 異名同体?ですね^^
Posted by 山桜 at 2007年04月01日 17:40
ほ〜このシリーズ怖かった〜o( ̄▽ ̄)o←ヲイ

「トロッコ」を子供の頃にテレビでみて
本当に暗くなる時の不安、恐怖が原風景として
残ってるんだけれど、やっぱりその気持ちにトリップ・・・

となるはずが、時々さくらんの計算のない「らしさ」が
笑っちゃったんだけれどねo(⌒▽⌒)o
Posted by やゆよ at 2007年04月03日 23:28
◆やゆよん、こんにちは。
 やゆよんには確かこの話、前にしたよね〜^^;
それなのにまた読んでくれてありがとう!

 知らない場所で日が暮れると、本当に不安なものだよ〜
電柱などの町名表示が少ない所は尚困るんだ。
書き忘れたけど、お留守の駐在所で地図を確認できたから
少し安心したの。 今は携帯があるからいいよ〜でも、携帯って
肝心な時に限って電池切れるんだな、これが…o(´^`)o
Posted by 山桜 at 2007年04月04日 10:16
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