愛知県一宮市の市立中学の校長先生が建国記念日の由来について中学生に語りかけるように書いたブログにクレームが入り、教育委員会の指摘を受けて削除されてしまいました。 その全文が産経新聞に掲載されていました。 下の産経新聞のリンク先記事からこちらに引用いたしました。 是非、私のコメントなどの先入観なしに一度読んで戴きたいと思います。
そもそも、建国記念日にその由来を教えない国が世界中のどこにあるでしょうか? 多感な中学生という年頃に、このような素晴らしい校長先生の教えを受けられる子等は幸せです。
≪愛知・一宮市立中学校長のブログ全文≫
2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。
仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。
税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。
三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。
「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」
そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。
皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」
すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。
この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。
こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。
「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。
それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。
このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。
日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。
古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。
私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。(原文のまま)
2015年02月22日
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示唆に富んだ、深い意味を持つ文章だと思います。敗戦後の9・27の昭和天皇とマッカーサーの話は有名ですが、今でも知らない人が多い事に憂いを覚えます。民主主義の精神も、戦後アメリカから押しつけられたものではなく、もともと育み根付いていたもの…共感します。尤もそうでない時代もありましたが。
読んでいて、ふと ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカ大統領を思い起こしました。「世界で最も貧しい大統領」と言う本も出ている様ですが、資産の8割を、給料の9割を寄付し、国民の為、環境の為にいつも頭はいっぱいだとか。理想の様に思いますが、実際に実現されていらっしゃる。この様な話を聞くと希望が湧いてきますね。
神話の世界は確かに「史実でない」可能性もあるけれど、そこに全く何もなかったら生まれない話でもあると思います。 むしろ、そうして長い間語り継がれてきたことが、人々の心に響き大切にされてきた証だと思います。
天皇崇拝や日本国民が誇りに思うようなことを排除する歪んだ教育から、一刻も早く、自分の周りの子供たちから先ず、解放してゆきたいと思います。
国民を愛する君主のいらっしゃる国の民は幸せですね。 日本はその最たる国と思います。
現在は‘建国をしのび、国を愛する心を養う’という信念を基にして、昭和41年に新たに策定された(「の」が入る)「建国記念の日」となっています。
その“戦前の記念日”という説明が不足したのでしょう(勘違い?)。
私的には、それよりも文章のあとの方に出てくる「革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません」
というほうが、戊辰戦争という悲惨な日本人同士の殺し合いの戦場となった地域に住む私には、解せません。
「建国記念の日」となったとしても、その日が2月11日である以上、起源をこのお話に求めるのは自然なことではないでしょうか?
日本では天皇陛下の御許での政権の形が守られているので「革命」ではなく「維新」を用いていますが、日本人同士で血を流し、民主主義の生みの苦しみを超えたことは違いないと思います。
「八重の桜」「マッサン」等でも、会津の方々の心情が語られることが増えて、西の方々にも戊辰戦争への理解が深まるといいですね。 「花燃ゆ」は長州側からの視点が多くなるのでしょうけれど、決して一方的には描かれないこと願っています。
仰る通りだと思います。
ただ、「の」入れただけの祝日ですが、廃止から20年もかかって成立するにあたって「起源説」の考えを外すことで、時の佐藤栄作総理は「建国記念日」の復活反対派を納得させた経緯がありますので、文科省としては‘「起源説」=2月11日’の考えはタブー視されているようで、あくまでも2月11日は新法案でできた偶然同じ日としたいようです。
それに起源説の日付は未だに正確には不明なようで、明治初期には1月だったり3月だったりしていたようです。
2月11日は京の都に昔有り今は無くなった神社の祭日だったという説もあるようです。
再度コメント戴いてましたのに、見落としていて申し訳ありません。
起源説と仰るのは、多分「紀元節」の変換違いですね。
旧暦(太陰太陽暦)というものは、なかなか厄介なもので、新暦に換算するとなると…(以下Wikiよりの引用)
【即位年の「辛酉年」は『日本書紀』の編年(720年(養老4年)に成立)を元に計算すると西暦紀元前660年に相当し、即位月は「春正月」であることから立春の前後であり、即位日の干支は「庚辰」である。そこで西暦紀元前660年の立春に最も近い庚辰の日を探すと新暦2月11日が特定される。その前後では前年12月20日と同年4月19日も庚辰の日であるが、これらは「春正月」にならない。したがって、「辛酉年春正月庚辰」は紀元前660年2月11日とした。】
という経緯のようです。 改めて確認できてよかったです。
こうなると2月11日が、というよりも、「神武天皇の即位日」=「紀元節」だったことが重要となりますね。
もういい加減、占領軍の思惑・』タブー等という呪縛を、日本が己に自信を持って解き放さねばならない時が来たのだと思います。
日教組の教えは根深くて、今でも組合員の先生である友達とは、君が代・日の丸の話が出来ません。 真面目で一生懸命な人ほど洗脳(と言ったら怒られますが)が強いようです。
声高に威張っていた左巻の文化人もマスコミも、自由に情報を得られ発信できるネットの発達で、以前の様な影響力は落ちてきていますね。
ネットもネットで自由を履き違えた輩が陰湿に蔓延りがちですが、人間のすることに清らか一辺倒ということもあり得ず、正邪混在するのが人の世の常。 己の目で心で取捨選択です。