3年前、一体どんな状態で行われたのか想像するだに怖ろしい、執刀医曰く『どこの医者もやりたがらないだろうね』という、声帯と嚥下機能を温存し癌を取り除く喉と頸部の手術を主人が受けることになった時、私は必ず助かると信じていた一方で、どういう心境からか、恐らくは元々持っていた「生と死」への興味から、
「人は死なない−ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」
矢作直樹 著
(東京大学大学院医学研究科・医学部救急医学分野教授 医学部付属病院救急部・集中治療部部長)救命医療から緩和ケアまで様々な現場を経験してきた臨床医が自らの体験を通しての、
「神は在るか、魂魄は在るか。」
「生命の不思議」「宇宙の神秘」「宗教の起源」「非日常的現象」
などについて思索を記した書を読んでいたことを思い出し、再びその書を手に取った。
いきなり容態が急変しあらゆる手を尽くしても亡くなる人がいる一方で、極めて重篤な状態であったにも関わらず予想を超えて命を繋ぐ人もいる。 飛躍的に医療が進んだと思われている現代においても、人の生命の力については分からないことばかり、それは途方もなく複雑で精緻かつ絶妙なバランスで営まれている。 人が生き残る為の強力な戦略である「多様性・個人差」が、全体像を掴む妨げにもなっている。(近年注目の遺伝子表現形が、安価・短時間・確実に判定できるようになれば道が開かれるかもしれないが。)
「人は必ずこの世を去る」
「自然科学としての現代医学が生命や病気について解明できているのはほんの僅かな部分でしかない。
「人の寿命を医師が覆すことは出来ない」
今、読み返してみて、この辺りの記述に納得を覚える。
明らかな医療ミスがあった訳でもなく、自分が、また医師が、どこかで何かを間違えたから寿命が縮んだのではなく、これが主人の寿命だったのだ。 それどころか、発病以来16年間、本当によく頑張って生き延びて来てくれたのだ。 強い意志で病に立ち向かう一方で、柔らかな心持を保って「心で治す」を実践して来てくれた賜物だと思う。
科学と宗教についての思索も大変興味深いが、ここではその一部を抜粋・まとめて紹介する。
「人間は、事物現象のメカニズムは解明できても、それらの事物現象が存在する理由について解明することは難しい。 メカニズムが解明されればされるほど、全てが完璧に出来ていることを思い知り、その完璧さこそが人智を超えた『摂理=神』のわざ としか思えない。」
今、大きな哀しみの中にいる私が最も共感するのは、自身の幾度かの臨死体験やご両親が亡くなった時の体験等に基づく次のような言葉の数々だった。
「人は死なない。 肉体は消滅した後も魂は存在し続ける」
「人が持っている本来の能力は、我々の想像をはるかに超えたものである」
「他界した人はいつも自分を見守っていてくれ、いつの日にか再会できる」
「誰かが見ていてくれるという潜在意識が人の良心を保つ」
「足るを知り、必要以上に求めない」
これらの言葉は、主人が旅立ってから後、私を苦しめてきた様々な思い、
「あの時ああしていれば、こうしていれば助かったのではないか」
「私はどこで間違えてしまったのだろう?」
「もっと色んなことをしてあげたかった」
「もっとたくさんの言葉をかけたり貰ったりしたかった」
「なぜ、入院していたのに悪化してしまったのか」
「何一つ変わらない家の中で、主人の姿だけが見えず触れられず辛い」
「たった一人で日々を何の為に生きよと言うのか」
それらに答をみせてくれた。
人は死なない [ 矢作直樹 ] |