嵐山の駅を出ると、溢れんばかりの人の波と暑さでくらくら…いつも殆ど人の居ない東京の田舎町に住んでいるので人ごみは苦手…それでも渡月橋を渡り向こう岸へ辿り着く頃には人影も疎らになって、静けさにホッと一息つきました。
何やら急な階段の下に「法輪寺」の道しるべがありましたが、手持ちの地図ではもっと先の筈だし膝痛があるので急な長〜い階段は敬遠して先に進み、あと数歩先という所で我慢できず道を尋ねてしまい、余りに直ぐそこ過ぎて恥ずかしかったです。


しかも左手のこの階段を上ってしまったら帰り道はこちらとの看板が・・・行きと帰りとで道が決まってるの? 右の写真は、「電電塔」で 電機関係の方の供養塔。 電気の功労者代表として ヘルツ(左)とエジソン(右)のレリーフが嵌め込まれています。 京都の竹がエジソンのフィラメントに使われたのと何か関係があるのかな?

山門をくぐり

ああ、やっぱりどうしても長い長い階段を上るんですね・・・出迎えてくれたのは狛犬さん・・・ではなくて、あれれこれは??


猫耳で阿と吠えているのは「虎」? 吽の方は「牛」ですね。
ということは「丑寅」 若しかして丑寅の方角で都の鬼門封じ?
(帰宅後調べた所、虚空蔵菩薩は丑寅生まれの守り本尊とのことでした。)


そして何故か「羊」さんも?
(同じく調べた所「羊」は虚空蔵さんの化身またはお使いとされているそうです。)
ずっと私達を見ていたトカゲさんは若しかして??

境内から張り出した舞台からは渡月橋や京都の町が一望できます。


舞台への入口横には大きな桂の木 光がさして緑が一層鮮やかに

青紅葉からの木漏れ日が階段に揺れて・・・うっとり見惚れておりました。
本殿にも多宝塔にもカメラを向けていなかったことに、帰宅後初めて気が付きました。
何故だかそういう気持ちにならなかった、ということなのでしょう。
【法輪寺】
和銅六(713)年
元明天皇の勅願により、行基菩薩が木上山葛井寺を創建
天長六(829)年
弘法大師の弟子 道昌僧都(どうしょうそうず)が中興、
ご本尊に虚空蔵菩薩を安置
道昌は、大堰川の修築や法輪寺橋(現在の渡月橋)の設置、
船筏(ふないかだ)の便の開港等に尽力
貞観十六(874)年
伽藍が整備され「法輪寺」と寺号を改める
吉田兼好の『徒然草』 清少納言の『枕草子』の中に登場
応仁の乱や幕末の禁門の変(蛤御門の変)など、度重なる兵火に会うもその都度再興
「嵯峨の虚空蔵さん」と親しまれ、十三参りで有名。
十三参りの帰り道に振り返ると授かった知恵を落とすとの言い伝えあり。
虚空蔵さんは十三番目に誕生したとされる智慧と福徳の仏様。
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エジソンの竹を同じ京都の石清水八幡宮で見たことがあります。
今後、ケロの部屋を拠点にちょっとずつ足をのばして行こうと計画中です。 一人歩きの時は、自由気ままにどんどん歩くコースで。 主人の好きだった奈良へも・・・行きたい所いっぱいあって困ります。
エジソンの竹フィラメントは、京都八幡市の男山、石清水八幡境内に生えていた真竹だったのですね。 よく知りもせず、何となく竹というと嵯峨野のイメージで思いついたことを書いてしまいました〜すみません。