2017年05月18日

高槻@「高山右近」「野見神社」「城跡公園」他

 大阪のガイドブックから、余り人が行かなそうで(失礼!)面白い所はないかと探し、百人一首でお馴染みの「伊勢」と「能因法師」のご縁の地とのことにも惹かれ、高槻市に行ってみることにしました。  未知の土地を歩くのは、やってみたかった「ぶらり途中下車の旅」みたいでドキドキします。

 高槻といえば先ずは高山右近、恥ずかしながらそれしか知らなかったので、右近さんに会いに「カトリック高槻教会」へ。 教会内には人のお姿が見えましたので、邪魔をせぬよう教会の外から真っ赤な薔薇越しに右近さんの像を後姿から拝みました。 膝を曲げて祈られている姿でしょうか。

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 続いて「野見神社」へ。 忌明け(神道では服忌は50日)はしましたが、心情的に本殿近くでの参拝は遠慮いたしました。 忌明け後の神社参拝は差支えないとのことですが、それぞれの心持に素直に従えば良いのではと思います。

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9世紀の宇多天皇の御代、社殿を設け牛頭天王=スサノオノミコトをお祀した所、悪疫がたちまち終息。 後10世紀末に高槻城築城の際、高槻城城内守護社となる。 明治始めに野見宿禰命(天皇家の祭祀を司る土師氏の粗。お相撲の神様としても有名)を合祀、名を野見神社と改名。 現在は高槻の鎮守様として崇拝を集める。

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永井神社 藩祖永井直清の霊神をお祀り。 
瓦屋根の隙間から草が生えているのも荒れた感じはせず、どこか親しみやすい雰囲気を感じました。

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永井鉄線(テッセン、センニンソウ/クレマチス属の原種の一つ)は、徳川家光より永井家だけに許された家紋とのこと。 鉄線大好きな私は、その意匠があちこちに見られてにこにこ。

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この一文字三ツ星が正式家紋、桃は厄除けの為?

高槻市立しろあと歴史館 に立ち寄り、なんと今年が「高槻城築城四百年」という記念の年に当たることを知り、何かに導かれて来たようで驚きました。 

 この町の歴史を一通り学び頭を多少使ったので、お腹が空き(お腹が空くと言うことは素晴らしいことです。 あれからずっと食欲もなく食べても砂を噛むように味のしない日々が続いていたことを考えると、私の心も回復の兆しです。)優しく微笑む受付の女性に、
「この近くでお昼を頂けるお薦めのお店はありますか?」
と尋ねると、直ぐ斜め向かい辺りにある商工会議所の中のレストランを紹介してくださいました。 その他にも行きたい場所近くの地図をコピーして下さり、重ね重ねのご親切、ありがとうございました。  

P5184954 (210x140).jpg カフェハウス Jause のHP

Aランチ(パンのメニュー)は売り切れで、Bランチ(ご飯のメニュー)をお願いしました。 ご覧の通りのヘルシーなランチセット、デザートの手作りケーキも美味しかったです。 頭に浮かんでいた商工会議所の食堂のイメージとは違って、大きなガラス窓越しに緑がゆれるお洒落なカフェでした。

 カフェの方に「城跡公園」への道順を尋ねた所、今は工事中で余りお勧めしないとのことでしたが、折角ここまで来たので、初夏の日差しにも負けず行ってみることにしました。

 こちらへきて多く見かけるアキニレの木が大きく枝を広げて強い日差しを遮ってくれ、ありがたく暫し休息。
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DVC00832 (210x280).jpg 城跡公園にも右近さんの像       

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「歴史民俗資料館」         欄間に束ね熨斗模様

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 室内               中庭

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床の間 落掛の木目が美しい     竹材使用

城跡公園を抜けて、次はお寺を幾つかお参りし「八丁松原」へ向かう積りで、方角の検討を付け進むうち、お散歩途中の奥様に出会ったので、
「この道は城跡公園の向こう側の八幡(はちまん)様の道に出られますか?」
と伺うと、
「ああ、私らは「やはたさん」と呼んでるけど、出られますよ」
それで安心して、途中の日陰でメールの返事を打っていたら、先程の奥様がわざわざ戻って来られて、
「迷われてませんか? 私もそちらへ帰りますからご一緒しますよ」
とご親切に仰ってくださり、道々お話しながら歩けて嬉しかったです。 そして八幡様の所に出たら、

「あらら、はちまんって書いてありますわ〜 
間違っとったわ〜 御免なさいね〜」

「いえいえ、どちらも有りだと思います。
 そんな気にしないでください〜
 わざわざ追いかけてご一緒してくださって
本当にありがとうございます。」

二人して握手してぺこぺこ頭下げて可笑しかったです。 こういう人との触れ合いが何よりの旅の思い出になります。 二度と会うことはないかもしれませんが、きっといつの世かにご縁があった方なのでしょうね。 どこか懐かしい気持ちがしましたから・・・

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住宅街に残る古そうな道標を読む・・・傾きを直さない所が好き

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 民俗資料館で気が付いて伺ったのですが、屋根の勾配がふっくらと丸みを帯びていて「むくり屋根」というのだそうです。 何か意味があるのかと尋ねたところ『特別なものではなく、こちらでは普通ですよ』というお返事。 そう言われて気を付けて見ると、町の昔ながらの家々は皆この屋根の形でした。 ちょっとカマクラ見たいですが暖地ですから雪対策ではないでしょうし、雨の水捌けは良さそうですね。 優しい温かな佇まいに感じます。

 幾つかの名のあるお寺を巡る積りでしたが、住宅街には日影が無く流石に初夏の日差しに負けました。 何と言っても今日のメインは能因法師塚と伊勢廟なので、先を急ぎます。 もう少しで八丁松原という交差点の角で素敵な建物をみつけました。 これは絶対名のある人の設計・・・やはりそうでした。

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大阪医科大学別館(資料館) ヴォ―リズ設計 
イスラム様式のアーチやアラベスク装飾などを用いた個性的な意匠と地域の歴史的建築。 平成15年7月1日に高槻市内初の国の有形文化財に登録されています。

塀の隙間から写真を撮っている余所者を怪訝そうに見て通り過ぎる人々の視線に負けず、暫し細やかな装飾など見惚れておりました。 

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八丁松原

 こういうものは大体現代風の民家が迫っていて写真で見る程昔の風情が残っていないものですが、まずまずの面影は偲ばれ、下の解説にあるような風景を想像しながら、そぞろ歩きました。 それにしても暑い・・・。

【八丁松原】高槻市教育委員会設置の看板より 
八丁松原は、高槻城下の京口から西国街道に至る八丁(約900m)の間に続いた松並木で、江戸時代初期の慶安2年(1649)、高槻城主永井直清によって整備されました。 正式には「山崎通(やまざきみち)」と呼ばれた西国街道は、京都と西国を結ぶ重要な交通路であり、八丁松原は京坂間の要衝高槻城とを結ぶ最短の道筋でした。 最盛期には数百本の松が連なり、「小天橋(しょうてんきょう)の如し」と称えられた八丁松原も、明治時代以降は東海道線や新京阪(現・阪急電鉄)の開通、道路の拡幅等によって、松並木の片側を残すだけとなりました。 そして今では、松原公園の僅かな老松が往時の面影を留めているに過ぎません。

(後編へつづく)
 
posted by 山桜 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
高山右近は、幼い頃は奈良県宇陀市にある沢城にいたようです。その後、大阪・高槻へ。息子がしばらく茨木で住んでいたので、茨木や高槻を散策しました。次回、大阪に来られた際には、茨木市立キリシタン遺物史料館にも足を運んでください。目からうろこですよ!
Posted by 酒徒善人 at 2017年06月14日 20:26
◆酒徒善人さんへ

 >茨木市立キリシタン遺物史料館

 耳寄り情報をありがとうございます!
やはり、住んでいる方のお薦めが一番ですよね。

 高槻を歩いていて道を尋ねた時に、
「そんな所よりも、中には入れる古墳をお薦めするけどなぁ」
「私なら、長岡京がお薦めやわ」
等と教えて頂きました。 
関西で行きたい所がどんどん増えて嬉しいです。

ところで、茨木市と茨城県、どちらも
「いばらき」
と濁らないのですよね。
 
Posted by 山桜 at 2017年06月15日 19:49
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