
やはりロクに下調べせずに出掛けるのは無謀だったかなと思いつつ、それだからこそ、見知らぬ人に助けて戴き、道々お話出来る楽しみも生じるのだと自分を励まし、素敵なお屋敷から出ていらした紳士に次の目的地、古曽部焼の窯跡をお尋ねすると、
「古曽部焼の窯跡? 今はもう止めちゃって何もないよ」
とのお答えにガッカリ。 それでも道を教えて頂き、そろそろという所ですれ違った学生さんにも伺うと、
「さぁ、聞いたことないです」
ぺこりと頭を下げたその場所の植込みの中にめり込んだ石碑がありました。


登り窯のあった五十嵐家の跡地のようですが、残念ながら紳士のお言葉通り、何も残ってはいないようでした。 古曽部焼きのそもそもの始まりも、先の能因法師の手びねりの焼き物からだったという伝えもあるそうです。 近年、廃業を惜しんむ人々が「新古曽部焼」として高槻市内の別の所で復興しているそうです。
「古曽部焼のこころ」 高槻市HP内
古曽部焼 高槻市HP内
「くらわんか」の皿 高槻市HP内
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