2017年05月18日

高槻D「日吉神社」「伊勢寺」

道案内の看板も見て、さあ「伊勢寺」への道は大丈夫と思ったのに、またまた浄土真宗のお寺が並ぶ道に迷い込んだ後、どういう訳か日吉神社に辿り着きました。 

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 神社参拝は未だ控えようと思っているのに、高槻の神様は招いてくださっていらっしゃるのでしょうか。 それならばと畏れながら鳥居を潜り階段を上って行きました。 高い所へ登って方角を掴みなさいとの仰せかもしれない・・・と振り返って来し方を眺めました。

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 お招きに感謝しつつ、やはり拝殿本殿から離れた所から手を合わせ頭を垂れました。

 ここ古曽部の日吉神社は、戦国時代の武将・荒木村重が芥川城を陥落した功績で摂津守に任じられた時、近江滋賀郡の日吉神社から勧請し創建したとのことです。

DVC00880 (210x280).jpg境内からは大きな欅の木越しに高槻の町が見渡せました。 そもそも、森林インストラクター的思考をすれば、「高槻」の「槻」という字は、「欅(ケヤキ)」のことなので、大きな槻の木が聳えている町という意味もあるのかな?

 そう思って、帰宅後に高槻市の歴史を見てみると、

「高槻はいにしえの神社の地にして、その神すなわち月弓神(つきゆみのかみ)と素盞鳴神なり。 ふるくは天月弓社(あまのつきゆみのやしろ)と称し、また高月読社(たかのつきよみのやしろ)と称す。」(原本無く引用のみ残る) 

との記録がありましたこのように元々は「高月」の字を用いていたものを、後に、神社(月弓神=月読神、また素戔嗚神を祀るとありましたので、恐らくは高槻@で尋ねた「野見神社」のこと?)のご神木として高く聳える「欅=槻」から一字を頂いたものとの由来が高槻市のHPに載っていました。

 日吉神社の境内に上がって見渡したので、何となく方角が分かった気がして歩き出し、また道々出会った方々に教えて頂きながら、伊勢さんが宇多天皇御崩御の後、隠棲して草庵を結んでいたとされる所であり、祀られている「伊勢廟堂」のある「伊勢寺(いせじ)」へようやく到着しました。

【伊勢寺】曹洞宗金剛山象王窟伊勢寺 ご本尊 聖観音菩薩
 
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 伊勢姫といえば、百人一首のこの歌が有名です。

 難波潟 みじかき芦の ふしの間も
            逢はでこの世を 過ぐしてよとや 

階段を上ると山門には「窟王象(しょうおうくつ)」の文字

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本堂正面の入口は閉鎖中   可愛らしい石灯籠

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一見恐ろしげな鬼さんのお出迎えにも、お口の中から紅葉の実生が覗いていてホッとします。

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続く階段の手前のお池にはアヤメの花   歩いてきた大阪医科大等の眺め

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「伊勢廟堂」
元は古墳塚であった地に廟堂と顕彰碑等を建ててお祀りしたとのこと。 廟の中には、伊勢姫のお姿を偲ばせるような自然石が祀られていました。 慶安四(1651)年、この亀の背に乗る珍しい顕彰碑を建てたのは、能因法師さんと同じ城主永井直清、顕彰文は儒学者林羅山です。 廟堂は1993年の阪神淡路大震災で損傷を受け、1995年に再建されたとのことでした。

辺りには山桜の木が・・・この地で桜をみて読まれたとされる歌

 見る人も なき山里の さくら花
             ほかの散りなん 後に咲かまし


寺宝として、伊勢姫遺愛の古鏡、古硯、蜀江錦一片を伝えているのだそうですが、公開はされていないようでした。 重要文化財の登録もないのでしょうか。 秘するが花・・・ですね。

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 お参りの帰り、本堂へと続く脇の入口が開いていました。 飛び石と苔むす庭、優しく若葉にそよぐ風に木漏れ日が揺れていました。 日本人に生まれて良かった・・・と思える安らぎのひとときです。

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 飛び石の合間にはコスミレが実を結んでいました。 花の頃もまた可愛らしいことでしょう。 先ほどの閉じられている正面入口から真っ直ぐの本堂への道です。

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「伊勢寺」の扁額の両側に掲げられている言葉に惹きつけられました。 きっと今の私に必要なことを教えてくれているのだと思います。 これを見せる為にこちらへと誘われたのかもしれません。

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 脇入口に戻り、塀の外から目に留まった建物の窓の意匠が「輪違い」になっていて素敵でした。 ここで、「ワチガイソウ」を思い出す自分が我ながら可笑しかったです。

 さて、上宮天満宮や昼神車古墳の方を経由して駅に戻る積りで歩き出すも、やはり優しげな方に出会えば道を確認したくなります。 するとまたしても、
 「いつもの散歩のコースだから、一緒にいってあげるわ」
との有難いお申し出。 こちらへ来てから、何度こうして優しい方々に助けて戴いたことでしょう。 歴史のある町にお住いの方々の心のゆとり、温かさに触れられて嬉しいことでした。 ずっとお話しながら歩いて来たので、お別れの時には、
 「わたしにとっては、神様仏様の化身でした。 
  ありがとうございます〜」
と、思わず拝んで抱き着いてしまいました。
 「なんもなんも、お互い様やもの」
と、穏やかに微笑まれ、有難くてまたも拝みつつお見送り致しました。

 (東京だって、本当は元々住んでいる土地の人は人情に篤く優しいんですよ。 ただ、余りにも他所から来て住んでいる人が多く、道もそう知らないでしょうし時間に追われていることも多いので、冷たいとかよそよそしいとか無関心とか言われてしまうのが悔しいです。)

 初夏の日差しにやられ飲み水も底をつき、もう、天満宮も古墳もナシで駅への近道というのをお願い致しました。 お蔭様で、迷っていたら熱射病になりそうなところを至近ルートで駅に辿り着くことが出来ました。 喉がカラカラ、エネルギーも切れかかっていて、思わず駅の自動販売機でいつもなら絶対に買わない「メロンカルピス」なんて買ってしまい一気に飲み干しました。 美味しかった〜!

 息を吹き返し、JR高槻駅から阪急高槻市駅まで商店街(センター街)をぶらぶら歩いて、山盛りの真竹?の筍が安くて「うわ〜」と思いましたが、まさか担いで帰る訳にも行かず・・・・筍好きな一家だったのに、今年はとうとう筍を茹でることなく春が終わってしまいました。

 頬くずし よろこぶ人の ゆきあとは
             竹の子湯気も 見ずにゆく春
 (山桜)

 伊勢さんと能因さんを慕って歩いた一日に拙い歌で恥ずかしいです。 お目漱ぎに伊勢姫の歌をもう一首

 身の憂きを いはばはしたに 
              なりぬべし 思へば胸の くだけのみする


 伊勢姫の歌は、今頃、十分大人と言える年齢を重ね、恋しい人との哀しい別れを知り、ようやく心に沁みるようになりました。 能因さんが思慕する気持ちが痛い程分かります。 


posted by 山桜 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅歩き・町歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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