JR御茶ノ水駅の聖橋口を出て本郷通りを渡った線路沿い(淡路坂=いもあらい坂とも)に、大きな椋の木(ムクノキ)が梢を空いっぱいに広げて聳えたっていました。 その場所こそが、
【一口(いもあらい)稲荷神社・元宮】
椋の木には、「元宮」と「由緒」の木札、誰でも持ち帰れるように「風邪咳封御守」が結び付けられていました。 そこから丸善の角まで戻り飯田坂を下ってゆくと、暫くして右手に現在のお社が現れました。
【太田姫稲荷=一口(いもあらい)稲荷神社】
都会に残る神社は、どこもビルの谷間になってしまいましたが、お祀りする人の気持ちで高めていけるものと思います。 崇敬の心こそ大切です。
何故一口稲荷が太田姫稲荷と呼ばれるようになったかは、後述のご由緒をご覧ください。
「社紋」は太田道灌の紋所「太田桔梗紋」桔梗好きな私、トキメキました。
太田姫稲荷神社/一口(いもあらい)稲荷神社ご由緒
室町時代末、関東一帯には疱瘡(天然痘)が流行、この地に在した太田持資(後の道灌)の姫も罹患。 その時、京都の東南、山城国の一口(いもあらい)の里の一口稲荷神社が本来五穀の神である上に、穢(けがれや災い)も洗い清めてくれるということからも「え(穢)もあらい稲荷」と呼ばれ、近郷近在の人々の信仰を集めている、という噂を持資(道灌)が聞き、早速山城国「一口稲荷」に平癒を祈願したところ、姫は全快し、大いに感謝、崇敬を高めた持資は江戸城内に勧請。
長祿元年(1457):江戸城鬼門除けとして「一口稲荷」を勧請
天正18年(1590):錦町一丁目に遷座
慶長11年(1606):江戸城増築に伴い聖橋の袂に遷座。
(その頃まだ聖橋はなく下流の昌平橋は「一口橋」と呼ばれ、淡路坂は神社の表参道だった)
明治 5年(1872):太田姫稲荷神社と改称
(東京府より村社に定む。 錦町一丁目、小川町二丁目の一部、駿河台全域の氏神)
大正12年(1923):大震災で類焼
昭和 3年(1928):本社殿を南向き(以前は東北東向き)に新築
昭和 6年(1931):総武線開通工事の為に、現在の駿河台一丁目二番地に移転
ご祭神
「宇迦之御魂神」五穀の神
「穢もあらう」、病を癒し災いを除け、家内安全、商売繁昌の神
菅原道真公、徳川家康公の合祀により、文武の神。
社紋は太田道灌にちなんで、「太田桔梗」
「太田姫」とは
太田道灌の姫のことではなく、京都にあった一口稲荷神社のご祭神で、道灌に狐の姿で現れて江戸城鬼門に祀れと告げた「太田姫命」のこと。
京都「一口(いもあらい)」
このお稲荷さんが祀られていた「一口(いもあらい)」の地は、かつての巨椋(おぐら)池(秀吉に埋め立てられて現在は農地)の西岸あたりにあったと伝わり、「一口」の名は、北・東・南の三方が巨椋池によって囲まれ、村への出入り口は西のただ一方だったことによるとか。
『平家物語』『吾妻鏡』『承久記』『太平記』等の中にも、その地名が記されており、淀とともに京都南部の攻防の要衝の地であった。
現在も「東一口」「西一口」とその名を残す。
なぜ「一口」は「いもあらい」と読まれるのか?
・「いもあらい」とは「いみはらい」(忌み祓い)の変化したものという説。
「忌む(斎む)」「払う(祓う)」は、「身を清め、禍を払う」という意味。
「はらい」→「あらい(洗い)」に変化。
・巨椋池を昔「いも」と呼び、そこで疱瘡を洗い清めたことからという説。
・疱瘡のことを「いも」「へも」と呼び、池で洗い清めたことからという説。 など等
そもそも「一口(いもあらい)稲荷さん」が「巨椋(おぐら)池」の地に在って「椋(むく)の木」にご縁があり、巨椋池が無くなってしまっても、椋の巨樹が今もこうして東京の聖橋の袂に生き残っているとは、連綿とした縁の繋がりに驚きです。
そういえば、「芋洗坂係長」でしたか? 何だか丸々太って踊る人いましたけど、何か関係あるのでしょうか?
ぶらりと書き始めたら、なんと、「一口稲荷」だけでこんなに興味が膨らんでしまいました。 続きはまた後ほど・・・
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椋の木に供えられた柿が、今も忘れずにお参りする方の心を表しているようで嬉しかったです。
今度京都へ行った折には巨椋池のあった辺りも歩いてみたいと思います。
この御守りすごくききます。
喘息が善くなりました。
あらう、いずれにしろ禊と関係あるのでしょうね。
初めて見たときにやっぱり芋洗うかとw
イモイモちゃんは洗ったらダメですが(*´∀`*)
私もお札を頂きたかったんだけど、お賽銭箱などが見当たらず、ただ頂いてよいものかと躊躇ってしまいました。 この巨椋のお力も宿ってパワー倍増よね。
芋妹いもあらい、清水湧く御茶の水の地に相応しいかったんだろうね。