山東省曲阜にある孔子の墓所「孔林」に弟子の子貢が植え、学問の木とも呼ばれる「楷の木(カイノキ)」のことです。 カイノキはここ湯島聖堂はもとより、各地の孔子廟に植え継がれており、牧野富太郎先生は「孔子の木」と命名されています。

悠然と枝を伸ばした姿が素晴らしいのですが、残念ながらお手入れがされて枝が大分切り詰められており分かりづらいかもしれませんが、

羽状複葉(頂小葉が無いのも特徴)の小葉が対生で整然と並んでいる様子、枝振りが直線的直角的にきっちりとしている様子が、書道の「楷書」という言葉の元になったと、湯島聖堂の「楷樹の由来」には書かれていました。
先に「楷書」の言葉があり、その書体に因んで「楷の木」とされたと書かれているものも多いですが、どちらが先なのでしょう。 私としては、自然の風に学んだということで「楷の木」が先であって欲しいという気持ちです。 下に湯島聖堂にある由来書を掲げておきます。(一部緑字 山桜加筆)
楷樹の由来
【楷 かい】 トネリバハゼノキ ウルシ科
(別名:爛心木/ランシンボク、楷樹/カイジュ、南蛮櫨/ナンバンハゼ、孔子の木/クシノキなど)
学名 PISTACIA CHINENSIS. BUNGE
(ピスタチオ・ナッツと同属近縁です)
楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で初め子貢が植えたと伝えられ、今日まで植えつがれてきている。 枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれている。
わが国に渡来したのは、大正四年 林学博士 白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り、東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初である。 これらの苗は当聖廟をはじめ儒学に関係深い所に頒ち植えられた。 その後も数氏が持ち帰って苗を作ったが性来雌雄異株であるうえ 花が咲くまでに三十年位もかかるため、わが国で種子を得ることはできなかったが、幸いにして数年前から二三個所で結実を見るに至ったので 今後は次第に孫苗がふえてゆくと思われる。
中国では殆んど全土に生育し、黄連木、黄連茶、その他の別名も多く秋の黄葉が美しいという台湾では爛心木(ランシンボク)と呼ばれている。 牧野富太郎博士はこれに孔子木と命名された。
孔子と楷とは離すことができないものとなっているが、特に当廟にあるものは曲阜の樹の正子に当る聖木であることをここに記して世に伝える。
昭和四十四年己酉秋日 矢野一郎 文


【湯島聖堂の周りの「築地塀」】
江戸の錦絵などにも描かれている横縞が特徴的なこの築地塀は、土と瓦が交互に積まれた上に屋根が葺いてあります。 時代劇の舞台としても昌平坂、昌平坂学問所(昌平=孔子の生地魯の国の昌平郷に因む)として度々登場し、江戸の世にタイムスリップした気分に浸れて好きな場所です。
塀の基礎の隙間から生えていたのは【イタビカズラ】クワ科イチジク属 イタビ=イヌビワのことです。 昔の人は、実の形が似ているビワ(バラ科)とイチジクを混同していたのかもしれません。 イチジクの仲間なので傷つけると白い乳液が出ます。

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カイノキは随分大きくなるのですね? 長崎にも孔子廟はありますが、残念ながらカイノキは植わっていなかったような…?
カイノキはウルシの仲間ですので、日当たりさえよければ鮮やかな紅葉が楽しめます。 とても大きくなりますから、下を歩いていると見過ごしてしまうことがあるかもしれません。 どこかに植えられていないか、今度訪れる機会がありましたら探してみてください。 ピスタチオのような実も拾えたら面白いですね。
御茶ノ水から湯島天神までは大した距離でなく、息子さんのおかげで楽しい歴史散歩が出来ましたね。 湯島天神と湯島聖堂、菅原道真公と諸葛亮孔明の両方にお参りしたのですから、もうバッチリですね☆ 後は風邪をひかないようにして実力発揮をお祈りしています。