母方の氏神様である神田明神のすぐ左の宮本公園(茶道江戸千家発祥の地)に、関東大震災後に建てられ戦火にも焼かれずに残った「遠藤家」の木造建築が2008年に移築されています。 今はビルになってしまった神田の祖母の家の平屋の木造の匂いまで思い出し懐かしさが込み上げてきました。
神奈川県鎌倉の材木座でご公儀御用達の材木仲買商だった遠藤家(材木商としての屋号は「井政」で当代で17代目)は、江戸城築城の為の木材の集荷を命じられ神田へ移り住みました。 この時鎌倉の材木職人も一緒に移り住んだことから、その周辺は神田鎌倉町(現 内神田1丁目)と呼ばれていたそうです。
神田鎌倉町は氏子中で最も「将門塚」に近く、遠藤家は代々「将門塚」をお守りし、「将門塚保存会会長」「神田明神氏子総代」などを歴任、明治期に神田明神のご祭神から外されてしまっていた将門公の復権に力を注ぎ、昭和59(1984)年、遂に将門公のご祭神復帰を成し遂げてくださいました。
普段は非公開ですが、お雛祭りなどの行事の期間は見学することが出来ます。
詳しくはこちらのHPをご覧ください。
「井政」
【千代田区指定有形文化財】
この建物は、江戸時代より神田鎌倉町で材木商を営んできた遠藤家が、関東大震災後、昭和初期に建てた店舗併用住宅です。伝統技術を受け継いだ職人たちが、腕によりをかけ、銘木や良材をふんだんに用いて建てています。幸いに戦災で焼失することもなく、都心部の木造住宅としては貴重な存在として残りました。
当初は平屋建てでしたが、昭和29年に一階の一部と二階を増築しました。また、昭和47年に神田から府中市に移築する際に、状態の良い部分を残し、さらに増築を行なっています。
2008年、府中市から神田宮本公園へ再移築するにあたり、府中時代は店として利用せず畳敷きにしていた部屋などを、かつての姿に復元しています。
神田明神の氏子総代であり、生粋の江戸っ子だった遠藤家の亡き先代の意志を受け継ぎ、「都心の子供たちが日本文化に触れる場所にしたい」と、江戸文化・伝統行事の紹介や講座、貸室などに使われています。
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