2018年02月28日

大磯はいかい2「高麗山・高来神社」

 化粧坂を過ぎた頃、目の前に現れたのは美しい山容の高麗山。
P2281079 (440x330).jpg
【高麗(こま)山(165m)】
 江戸時代末期までは高麗寺の霊域として樹木の伐採が禁じられ、明治時代には宮内省官吏の御料林となり、昭和13年に神奈川県に下賜されてからも引き続き保護されてきました。 しかし戦中・戦後の資材確保の為、北〜東斜面の樹木は伐採され、「江戸から続く植生*」は南斜面にのみ残され、今は県の天然記念物に指定されています。

P2281117 (210x280).jpgP2281100 (210x280).jpg【「宮」印の入った御料林の石標】 【アリドウシ(一両)】

(その1)でご紹介した安藤広重の錦絵「東海道五十三次 大磯 虎ケ雨」の右端に描かれているなだらかな山が高麗山です。 奈良時代にこの山側一帯に高句麗からの渡来人が居住し集落を作ったことから「高麗(こま)山」の名前がついたといわれています。

 足利氏内乱の攻防あり、北条早雲(伊勢新九郎)の籠城あり、上杉謙信の本陣が置かれたり、見晴らしの良い典型的な山城として高麗山はたびたび歴史の舞台となってきました。

*「江戸から続く植生」大磯町指定天然記念物
 スタジイ・タブノキなどの常緑広葉樹
 ケヤキ・ムクノキ・イロハモミジなどの落葉広葉樹の混交林。
 モクレイシやカゴノキという高麗山ならではの樹木も自生。

P2281081大磯虚空蔵堂 (210x280).jpgP2281083大磯高来神社 (210x280).jpg 
【高来神社入口右の虚空蔵堂】   【高来神社入口の鳥居】

P2281086大磯高来神社 (210x158).jpgP2281085大磯高来神社 (210x158).jpg 
【二の鳥居の銅注連縄】   【高麗寺慶覚院山門(天台宗)】
明治時代に廃寺になった高麗寺の貴重な仏像等はこの鳥居右奥の「慶覚院」に移されています。 徳川家菩提寺の上野寛永寺と繋がりがあるとのことで葵のご紋が見えました。 次はこちらもゆっくりと参拝したいです。 

P2281087狛犬 大磯高来神社 (210x280).jpgP2281089狛犬 大磯高来神社 (210x280).jpg
阿の狛犬さんの足元の仔犬のお尻がなんともカワイイ!

P2281091狛犬 大磯高来神社 (210x158).jpgP2281090狛犬 大磯高来神社 (210x158).jpg
仔犬さん甘噛みしてますね〜可愛すぎです。 吽の狛犬さんがこっちにも来てくれないかな〜と羨ましそう?

P2281092シイニッケイ 大磯高来神社 (443x590).jpg
【シイニッケイ/椎肉桂】
 スダジイ(推定樹齢300年)の上部にヤブニッケイ(推定樹齢150年)が着根して共存している大磯町指定天然記念物

P2281095大磯高来神社 (440x330).jpg
P2281096大磯高来神社 (210x280).jpgP2281217大磯高来神社 (210x158).jpg
【高来神社拝殿・本殿】
神武天皇朝 創建
垂仁天皇朝 神皇産霊尊、天津彦穂邇々伎尊を祀る
533年/安閑二年 神功皇后・応神天皇が合祀される
717年/養老元年 本地垂迹・神仏習合により高麗寺別当所管
寛永年間      東照大権現を併祀
1868年/明治元年 神仏分離令で高麗寺は廃寺、高麗神社に
1897年/明治30年 高来神社に改称
          戦国時代の相模国大住郡「高来」に由来

 寛永年間に東照大権現(徳川家康公がご祭神)が併祀されて後、参勤交代の大名たちも皆下馬して参拝せねばならなかったそうな。

P2281098ナギ (210x280).jpgP2281099 (210x280).jpg
【ナギ/梛】葉と樹肌
 針葉樹でありながら平たい広葉樹形の平行脈の葉を付ける。 

P2281113 (210x158).jpgP2281114 (210x158).jpg
【高麗山頂上の上宮跡】
 度重なる戦乱の世の攻防の舞台となり荒廃してしまったそうです。 今は高麗の人々は埼玉県日高市の高麗に移住してしまっている為なのか、寂寥感が漂っておりました。

 高麗(こま)と聞けば、埼玉県日高市の高麗の巾着田、高麗神社、高麗王若光(高句麗の王族とされる) を思い出します。 大磯の高麗との関係は、大磯は最初に若光が上陸し大陸文化を伝えた地、日高は後に若光一族も含めた関東の各地の高麗人が武蔵野国に集められ高麗郡が設置され、若光はその郡令に任命され終焉を迎えた地ということになります。 年月を経て、期せずして(どちらも人に連れられて)両地ともに訪れることになった不思議を思います。

 高句麗人と今の朝鮮半島に住む人々(新羅系)は、民族的・言語的に隔たりがあり、祖先と言う根拠はないとされますが、例によって論争の決着は見られないようです。 日本においてもこの部分に誤解があり、大磯の高麗の地でも、現代の嫌韓的拒否反応からなのか看板の文字の削除等が見られるのは残念なことです。 今までは彼の国が騒ぎ立てないように、この時代の歴史にはあまり触れずにいたように思います。 一度この時代からきちんと歴史を見直して、任那問題も含め日本としての歴史認識をしっかりと述べて欲しいものです。 と、また大いに横道にそれて今日も終わってしまいました。 つづく・・・ 


人気ブログランキング
ご訪問ありがとうございます。
1クリック応援賜れますれば光栄に存じます。


posted by 山桜 at 23:20| Comment(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。