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先に書きました「妙見社と本松寺」のように、明治の神仏分離令以前は、「人丸社(柿本神社)」が「人麿山月照寺」の鎮守社として一体の神宮寺でした。 そして、明石城内からこちらに遷座してきたのだそうで、そういえば城内に「人丸塚」がありました! 往時はあの辺りが境内だったのでしょう。
二手に分かれていたあの時の道の途中で、左手の階段の道を来れば、位置的には手前の月照寺前に先に到着したのですが、右手の坂を下り、更に「亀の水」に寄り道して、ぐるりと回って上って来たので先に「人丸社(柿本神社)」を参拝することになりました。 人生の岐路の選択の結果のようで、何やら面白いことです。
こちらの寺名の石碑も真新しいですね・・・桃山様式を伝えていたご本堂なども、あの大震災で全壊してしまったそうですが、今は再建されています。
元は真言宗、今は曹洞宗のお寺。
柿本人麻呂さんの念持仏、「海上波切船乗十一面観世音菩薩」を安置し、明石海峡を往来する船の海上安全を守っていてくださいます。 この像は、聖徳太子の御作、持統帝の念持仏だったものを、人麻呂が帝から賜ったものです。
秘仏として、60年に一度の御開帳のみ。
鐘楼
東経135度の日本標準時子午線上に立つ県下随一の大梵鐘(約3.1t)で、一撞の余韻は3分半に及び明石海峡に響き渡ります。
白砂青松、枯山水の美しいお庭
「八房の梅」「人丸社」にもありましたが、こちらの方が古そうなので親株でしょうか? 本当に一つの花に八つも実が生るのか分かりませんが、少なくとも3〜4の実が一カ所についていて、それが2か所くっついていたら、八房に見えるかもしれません。 これは五房でした、惜しい!
ご由緒:「赤穂四十七士の一人、間瀬久太夫正明が大石内蔵助良雄と共に当寺に参詣して、素願の成就を祈り、持参の鉢植の梅を手植したのがこの梅である。この梅は一つの花に八つの実がなるので「八房の梅」と名づけられた。
人丸観世音菩薩 北村西望氏作
水琴窟の妙なる音に誘われて観音様の前に・・・素直に手を合せ首を垂れ、ひと時の静かな時間を過ごしました。
続いて人丸社の「盲杖桜」とも関係があるのか、視力の弱い人を救ってくださるという「ふれ愛観音」さまにも触れ合い「視力維持」をお祈りし、ふと見上げると、只者ではない風格の木造りの門、
「ええっ、こんな脇に凄い門!! これは一体??」
山門(県指定文化財)
伏見城の薬医門、明石城の切手(きって)門としての二役を果し、明治初年ここに移築。「秀吉建立の歴史を刻む豪壮な風格の山門」とな・・・ただただ圧倒され、見上げてしまいました。 しかし、瓦の紋などはしっかり葵のご紋に替えられてますね。
秀吉さんもこの辺に触れたかもしれないなぁ…なんて、ちょっと手を重ね、深呼吸してから勿体無いのでまた境内を通って戻りました。
月照寺の境内からも天文科学館の塔が聳えて見えます。 子午線上に建っているのですから当然で、今まで敢えてそちらの現代にあまり触れずに来ましたが、次は思い切りそちらにシフトします。
人麿山月照寺公式HP
月照寺には、
霊元上皇から三十六歌仙式紙(明石市指定文化財)
桜町天皇から一座短籍(旧国宝・重要文化財)
後桜町天皇から短籍等
が奉納され、その後も文人墨客の来訪絶えることなく、書画の寄進も多く、それらの大部分は、明石市立文化博物館にて保存されているそうです。 そうそう、その前を通って強い引力?を感じたのですけれど、残念ながら先を急いでしまいました。 次はじっくりお宝を拝見しに参りたいです。
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