国力が上がると「オリンピック開催に我が国が尽力しましょう」と、ボランティア精神を発揮すると共に、その力を世界に披露したくなる。その代り、莫大な経費が掛かるので、戦争資金は削がれることになる。オリンピック期間中は停戦するという抑止力もある。
オリンピックに集い競う若者(最近は超人的シニアも増えているが)には、そのトレーニング期間の交流も含め、友情や感動の共有が芽生え、戦争回避の強い力ともなるだろう。
この辺りが、徳川時代の参勤交代の役割と似ている。きらびやかな参勤交代の行列や土産物でお国自慢を披露する一方、藩の財政は逼迫していき、結果的に戦を起こす力は無くなり、徳川の世が続く事になった。江戸に集うことで、少なからず藩の間でも情報交換や友好関係も築けていたかもしれない。
とは言え、今の世界は疲弊し未曾有の危機と闘っている。このような状態で今までのようなオリンピック開催国の持ち回り制度が成り立っていくのか疑問だ。東京2020オリンピックが、今一度考え直す機会となることを願う。
発祥地アテネでの恒久開催を望む声も聞こえてくる。ギリシアは参加費を徴収し、式典は、選手入場と選手宣誓、聖火点火だけで良いではないか。幾ら鍛え抜かれたアスリートでも、長々しいセレモニーや挨拶を立ったまま耐えるのは辛いだろう。
開催時期もスポーツに相応しい時期に設定して、アメリカの視聴率の為に真夏の暑さに耐えるという馬鹿馬鹿しさから解放しよう。
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