油壺マリンパークという名前になってから一度も足を運ぶことなく、今日、とうとう閉館の日を迎えたことを知りました。
水族館大好きな私にとって、続々と新しい大きな水族館が出来ても、心の中の油壺の小さな水族館は特別でした。何故だか今でも鮮明に思い出すのは、相模湾の磯に続くバックヤードにあった丸い大きなプールと打ち寄せる潮騒の音です。プールの中にいたのはウミガメだったかな・・・残念ながら、そこはもう記憶の彼方です。
ガラスの向こうに並ぶ展示としての魚類ではなく、出来るだけ自然の姿でその生態を観たり触れたりすることが出来、小学生だった私をどれだけワクワクさせてくれたかわかりません。
今でも「水族館」と言えば油壺なことに変りはありません。心の中に「油壺水族館」はずっと生き続けるでしょう。
父は釣りの名人で、遊びに連れて行ってくれるのは殆ど海か川の近くばかりでした。そして動物園より水族館。自然、魚や水棲生物が好きになり、「さかなクン」が出てきた頃、『うわ、私の仲間が居る!』と、物凄く親近感を覚えたものです。
「海の子」だったの私が、今は「山の子」になったのは、子供の頃、蛇嫌いの父が山に連れて行ってくれなかった反動かもしれません。
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震災の際は、津波で大きな被害を出しましたが、スタッフの努力で多くの生物が被害を免れました。
しかし、コビッド-19感染拡大で大きな損失を出しているようです。
アクアマリン福島! うわ、懐かしいです。拙ブログにレポも書いています。もう14年も前なんですね、それにもビックリ。
「アクアマリン福島」
http://yamasakuran.seesaa.net/article/31078674.html?1633062248
確か当時は、アクアマリン福島さんからのトラック・バックも頂いていました。
太平洋側の水族館は東日本大震災で大きな被害が出ましたね。直ぐには行けないにしろ、こうして話題にして是非とも応援したいです。
関連する記事で「福島の酉小屋」http://yamasakuran.seesaa.net/article/30948322.html?1633063423
についても書いています。酉小屋について、博識の玉井人ひろたさんのお話も是非、伺いたいです。
会津地方では「どんど焼き」といいます。
私の住むところでは「塞ノ神」といいます。
全て、「左義長」という行事が基になっていますが、意味は無病息災を祈る行事です。
お返事、ありがとうございます。
私の所では「どんど焼き」ですが、段々と焚火が規制されるように成り、とうとう鎮守様でもお焚き上げがなくなってしまいました。
「塞ノ神」「左義長」そうした言葉も東京では分からない人が増えていると思います。伝え残したい文化ですのに。