今朝から繰り返し繰り返し、阿久悠さん作詞の歌がメドレーとなって流れてきます。 どの曲にもその時代時代の自分の姿、思い出が重なり、じんわりと涙がにじんで来ます。 テレビ画面がぼうっと霞んできます。
最近娘に連れられてカラオケに行くことがあります。 「知っている」と思って歌い出してみても、実は「サビ」の部分しか分らない曲が多く、うろたえることが度々あります。 けれども、こうして今流れてくる歌を聴いていると、阿久悠さんの歌は違います。 スラスラと歌詞が口をつき、その情景が鮮やかに浮かび上がってきます。
♪上野発の夜行列車降りたときから 青森駅は雪の中…
こんな真夏の暑さの中というのに、私は忽ち雪の青森駅に立ちすくみ、無口な人の群れを見送り、海鳴りだけを聞き…一人連絡線に乗り込み…凍えそうな鴎みつめ…泣いて…います。
グループサウンズからポップス・演歌まで、幅広いジャンルに歌詞を提供され、ピンクレディーの歌のような独自の世界をも生み出せる豊かな才能には、今更ながら驚くばかりです。
それらの歌を聞き作詞リストを眺めながら、今頃初めて気付いたのですが、5000曲以上もの歌詞を書きながら、あの「山口百恵」に書いた歌が一つも見当たりません。
阿久悠さんは、「スター誕生」の審査員で「花の中3トリオ」とも馴染みが深く、他の二人・森昌子・桜田淳子の為にはいくつも歌を書いているのに、どうして山口百恵にだけは書かなかった(?)のでしょう。
確か阿久悠さんは、山口百恵を評して「時代と寝た」というような発言をされていたと記憶しています。 山口百恵は最初の頃、多分本人の意思とは関係なく、清純路線の容姿のまま(なにしろ中学生でしたから!)きわどい歌詞の歌を歌わされていましたが…。
そんなことを思いながら、阿久悠さんの盟友、作曲家・都倉俊一さんの追悼談話を読んでいると、
『命のある限り、いい詩(うた)を書こうと、いつも心掛けているのを感じていました。 日本語の美しさとか、「こういう風にあるべきだ」と日本の音楽界を憂えたり、「正しい筋道をつけてあげないとだめだ」と僕に言っていましたね。』
という箇所をみつけました。 若しかすると阿久悠さんは、山口百恵に対して大人が敷いてしまったあの路線、あのような売り出し方を、心の中で苦々しく思っていらしたのかもしれませんね。
産経新聞にこの6月まで「阿久悠 書く言う」というコラムが連載されていて、私はその辛口で小気味良い文章を楽しみにしていました。 前触れも無く終わった連載をいぶかしく思っておりましたが、このコラムが連載当初から「遺言」と意識されて書かれてきたことを今日知りました。 最後の力を振り絞って紡ぎ出された阿久悠さんの「遺言」。 私は今、「夕鶴」のおつうさんが飛び去った後、ぽつりと残された与ひょうのような気持です。
厳つい顔の白い鳥…ヤマトタケル?
なるほど良い歌を残した訳です。
阿久悠さんの最後の原稿、冒頭にはこうありました。 合掌
国会が乱れている。 国会が乱れているということは、国全体が乱れているということである。 主権者であるとされている国民は、国会が乱れてくると、誰もかもが困ったものだと議員たちを責めるが、その議員を選んだ反省を口にするものはいない。
主催者が突然傍観者になり、評論家になるのである。
「私が一票を投じた人があんな悪いことをして、誠に申し訳ない」
と泣いた主権者を見たことがない。 これでは永久に民主主義は機能しない。
「阿久悠 書く言う」より抜粋 平成19年6月9日 産経新聞朝刊掲載


なんだか昭和の香りが消えてしまったような淋しさがあります
鎌倉に住んでる時帰りの終電で何度かお会いした事があります 当時北鎌倉にお住まいでした
帰りの電車が「人身事故の」のため停車中、連結部分に女性が落ちてて、それを見てた時「大変だね 大丈夫かな〜」と隣でそれが阿久悠さんでした とても気さくな方でした 合掌
平成になって19年。
私たちにとっては振り返れば昭和だと思っているのに、日に日に昭和の時代は遠くなるのだと改めて感じます。
昭和・・・それも戦後の昭和を表現してきた方たちが次々と亡くなられるのは、寂しいものです。
明日は友人とカラオケの予定なので
阿久悠さんの作詞の歌だけという
ルールにしましょうか。。。。。
>あの「山口百恵」に書いた歌が一つも見当たりません。
そうでしたか〜なかなか味のある方ですよね。
どの曲にも、その当時の思い出がオーバーラップしてきます。
心の深いところまで届いてきて、元気をもらえる歌ばかりですね。
(百恵ちゃんは、なぜか最初から好きになれず、覚めた目でみていました。なぜ人気があるのかわかりませんでした?)
最後の原稿が胸を打ちます。
でも、だけど、あきらめない。あきらめたくない・・・。
数日前に、小田実さんが亡くなられたことも残念でした。
阿久悠さんの盟友で、先に旅立った久世光彦さんの著書に『マイ・ラストソング』というものがあります。シリーズものでして、「あなたは最期のときに何の歌が聞きたいか」というテーマでのエッセーでした。
その中でいくつも阿久さんの歌が選ばれていて、読みながら「やっぱりいいよね」と思っておりました。
わたしが幼稚園から小学生の頃、『赤い』シリーズがブームで、そのときから百恵ちゃんのファンになったのですが、竜童とヨウコさんご夫妻の作った歌のイメージしかなく、改めてそのことを指摘されて「あっ」です。
なんとなく今、「ざんげの値打ちもない」の歌詞がアタマの中をぐるぐる回っております。
若し、町で会っても阿久悠さんと知らなかったら遠巻きに
避けて通ってしまいそうな強面さんでしたが、心の中は本当に
優しいって歌詞をみれば分りますね…。 これからきっと
様々な逸話が語られるでしょう。 せつこさんのお話も
阿久悠さんのお人柄が偲ばれ、とても身近に感じられて
嬉しかったです。 ありがとうございました。
祖母たちは明治・大正・昭和と2〜3代を味わって来て、
それぞれの時代の色を教えてくれました。 私たちは、
昭和後半・平成と股にかけている訳ですが、長い歴史で見ると、
金銭的に豊かで堕落した時期を生きているような…
その中で堕落したくないと踏ん張ってきたお一人が阿久悠さん
ではないでしょうか。 彼の心を歌い継ぎましょう♪
私はてっきり幾つか百恵ちゃんの歌もあると思ってました。
ここまで徹底して書かなかった理由、今なら誰かが教えて
くれないかしら…いやいや生きている関係者の方が多くて
未だダメでしょうかね〜
確か「人間 万葉歌」だったかな?全集が出てますね。
きっとお高いのでしょうね〜 それぞれ持ち歌の歌手が
歌っているのかしら? だったらスゴイですよね♪
百恵ちゃんは、容姿では淳子ちゃんに、歌唱力では
昌子ちゃんに敵わず、イマヒトツ売り所がなかったので
あんな風な作戦が組まれてしまったのでしょうね。
結果的に大当たりで歌謡史に残る伝説の大スターになったの
ですから、プロデュースとしては最高だったということ?
でも、私もあまり好きではありませんでした。
ただ、明星かなにかで見た小犬を抱きしめている素顔の
百恵ちゃんの愛らしさは今も忘れられません。 暗い顔で
無表情で歌う彼女より、きっと普段の彼女はずっと魅力的
だったと思います。 阿久悠さんも、出来ればそういう
彼女を表に出してやりたかったのではないかしら…
選挙も終わり。本当に選挙民の資質が問われます。マスコミも異様ですね。
久世さん、阿久さん、名前には「久しい」と付いている
のに悲しいですね。 でも、たとえ人より少し短い人生と
しても、彼らのように生きた軌跡・作品が人の心に長く
残せるのなら、本望かもしれないです…。
「マイ・ラスト・ソング」、七恵さんは何を選びますか?
私は何だろう…? ちょっと音痴の母が歌ってくれた子守唄
がいいかな。 母から生まれて、また母の元に母の声に
抱かれながら昇っていきたい…うわ、やだ、泣けてきた。
最近、思春期で〜涙もろくて困ります〜♪
そう言えば、最初にももりさんおお名前を拝見した時、
山口百恵ちゃんと何か関係でも〜?と思いました^^
♪北へ帰る人の群れは何故か無口で〜
バッチリあってますよ〜 今朝、その続きの
♪私も一人 連絡線に乗り〜
のフレーズについて、普通なら「私・は」とする所をあえて、
「私・も」とした訳を語る阿久悠さんの言葉を聞きました。
私「も」無口に俯く人の群れの一人なのだと…。
私はまた、群れに見える人々もみな「一人」なのだな〜
なんてぼんやり考えながら見ていました。
選挙結果には呆然としました。 小沢さんは確かに
よく諸国行脚を頑張ったと思いますが、民主の圧勝とは…
「年金」「年金」「年金」…の赤い文字が躍る旗の群れに
「アホか!鬼の首でもとったつもり?」
と私は思ってましたから。
これがショック療法となって喝!が入ることを願います。
あえて書かなかったと知り、「えーっ!!」と更にビックリ\@@;//
目指したのは、「美空ひばりが歌いそうに無い歌」だったとか?。^;
でも、彼女の死後、その事をとても悔やんでいたそうです(ーー;
頑なな拘りを持って駆け抜けた人生だったのかなァ?なんて思ったり。。
♪上野発の夜行列車降りたときから・・・の2番の歌詞も泣かせますね。
♪ご覧あれは竜飛岬 北のはずれと 見知らぬ人が指をさす。息でくもる
窓のガラス・・・・ 実際に見ているかのような映像の世界です-☆
多感な19歳の頃、「ジョニーへの伝言」や「また会う日まで」に、何度
心を揺さぶられた事でしょう。詩を噛み締め、良く歌ったものです*^0^*/
歌は世につれ、世は人につれ・・あれっ? 私達の思い出の道に、時には
濃い影を、時には彩りを添えてくれた人であることは間違いないですね♪
美空ひばりさんの歌を書いてないいというのは知って
いましたが、そうですか、敢えて書かなかったのですね〜
「美空ひばりが歌いそうに無い歌」を目指していたなんて、
美空ひばりが偉大と認めているからこそでしょうか〜
しかも後悔されていたとは、感慨深いものがありますね。
う〜ん、いろいろと考えてしまいます?(°ο°)?
実際に竜飛岬に行った時は夏で、歌とは違うあっけらかん
とした明るい所で、勝手に拍子抜けでしたが、友達と一緒に
♪ご覧あれが竜飛岬 北の外れよ〜
なんて歌詞を変えて歌い、写真を撮りました^^;
あの時の友の顔が恐怖で引きつっているのは、私がもっと
下がれ下がれと岬の壁の方に行かせ…ああ、Aちゃんゴメン!
「ジョニーへの伝言」「五番街のマリー」「また会う日まで」
相手の幸せを願って静かに去っていく…大人の愛でしたね〜